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雑貨屋『このは』のお話

いつもの帰り道。

人通りもまばらになった駅前の商店街を抜けてアパートを目指す。就職してから5年目。通い慣れたいつもの道。

頭の中は仕事、仕事、仕事。その隙間に、申し訳程度に、推しの新曲と今日の夕飯の心配が浮かぶ。

別に仕事が嫌いというわけではないが(かといって一生をかけたいと思うほどの情熱もない)、ここまで仕事中心の日々が続くと、ふと心にすきま風を感じてしまう。

ーー私、ずっとこのまま、仕事だけしておばあちゃんになるのかな。

展望が見えない将来に思わずため息が漏れる。
 それでも明日は来るし、そして明日もまた終わる。悩んだところで何かが解決するわけではない。そろそろアパートに到着するし、さっさと着替えてシャワーでも浴びてゆっくり……するはずだった。

ーーあれ? ここどこだろう?

あるはずのアパートはそこにはなく、私はいつの間にか、小さな雑貨店の前に佇んでいた。ランプのような橙の淡い光が店内の品々を優しく照らす。
 可愛らしい緑の木製の扉には、年季の入った『OPEN』と書かれた木製のプレートがかかっている。
 疲れているのだろうか。入る通りを間違えてしまったのかもしれない。

ーーこんなお店があったんだ。

そういえば、このところ職場との往復ばかりで、周辺のことなんて気にする余裕もなかった。
 興味を引かれた私は、扉を押して店の中へ。チリンチリンと可愛らしいベルの音が響く。

店内は外観の印象通り、こぢんまりとしていた。手作り風の木製のテーブルと棚があり、そこに並べられた小物たちがランプに照らされている。
「い、いらっしゃいませ」店の奥から小さく声が聞こえた。
 見ると奥から紅葉色の三角巾とエプロンを身につけた小柄な女性が立っていた。ちょっとおどおどした様子が、小動物っぽい。
 私は軽く会釈をすると、展示された品を眺めた。不思議な模様のガラス細工や動物モチーフの革小物、普段遣いに良さそうなサイズの食器などが並べられていた。おそらくどれも手作りされたものであろう。ちょっぴりぎこちないけれど、作り手の愛情が伝わってくるような雑貨たちに私は思わず笑顔になった。

「素敵な物が揃ってますね」

私は店員さんに声をかけた。

「このお皿とかにトーストを乗っけたら、少し楽しく一日を始められそう」

店員さんはもじもじした様子で「ありがとうございます」と言った。

「そのお皿は、少し離れた山里に住んでいる私の友人が焼いたものなんです」

「へえ、お友達の作品なんですか。すごいですね」

「この店の雑貨は、他のものも私の友人達が作っていて、でも、こちらに出て来られないので、私が代わりに売っているのです」

「なるほど」

そんな話を聞いたからか、店の中はこの都会にあって、自然の中にいるような、ふんわりとした懐かしさに溢れているように感じられた。

と、隅の棚の一つに、目が留まった。

そこには藍色の一輪挿しが置かれていた。思わず手にとる。まだ花を差していないのに、花の匂いが香るのを感じた。私はすっかりその一輪挿しの虜になった。

「これ、おいくらですか?」

私は店員さんに尋ねた。

すると、店員さんはますますもじもじしながら、消え入りそうな声で言った。

「いったい、おいくらでお渡しするのが良いのでしょう?」

思わぬ返答に、私は目を丸くした。

「値段、決めてないんですか?」

「……お恥ずかしながら……お客様が初めてのお客様でして……あの……お店も始めたばかりで……わたし……どうしたらいいか……」

小さな体をますます小さくしながら、店員さんは顔を真っ赤にして頭を抱えてしまった。

あらら、と思いながらその姿を見ているうちに、私はあることに気がついた。

ーー店員さんの手がもふもふになっていることに。

ーー店員さんの三角巾の隙間からまんまるもこもこの耳が覗いていることに。

ーー店員さんの背後に太くてふわふわな尻尾が揺れていることに。

 本人はパニック状態で、そのことにまるで気づいていない様子だった。

 ちょっと驚きはしたものの、私はなんとなく状況を理解した。おそらく、この店のものは、森に住む動物たちが、人間のまねをして作った作品なのだ。それを人間たちにも見てほしくなってて、こんな店を作ったのだろう。
 なんとも微笑ましい話ではないか。

「大丈夫ですよ、店員さん」

私はなだめるように言った。

「私はこの一輪挿しがとても気に入リました。前に他の雑貨店で同じぐらいの一輪挿しがニ千円ぐらいだったのを見たことがあるの。だから、私は、三千円で買いたいと思うのだけど、どうかしら」

「ありがとうございます,ありがとうございます」

店員さんは何度もおじぎをした。

「では、お包みしますね」

店員さんは、カウンターの奥から白い箱を取り出すと、柔らかそうなシロツメクサを詰め、私の選んだ一輪挿しを収めて蓋をした。そして無地の紙袋に入れると

「こちらをどうぞ」

と差し出した。

「ありがとう」

私はそう言って千円札を三枚渡す。

店員さんは受け取ったお金を、大事そうにカウンターに置いてあった木箱にしまう。

私はその様子がととても愛おしく感じられた。そして、少し心配になった。

あまりにも無垢で無防備なこの雑貨店が、果たしてこのまま続けて行けるのだろうか。

一輪挿しの入った紙袋を見つめながら、私は考える。

「あのぅ、大丈夫ですか?」

まんまるな目で店員さんが私の方を見つめている。無言で立ち尽くす私を、心配してくれたらしい。

私は思い切って口を開いた。

「店員さん。お願いがあります」

「は、ハイッ」

驚いた店員さんはビクッとなって、きをつけの姿勢になった。今度はぴょこんとヒゲが飛び出している。

私はそれには気づかないふりをして、自分の考えを伝える。

「私にこの店のお手伝いをさせてもらえませんか? 私、このお店が気に入ったんです。このお店を守りたいんです」

 店員さんは、突然の申し出にますます慌ててしまったようで、その場で何度かくるくる回ると、ひっくり返って尻もちをついてしまった。変身も完全に解けて、すっかり元のタヌキになっていた。そしてすぐに、カウンターの後ろに隠れてしまう。

「ご、ごめんなさい店員さん」

 私はカウンターの向こうの店員さんに謝った。そしてこれ以上怖がらせることのないように、語りかけた。

「店員さん、私、この店の作品が本当に大好きになったの。だからこのお店にずっと続いてほしいと思っている。でも店員さん、お店をするのは初めてでしょう。ヒトの世界の事もそこまで詳しくないみたいだし。だからね。もしも。もしも、良かったら、一日でも長くお店が続けられる様にお手伝いをしたい。私もそれほどお店の経営の仕方とかに詳しいわけじゃないけど、でもね、なんかできることがあるんじゃないかって。だから……だから、お店のお手伝いをさせてください」

 言い終えた私は、その場にへたり込んだ。こんなに一生懸命話したのはいつぶりだろう。

店内が静寂に包まれる。

やがて。

カウンターの向こうから、タヌキのままの店員さんが、そっと顔を顔を覗かせた。

「お手伝い、本当にしていただけるのですか?」

私は頷いた。

「はい。ぜひお手伝いしたいです」

「でも、しばらくお給料とか出せませんよ」

「生活費は、本業でなんとかします」

「私が人間ではないことは、秘密にしてもらえますか?」

「もちろんです!」

「そうですか。それなら……」

 店員さんは頭をカウンターの裏に引っ込めて何やらごそごそした後、人間の姿になって再び私の前に現れた。

「もし、あなたが私たちのお店を手伝ってくれるなら、心強いです。これからよろしくお願いします」

店員さんは深々とおじぎをした。

私もおじぎをして言った。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

それから私たちは笑顔で握手を交わした。

「ところで、店員さん。これからはなんとお呼びしたらいいですか? 店長?」

「いえいえ、私は仲間の代わりなので、店長なんて恐れ多いです。そうそう、私、いつも、山の人たちにはポン子とかタヌ吉とか呼ばれてましたよ」

「それだとちょっとタヌキっぽすぎますね」

「そうなんですか! どうしましょう!?」

おろおろする店員さん。

私は店員さんのエプロンを見て言った。

「『もみじさん』というのはどうでしょう」

「もみじですか。素敵な名前ですね。ではこれから私は、もみじと呼んでくださいね。で、あなたは?」

「私は里子です。森山里子」

「わかりました。さとこさん。いろいろ教えてくださいね」

これが私ともみじさん、そして、雑貨屋『このは』の出会いの物語だ。
この出会いから、私の不思議な毎日は始まったのである。

続く(?)





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