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「演じる」が、わからない

いま、何かを学び直すことが出来るとしたら、演劇がいい。中学生のときは演劇部だったけれど、先輩がいなかったり部員にあんまやる気がなかったりで、「演じるとは何か」みたいなことは最後まで全くわからないままだった(というか意識すら向かなかった)。その後も、例えば自分の作品で朗読や声優をするときに、感情を入れてセリフを読むことはできても「演じる」ということはぜんぜんわからないままだった。今、なにか演技系のオファーされても、絶対にこのままではできないと思う。演技するって、何だ? まったく五里霧中だ。

自分にとっての3Dアニメーションとは(ツインエンジンのトークでも話したけれど)、キャラクターはもうその空間に“いて”、僕は彼女たちにカメラを向ける、シンプルに言えばただそれだけだ。自分がアニメーターだという意識はカケラもなく、キャラクターたちはもう既に自分たちの意思で動いていて(つまり、生きていて)、僕はそれをとらえるためにボーンにキーフレームを打ってゆく、というイメージ。そういう感覚は一番最初からあったけれど、ちゃんと言語化できたのは『伝える』を作ったときよりも後だった。だから……再現する? 掘り出す? みたいな作業。憑依させる、にも近い。なので「こんな動きをつけたら気持ちいいわ〜」みたいなことには自分は1ミリも興味がもてないままだ。で、だから、「キャラクターたちはもうそこにいる」ものなのに、自分が肉体を通して演技をして自分の声で身体でアウトプットする、というのは何だかどうにも生理的に変だと感じてしまう。演じるって何だ? みんなどうやってんだ?? もちろん中学生のときはそんなこと考えもしなかったぞい。

でも、アニメーションをつけるだけじゃなく、そもそもホンを書くことにだって「演技」は切っても切り離せない。キャラクターにいてもらって〜、みたいなオカルトの話をしてても物語の精度は上がらないままだ。キャラクターをつかんでないぞ、って怒られる立場ならまだマシで(いや、ダメだけど!)、自分の生み出したキャラクターすらよくわかっていないとしたら、致命的である。色んな方法があるだろうけれど、演劇について、そして演技についてちゃんと学ぶ機会を作れれば、なにかこれの大きなヒントになるのではないか、とずっと思っている。

進学する大学を選ぶとき、実は最後まで候補だったのが多摩美術大学の夜間部にある「映像演劇学科」だった(現在も学科はあるけど夜間部ではなくなった)。今でも、そっちに進んでいたかもしれない自分の未来を想像することがある。昼はコンビニやスーパーでバイトをして、夜になったら上野毛校舎へ行って演劇の勉強をする。分身できるなら、受験してみたいな、未だに。いくつかある「どうせやらない」やってみたいことの、ひとつ。

て、いうか、僕はもうすこし人生において「演じる」ことを学んだほうがいいはずなんだよな。なんだよなあ!!!!



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