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「おにぎり研究家」(4546字)

 神童、非凡、天才、鬼才、私。
 幼い頃から人並み以上に料理が得意だった私は、本気で自分のことをそんな風に思っていた。
 物心つく頃には、料理上手な母の背中越しに調理のイロハを習得していたし、小学校も半ばを過ぎる頃には、自分のスパイス瓶のスペースを台所に持つほどに成長していた。当然手際も良かったけれど、何よりも味の足し算引き算に関しては、我ながら天性のものを感じていたほどだ。
 圧倒的な全能感。何者の追随をも許さぬ、絶対的な才能。
 小学六年生にして、私は料理人としての自分の将来を信じて疑うことはなかった。
 中学校へ入学してからはその考えは更に強くなり、様々なジャンルの料理を自分のものにしていった。
 洋食から中華、イタリアンやフレンチは当たり前に、ロシア料理、ベトナム、タイ、エジプト料理まで、乾いたスポンジが水を吸い込むように、グングンとなんでも吸収して自分のものにしていった。
 この頃の私は、全ての料理を極めた世界的なシェフになれると本気で思っていたし、この才能を生かす以外に道はないと、ある種の使命感に駆られるように、夢中でレシピを漁りまくっていた。
 そんな中学生のある日のことだった。
 その日は文化祭の準備日で、休日登校をして朝から夕方まで作業をする予定になっていた。
 いつもは給食が出るお昼も、土曜日となれば当然持参が必要となる。
 丁度その頃はスペイン料理に凝っていて、昼食用のお弁当にはパエリアを作ろうと決めていた。本当は出来立てがいちばん美味しいけれど、そこは味の計算をして、冷めても十二分に美味しく食べられる、最高の配合をすれば良い。私には朝飯前だ。もちろん、昼食だけれど。
 意気揚々と米を量り、具材の準備を始める。そして自慢のスパイス棚に手を伸ばしたとき、私は重大な事実に気がついた。
 サフランが、ない。
 パエリアのパエリアたる主張そのものとも言えるサフランが、こともあろうに切れていたのだ。
 これではパエリアは作れない。
 スペイン料理は諦めて、ピラフやナシゴレンなどを作ろうかとも考えた。だが、しかし。
 ピラフはつい先日作ってしまっていてあまりに芸がない。ナシゴレンは、必要なスパイスが揃っていない。そもそも今日はパエリアを作るつもりでいたので、普段食べている日本米以外、ジャバニカ米しか用意していなかった。
 私はいくらか逡巡した後に、ひとつの答えを導き出した。
 おにぎりにしよう。
 考えてみれば、手数の少なさから興味もわかず、まだ手を出したことがなかった。ちょっと手抜きかな、とは思ったが、たまにはそれもいいかと、安易にメニューをおにぎりへと変更した。
 初めてのおにぎりは、センス抜群の私の手にかかって、美しい三角形を象っていた。眺めるだけでも、うっとりするフォルムだ。さすが私とばかりに目でしっかり楽しんだあとは、綺麗にくるんだラップの羽衣をするりするりと外していく。その姿もまた、様になる。
 冷めていても鼻をくすぐる香ばしい海苔のかおりに魅了されながら、一口、頬張った。
「…………………っ!!!」
 瞬間、私は今まで一度も感じたことのない絶望感に、くらりと眩暈がした。一瞬、気を失ったかもしれない。
 なんだこれは。
 米と、塩と、海苔の味が、ばらばらと口の中で主張している、ただそれだけの代物。言うなれば、丸めた白米の塊だ。
 不味い。実に不味い。
 この暴力的なまでの食べ物は、私の知り得る『おにぎり』という存在とは、全く異なるものであった。
 以前食べたことのあるおにぎりは、こんなものではなかった。塩と旨味がお米の甘さと溶け合い、香しい海苔のかおりと合わさって、絶妙なハーモニーを生み出す。シンプルながら食の全てを極めたような、そんな究極の逸品だった。間違いなく、こんなご飯の塊ではない。
 どんなに味の計算ができたところで、塩しか入っていないおにぎりにおいては、そんな私の能力は全くもって無能と言わざるを得なかった。
 欠けた三角の塊を片手に、今まで私を包んできた勘違いの全能感や、お門違いの自信が、見るも無惨に音をたてて崩れ消えていく。
 神童、非凡、天才、鬼才……様々な自惚れの塗装が剥がれ落ち、様々な多国籍料理たちもポイポイと飛び出ていった。残ったのは凡庸な私と、おにぎりだけだ。
 その日から、寝ても覚めても私の頭を占めるのは、おにぎりのことばかり。気がつけば私は成人を迎え、料理研究家という形ばかりの名前をぶら下げながら、おにぎりを追い求めるだけの日々を送っていた。まさに、おむすびころりん状態だ。
 私は凡庸ではあったけれど、それでも一切の妥協を許さなかった。有名なおにぎり店などでコツや秘密を聞き出して修行を積むだけでは、もちろん満足など出来はしない。
 米、水、塩、海苔、全てに対して徹底的にこだわった。田植えの時期には米どころと呼ばれる新潟や北海道を飛び回り、秋には黄金色の田んぼを駆け抜ける。美味しい湧き水で有名な山間の土地に赴いては、そこここで新米を炊き続けた。自国生産の少ない塩に関しては、岩塩も試すため世界各国を飛び回り、天日塩や海水を煮詰める製法など、どの塩がベストか探求した。佐賀や福岡、千葉の海沿いでは板海苔、焼海苔どちらも試し、もちろんその年の初摘みを得るべく、時期も決して見逃さない。
 全ては私を凡人たらしめた奥深き料理、おにぎりのため、私は一年中腰を落ち着けることなく世界中を走り回った。
 そんな日常の中で母から電話を受けたのは、懇意にしていた先の塩田で、海水を撒いていたときだった。 「ちょっと良いお米を頂いたから、帰ってこない?」  本来稲刈りに新潟へと赴く予定だったが、天候の関係で何日か延期になっていたところだ。
 それにお米。実家での頂き物とはいえ、ぜひチェックはしておきたい。
 私は二つ返事で了承すると、先の予定をスケジュール帳へ書き込みながら、実家への家路を急いだ。
「お帰りなさい」
 玄関先まで出迎えてくれた母は、心なしか歳を取ったように感じた。
 家を出てからというもの、私は常におにぎりを追っていた。あまり意識をしたことはなかったが、そんなに長らく帰っていなかったのか。と、居間のドアをくぐりながら、おにぎり探求の日々を振り返る。
「あんた、あんなに料理得意だったのに、今はおにぎり研究家なんてしてるんだって? お母さん驚いちゃった」
 ふふふ、と笑みを漏らす母に、思わずきょとんとした目を向ける。
 おにぎり研究家。
 持ち前の能力を武器に、料理研究家になった記憶はあったが、いつの間にかそんな名前で呼ばれていたことに驚く。
 確かに私のおにぎりへの執着は、はた目から見るとそういう風に映るものなのだろう。不本意であるとともに、僅かばかり誇らしいような、不思議な気持ちになる。
 と、不意に、ふわりと豊かなかおりが鼻をくすぐった。懐かしいような、いつも触れているような温かなかおり。
 誘われるように視線をあげると、私の目の前には、二つのおにぎりが並んでいた。
「素材からこだわって世界中を旅してるあんたには、つまらないものかもしれないけど。美味しいお米には、やっぱりこれよね」
 考えてみれば、おにぎりを探求し続けてはや数年が経っていたけれど、究極を追い求めるあまり、身近なおにぎりに目を向けることを、私はすっかり失念していた。
 母のおにぎりを見ること自体、十数年ぶりだった。
「……食べていい?」
「もちろん。そのために握ったんだから」
 母は可笑しそうに、クスクスと笑った。
 私は、ぴかぴかした角のまるい三角形のおにぎりに恐る恐る触れると、厳かな儀式のように恭しく口へと運んだ。
「…………!!!!!!」
 なんだ、これは。
 何かを口にしてこれほどの衝撃を受けたのは、後にも先にも、自分で握ったおにぎりを口にした、あの一度きりしかない。しかしこれは、全くもって真逆の衝撃だった。
 形容しがたいほどに、とんでもなく、美味しい。こんなに美味しいおにぎりを、私は食べたことがないと言い切れる。
 艶々とした見た目からもわかるつるりとした舌触りに、噛み締めるほどにもちもちとした食感。甘さと角のない塩味、その奥の旨味全てを纏ったそれを、潮のかおりとともに香しく包み込む。完成された、珠玉の一品。
 一口目は赤子に触れるように慎重だった私は、二口三口と進むにつれ、気がつけば空腹のライオンのように獰猛に、目の前のおにぎりを貪っていた。あまりの勢いに、喉を詰まらせてむせ返ってしまう。
「お、お母さん、お母さんのおにぎり、世界一美味しい! すごい!」
 興奮気味に母に駆け寄り、両肩をがっしりと掴んだ私に、母は驚いて変な声を上げたが、私の様子を見て嬉しそうに笑った。
「そんなに美味しいって言ってくれるなら、これから一緒に握ってみようか?」
 まだ炊いたご飯、残っているのよ。 母の思わぬ申し出に、私は頭をぶんぶんと千切れんばかりに振って肯定した。
 世界中を飛び回っても得られなかった完成形が、今私の目の前にある。材料はとびっきりのブランド新米でも、高級な初摘みの海苔でも、幻の湧き水でも特別な天日塩でもない。ちょっといいお米と水道水、お徳用の焼き海苔、スーパーで売っている粗塩だ。
 特別な秘技も隠し味もないけれど、しっかりと洗練された母の所作から、しかして特別なおにぎりは次々と生まれていく。
 私は高揚した気持ちをなんとか落ち着けつつ、見よう見まねで母のようにおにぎりを握った。初めて握った昔と同じように、それはいとも簡単に、美しい三角形を模した。
 海苔を巻いて、おずおずと一口頬張ってみる。私の手から生まれたそれは、やはりと言うべきか、驚くことにと言うべきか、なんとも、不味かった。
 しかし私は、昔のような衝撃は受けなかった。いや、食べる前から、わかっていたような気さえする。  不思議な気持ちで、頭部分の欠けた白米の塊をじっと見つめていると、不意に母のおにぎりが目に入る。
 答えを確認するように頬張ると、口の中でほどけるおにぎりは、やはりとても、とても美味しかった。

 その日から、私はおにぎりの探求をやめた。
 世界中を飛び回っていた時間を使って様々な料理に触れてみると、私の両手は、実に絶品な料理を生み出した。剥がれ落ちた自信と共にしばらく目を向けていなかった他の料理の知識も、目を向けてみれば、するすると蘇ってくる。埃を被っていたスパイス棚も綺麗にして、整えた。書籍や講座の話も次々と舞い込み、私の料理は、たくさんの人に支持された。
 母は、そんな私の様子にとても喜んでくれた。そういえば私が驕った子供だった頃も、母は、料理をする私の姿を、いつも嬉しそうに見守っていてくれていたのだ。私は時間を作っては、実家で母にいろいろな国の料理を振る舞った。
 その後も、何度握ってみても私のおにぎりが美味しくなることはなかったけれど、おにぎりが食べたくなると、母にせがんで握ってもらった。私は、母の握る平凡で特別なおにぎりができていくのを、いつも傍らで、ひたすら眺めた。
 その様はいつも無駄がなくしなやかで、とても美しく、そして出来上がるおにぎりは、変わらず美味しかった。



(了)


2018年ごろ、ショートショートのなんたるかもまったく知らず、生まれてはじめて書いたショートショート(?)です。(もちろんというかなんというか、なににも引っ掛からずに滝壺へ…)

Twitterの「#初めて挑戦した公募・コンテストの思い出」のタグで思い出して、なににも使わないし、と公開してみました。
(手を入れていないので、変な箇所がありましてもどうかお見逃しください~)

思い出、思い出!


■追記■
たくさんお読みいただきありがとうございます!
その後、紆余曲折(?)あって、坊っちゃん文学賞の大賞をもらったりなんかしたわたしの最新のショートショートが集録されている電子書籍が、Gakkenさんより6/23に発売されました!(以下、アフィリエイトとかではありませんのでご安心ください~)

「 3分間のまどろみ カプセルストーリー・青」(ショートショート作家、田丸雅智さん監修)

同時発刊で、もうひとつ出ています。(こちらにはわたしの集録作はありません)

「3分間のまどろみ カプセルストーリー・緑」(ショートショート作家、田丸雅智さん監修)

ぜひぜひダウンロードして読んでみてください~!




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