躁鬱とお付き合いすることになった話21
薬の量を少し増やしてマシな毎日を送っている気がします。ラモトリギンのおかげなのか、心が穏やかな時間が増えました。ラツーダはどちらかというと、意欲や行動に作用している気がします。(いろんな人のブログをみるとやる気が出る、意欲がわくという声も見受けられました)とはいえ、ラツーダを服用した直後、増やした直後は体の震えとそわそわ感に慣れず、結局治療開始から量をふやせませんでした。
あまり良くないことではあるんですが、薬についてわかったことがいくつか。
① 飲み忘れたからと朝飲むと、午前中はそわそわしっぱなし。
② 夜早い時間に飲むと、寝るまでそわそわしっぱなし。
ということです。
うーん。困ったことに薬のきくピークが活動時間に重なってしまいます。そわそわするとうまく物事にあたることが出来ません。一番は寝て過ごすことでした。
それを受けて寝る前に飲むことにしています。医者の言っていることに逆らっているので、あまりお勧めできません。が、薬がきいてくるまえに寝るので翌朝から昼にかけてのそわそわ感が薄れます。
まあ飲むまでの間希死念慮が顔出したりはしますが…。最近は小さなもんなので、ある程度やり過ごしています。
(なおラツーダに関しては食後に飲まないとある効果時間が減少するという研究結果があるそうです。)
ですが、なんだかんだ、最近はこのように過ごして、元気な気がします。ここまで元気にはなってくると(鬱が軽くなると)意欲が欲しくなります。絵を描きたいとか、外出したいとか、ゲームしたいとか。その「~したい」があまりにも少ない日々、どう改善したものかと悩みます。
鬱だから意欲が出るまで休め、ということも見ますが、どこかでえいやっとやらないとずっと何もできないままでした。絵とか、TRPGとか。でもこれも言わせてみれば無理にしている、ことになるんでしょうか。
鬱気味とはいえ、いろんな人の鬱エピソードを見ている限り、自分はものすごい軽いと感じます。死にたいと思うことはありますが、ベッドの上で動けなくなることもあまりないですし、ご飯が食べられなくなることもそうそうありません。不眠も治りましたし、最近は自殺者防止サービスのチャットも使わないでうまくやれています。外出も楽しめるようになっていますし、欲しいものが出来たり、ご飯も毎日作れたり…。通話もいっぱいできるようになりました。もっと凄まじいものと戦っている人はいるのに、自分は甘えているだけではないか、本当はもう回復しているのではないか、と思ってしまいます。
もう回復しているかもしれないのに、自分はまともに趣味に向き合えない。
向き合う気力がでてこない。
そんな人生でいいのか。なんて、たまに思うのです。
こんなことを考えているうちは、もしかしたらまだ沼の中にいるのかもしれないですね。
元気とは言いつつも、月曜の朝はひどく滅入った状態で起きます。
死にたい、と思って起きて、朝ご飯を食べて、最近はあったかいのでアイスコーヒーをのみ、可燃ごみを纏めて出し、会社に行きます。10時から11時ころまで死にたいな、と思って過ごします。
昼頃になると観念して定時まで働いて、帰ってシャワーをして、ご飯を作って食べて、ふとしたときに、また、死にたいな、と思います。
私、朝と夜死にたくなるんだな…昼頃が元気なんだな…と思いました。
鬱には日較差がある…日内変動と呼ぶらしいです。しんどい時とそうじゃない時、が1日の間にも変動する場合があるとのことです。(鬱患者すべてに該当するものではないとのこと。)要は、あるある。
これは「症状が悪化している」というわけではないみたいです。花粉症でいったら、くしゃみや鼻水がめっちゃ出る時間帯とそうじゃない時間帯がある、みたいなもんでしょうか。風邪の時も熱が上がるときと下がるときがある、みたいな。でも大抵の日内変動、受けている人からすればまあまあ「悪化」ですよね。でも「これが普通ですよ」と言われるだけ心が軽くなるような。
鬱の場合は早朝から午前中が酷い傾向があり、(当然傾向というだけで、夜や昼がダメダメになることも当然あります)日中になるにつれましになる、とのこと。ああ、私の朝の憂鬱と夜の憂鬱はこれなのかも、と思いました。
面白いことに、私の場合は意外と調べると鬱あるあるっぽい。調べてみるものですね。
該当する言葉や現象があるってだけで何か解決策があるわけでもないんですけど。
休めって書いてある程度で。
私の場合、「これがあるあるだ」と分かると若干気分が楽になります。なんとなく、ああ当然なんだコレ。という気持ちになるといいますか。友達に「わかる~~~」と言われている感じでしょうか。
ともあれ、日内変動という一日単位の浮き沈みはあるあるだそうです。人類皆大変ね。
日内変動といえば、知り合いに「なんで「普通な時」がないの?」という話になりました。
嫌なことがある・気分の悪い時期がある(-の状態)→普通の状態(0の状態)→楽しいことがある・気分のいい時期がある(+の状態)があるとして、貴方の場合は普通の状態が無いじゃないか。基本-の状態で、+の状態になったと思えば、すぐ普通を通り越して-に戻るじゃないか。訳が分からない。と言われたんですね。
うるせえ。それがなおりゃ苦労しねえんだわ。
むしろ+の状態があるようになっただけでもこちとら感動してるんだわ。
鬱気味って、個人的に「常に-」なんですよね。普通になれたらもう本当はなまるで…。楽しいと感じることがあるだけ奇跡なんですよ。それを「何故お前は-が常なんだ」と言われても…鬱って多分そういうものだ、としか言えず。
そもそも躁鬱なので、無茶言うな…と思いますが、やっぱりなったことない人にとってはそういうもんなんでしょう。
酒を飲んで、酔っぱらって、ふとした時に酔いがさめる。その時が虚無です。
通話を楽しんで、時間が来たので解散して、ふと布団に入るまでの一瞬。その時が虚無です。
正気に戻るときの間隔…要は「0の状態」を通り越した「-の状態」に戻るときの急降下はすさまじいものがあります。
嫌だ、正気に戻りたくない、とこぼしたことがあります。正気に引き戻されて虚無を見つめる時、怖くて仕方ない。
何にもない自分がそこにあるんです。頭を抱えて泣きたくなります。でもなんで自分に何もないと思うのか全く分かりません。通話する友達もいて、ご飯もおいしく作れて、家事もできてるし…。
「今日は○○ができていい日だった!」と言い聞かせても、どうしようもない希死念慮が出てくるんですね。
困ったなあ。
でもあともう少しな気がするんです。この虚無感に慣れて「Life is そんなもん」だとやり過ごせたら完璧な気がします。今はまだ、自分の人生に期待しすぎているのかもしれません。
こんかいはここまで。
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