[随筆]トリュフごつごつのカタマリ。

 

リュフというチョコレートがある。たぶんトリュフという茸に見た目が似ているためにこの名前となった…という話なのだろうが、あえて調べてはいない。
 それどころか実際にきのこのトリュフを掘ったことも買ったことも、育て方も知らないので、トリュフというのが本当に高いのか、実は肉に載せてるやつも実際はあれで500円くらいでまぁまぁ見合ったくらいの金額なのかもわかってない。もしかしたらチョコレートが先でトリュフ茸の栽培がうしろの可能性だってある。とまぁ、想像の余地というやつでこういうのはたぶんそうだろうと思っているだけで少し美味しくなる。

これはトリュフチョコレートの好きな俺のただの思い出のテキストになるわけだが、トリュフというチョコレートの美味しさは冬に依存している。夏食ってもトリュフだし、冬食ってもトリュフのはずだが、気持ちの上ではやはりトリュフというと寒さとセットで、夏にはただのチョコレートのカタマリかもしれん。こたつにミカン…ふむ、ならばモモヒキにトリュフ…でどうかな?というところである。ちょうど昨日からわたくしモモヒキを履いて出勤しておるのでそういうことになる。
チョコレートのカタマリに願をかけたらトリュフ化する。そこまでは恐らくそうだろうと思っているのだが、恐らく冬の寒空である必要もあるのだろう。

 トリュフが好きになった理由なんてのは特になく、気づけばトリュファーだったわけだけど、トリュフといえば思い出すこともある。
昔よく遊んでいたお姉さんがおって、その方の送り迎えをしていたわけですが、そのお家のお母さんからということでよくトリュフをもらったものだ。
 このトリュフは人生でも今だに上位2か3に入るうまさで、今なんかはブルボンのトリュフを食べててこれもちょっと美味しいんだけど、やっぱり思い出すのはあのトリュフだな。銀色のそっけないアルミに入ってて、表に申し訳程度の成分表とかのシールが貼ってるだけで名前もない。ただ、一袋に500グラム=25個くらい入っててタップリあるわけ。しかも一個の大きさも市販品のやつの倍くらいでかくて口に入れるのもたいへんだ。なのにもうどこで止めたらいいかわからんくらい進むのよ。僕のBMIを30としたら15くらいはチョコレートなのだろう。思えば健康診断の時にじっと注射器をみていると人よりずいぶん茶色い血がでている気がする。

 こういうなんとなく頂いた食べ物ってアタリが多いよな。
人生で初めての頂き物はフダノウチくんの家でもらったタコのお刺身で、フダノウチくんの家に遊びに行くたびになぜかタコのお刺身を貰えた。非常に美味しくて、今でもタコといえばお刺身まである。でも小学生の子に何故タコなんだろう。フダノウチくんは中学で完全にグレてしまって、ヤンキーの中でも面倒くさいのと付き合うようになったのと共に疎遠になってしまった。今もタコを食べているのか。それにしてもあの昭和のタコはモンゴル産じゃなかったな。

 僕はあまり自分は背景文化を持たない人間だというのを自覚していて、実はこういう人から教えてもらったものだけでそれっぽく生きている。それゆえもあって、こういったちょっと美味しいモノとかを知ってるかの知識って僕からするとプログラムができるとか絵がかけると同じ才能の一部だと考える。ふっと何かひとつ知っているわけではなく、その背景には文脈たる知識の体系があるように思う。それは個人ではなく家族とか友達とかが時には故人を含めてシナプスのようにつながっていてそこから来ている。それを少しひも解くのが面白いわけだ。紅茶に浸ったマドレーヌの味で思い出すところから始まる失われた時を求めてって、本当にそのとおりなんだよな。

 トリュフも、あのでかいごつごつのカタマリを食べてるからこそ、今こうしてコンビニのトリュフでも正しいトリュフ感を味わえるわけで、本当に美味しいトリュフを知っててよかったなと思う。もしかしたらフランスの山奥でブヒブヒと探し当てたトリュフを思い出して、やっぱりうまいなと思ってる人もいるのかも。一つの味にも全然違う思いでが紐づいている可能性はある。それも人生かもしれない。

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