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優生学の何が間違っているか

メンタリストDaiGo 氏のこの発言を受けて、優生学の議論が巻き起こっていますが、

https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/daigo-youtube

https://www.youtube.com/watch?v=bMHPkn4fe7U&t=6764s

優生学という考え方は倫理以前に科学的に間違っています。どの点が間違っているかは明快で、ただ一点のみが完璧に間違っていますので簡単に解説します。

人の可能性や能力は正確に測ることができない

結論を書けば、彼の発言は
ありえない前提を置いた(演繹的)推論を元に発言してしまったため、結論が現実的でなく倫理的にも問題がある
状態になっています。演繹(えんえき)とは、AだからBという形式の、よくある推論です。

間違っている前提とは、「自分を含めた人間が、他者の能力を正確に測ることができる」という部分です。完璧に間違いです。この部分が間違っているので、当然、「ホームレスは不要である」という結論も間違いです。

見た目ではわからない才能

例を挙げましょう。建築家ガウディ、音楽家ベートーヴェンは共にホームレスと誤認され、ガウディは死亡、ベートーヴェンも一時逮捕されました。天才数学者ポール・エルデシュは、自身は汚い身なりでしばしば浮浪者と間違われましたが、見かけたホームレスを助けないことはなかったといいます。種田山頭火は放浪の最中は野宿もし、身なりの汚さから宿泊を断られたそうです。

才能を理解されず死に追いやられた人物としては、一般相対性理論を量子化しようとしたものの思想を危険視されソ連の大粛清にあって亡くなったマトベイ・ブロンスタイン、従軍中に戦場で一般相対性理論を初めて条件付で解きながらも発表の4ヵ月後に死亡したカール・シュヴァルツシルト、5次以上の代数方程式に解析的な公式がないことを始めて証明しながらも極貧の中亡くなったニールス・アーベル、群論をたった一人で構築しながら一度も理解されることなく決闘で亡くなったエヴァリスト・ガロアなど例に事欠きません。こういった例が物理学と数学者に特に多いのは、あまりお金をかけることなく研究できる反面、理解できる人が極端に少ないからです。

人は死ぬまでその価値はわからないし、死んだ後もわからない

人は、その生を全うするまで価値を測りきることはできませんし、ゴッホのように死後再評価される場合すらあります。その生を、人の生き方を、人生の価値を、一瞬見ただけで不要と断ずるのはあまりに乱暴で早計です。

ナチスドイツの優生学も、結局これが間違いの元だったのです。だれも人間の遺伝的価値を正確に測ることはできないのです。太りやすい遺伝子は、現代では生活習慣病の元ですが、飢餓に苦しむ時代にあっては生き残るために必要な遺伝子です。

特定の時代に不要に見えても、時代が変われば価値が出るものも沢山ありますしその逆も然り。今だけ見て判断してしまうのは短絡的であり大変危険といえます。

そもそも、学術や芸術など目に見える形ばかりが人の価値ではありません。誰かひとりぼっちの人間に優しくでき、困っている人に手を貸せるならそれは立派なことです。

以上、「ホームレスを不要、いないほうが良いと判断することは間違い、とうか論理的に不可能である」というのが結論です。倫理を持ち出すまでもなく、間違いなのです。

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