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スピリチュアルと愛と、事実と真実と。

スピリチュアルと愛

スピリチュアル…

色んな意味で、もはや個人的には流行りレベルと思ってる。
そこで何を学ぶのかは知らないけれど
占い師の学校があるレベルだし。
昔から、占いも霊現象?も信じてはいない。
因みにホラー映画は打開策がないびっくり系なので嫌い。人のことを無闇矢鱈に脅かすなよ、と。
(サイコ系は、起承転結あるので別にいける)

そんな私のなかで
人となりは、パーソナリティ障害の遺伝的要因が少しはあると思うが
殆どが、環境と教育で出来上がるものだと思っている。

愛…

それこそが、環境と教育。
私の親は過干渉毒親だった。
様々な場面で母と祖母から殴られたし
教科書も楽譜も破かれたし
髪型も好きにさせては貰えなかった。

現代としてはなかなかのレベルだ。
ただ、勉強・習い事・躾としては
その「過干渉な教育」が、今の私のいい面を作っているとは思う。

そんな私が通った無茶苦茶自由な校風の中高女子校は
母の通った高校だった。
よく考えたら洗脳的な側面もあると思うが
当時、某雑誌で関西の制服ランキング1位だったし
仏教系は何となく陰気臭そう…とか思って
結局は自分で選択した。

思い返せば、母は祖母から私以上の過干渉を受けて育ち、今もその生活している。
昔はよくあったね、と言えばそれまでなのだけれど。

ただ、彼女が16歳から18歳までの3年間のお陰で
私は13歳から18歳までの6年間をすごしたと思うと
あの「自立心を養う」校風に身を置けたのは
ある意味、母の愛なのかもしれない。

事実と真実

私が昔から好きな漫画家さん。
長編2作と今作も、紙で揃えてる漫画家さん。
今ドラマになってるお話で
「事実と真実は違う」と描いていた。
まさにその通りだ。

個人的には
事実が、物的証拠
真実が、状況(人的)証拠
だと思う。

例えば事実として…
都会の中で起こるは刑事事件(傷害や殺人等)は
ありとあらゆる場所にある防犯カメラが指し示されると思う。
同様に、ペット用監視カメラ等に映れば
それも家庭内虐待の十二分な物的証拠。
ボイスレコーダーも近い類。

ただ、真実はわからない。
LINEもメールも(リサーチ時間がかかるの意)
指紋の付着した刃物も
当然、本人や周囲の証言も。


「事実はひとつ、真実は人の数だけある」
「本人なりの愛なら、それは本人の中の真実」


うちの実家は、父・母・祖母(母方)・私、という構成。

「母と祖母に殴られた」「教科書や楽譜を破られた」
こんなもの、今更事実としての物的証拠はない。

私も母も、マジでとてつもない喧嘩をしたわけだが
父が仲裁役となり
互いの真実を言い合って、何十年越しに互いの思いを理解した。

今や、先日久々に会った母から
「娘って、自分が出来ない事ができるのが嬉しいやん?ママ、嬉しいんよ。
なんで…(私の祖母)は変わらないんやろ?」
と言ってくれる間柄になった。

母と和解できたのは
彼女が、破壊系(皿を割るとか壁壊す)では無かったこと。
父が、もっと変な家庭環境で育ったのに平和主義(昔は家庭から逃避してた)と思う。

事実と真実とが邂逅するタイミングは
当人同士の会話しかない、と思う。

個人的に
暴露系の行く末は気になるし
基本、暴露した側が
ほぼ事実を話している、と思う。
沸点越えるレベルの怒りがないと普通に考えて、暴露しないよ。

スピリチュアル信じてない人でも
瞑想したりして
二日酔いでしんどい内臓と
自分の内面?振り返ってから仕事をする日々を過していたりする←
(アル中なる前に禁酒しな?wとは思ってる)

そんな私でも
暴露内容は
「まぁそうやろなー。事実やろーねぇ。」
と思うレベル。

好き嫌いではなくて、事実。
善し悪しではなく、事実。
「事象でも真実でもない、事実」

話し合いが無理なら
物的証拠あれば、なんも問題なくね?
と思ってる( ´-` ).。oO

育てる環境は大事だよ。

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