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湯の輪らぼの湯外学習!!「銭湯フォーラム」「銭湯山車」潜入ルポ

2022年10月。神田・稲荷湯は「銭湯絵の描き替え」という一大イベントを迎えたわけですが、実はこの10月、湯の輪らぼメンバーのまもるとしゅんたが稲荷湯を飛び出して銭湯について学ぶ1ヶ月でもあったのです。

今回の記事では、僕たちが校外学習ならぬ「湯外学習」の一環として訪れた、「銭湯フォーラム」と「銭湯山車」について、目にしたものや感じたことを紹介したいと思います!!

それでは、いざ行ってまいります!!

(文・写真=しゅんた)

8月中旬のある日、まもるから「こんなのあるよ」とメッセージが来ました。

サイトのURLを開くと、「銭湯サポーターフォーラム」という文字が!

正直、初めてサイトを見たときは「なんだそれ?!」という感想を持ちましたが、それよりも「どんなものか見てみたい」という関心が勝り、応募することに。

応募してから約1か月後、フォーラムの主催者から一通のメールが届きました。

「厳正な抽選の結果」。実際、応募者は定員200人に対して倍近くいたらしいと風のうわさで聞きました。僕とまもるは倍率2倍の競争を見事勝ち抜いたということです。

こうして厳正な抽選の結果選ばれた我々は、風を切るように東京・蒲田の会場へと向かいました(大袈裟)。

フォーラムはここ、大田区産業プラザPiOの4Fにあるコンベンションホールで行われました。

受付には銭湯公式キャラクターのゆっポくんがおり、僕たちを銭湯のお湯の温度と同じくらい温かく迎えてくれました。

※ここからスマホカメラの不具合により、所々写真に白い光が入ってしまいました。申し訳ありません…

会場にはたくさんの出展ブースがあり、人だかりができていました。

みんな大好きケロリン桶のグッズも!!

時間になるとホールに人が流れ込んできます。
銭湯好きが1つの場所にこれだけ集まるというのは不思議な感じがしますね。

対面での開催は実に3年ぶりとのことです。

まずは、銭湯の調査・研究を行う横浜都市発展記念館調査研究員の吉田律人氏による特別講演「京浜地域と北陸銭湯人の系譜-忘れられた同郷者ネットワーク-」の時間でした。

東京の銭湯はもともと北陸から移ってきた人たちによって営まれているという話はとても興味深かったです。

隣を見てみると、高校の授業では見たことないほど熱心にメモをとっているまもるの姿がありました。湯の輪らぼでも取り上げたように、まもるの祖父母は新潟から上京をして、稲荷湯を始めました。彼にとっては、自分のルーツを探っているような感覚だったのでしょう。

稲荷湯誕生の経緯は「【第10輪】 新潟から上京してきた青年が、経営者の素質ありすぎて、多くの人に愛される銭湯“稲荷湯”を作っちゃった件(実話)」をご覧ください。

講演が終わると「銭湯お遍路440軒達成者表彰」の時間に。

440もの銭湯に足を運んだ強者たちがステージに上がっていきます。

東京都浴場組合の公式キャラクター「ゆっポくん」も会場に駆けつけ、記念撮影をしました。

お次は「銭湯経営者Q&Aコーナー」。

面白かったのは「皆さんの前職は何ですか?」という質問。

銭湯をやる前はアパレル、石垣島のホテルのフロントマン、印刷関係、スポーツインストラクター、薬屋、リース会社など、人によってほんとに様々でした。
中には地上げ屋をやっていたという方や、司法試験の勉強をしていたという方も。

そんな多種多様なバックボーンを持つ方が銭湯をやっているというのは、とても興味深いですね。

フォーラムの最後には、銭湯グッズの抽選会が行われました。

ちなみに僕は新宿浴場組合の公式キャラクター「ゆげじい」のクリアファイルと、オリジナルタオルをもらいました!

また講演と同時進行で、現役最高齢の銭湯ペンキ絵師・丸山清人さんによるペンキ絵のライブペインティングも行われていました。

実はこの大きな絵、抽選会のあとに行われたじゃんけん大会で勝った人が貰えるというのです(笑)

見事参加していた女性が引き当て、この大きな絵をお持ち帰りされたようです。「家宝にします」とのことでした。

会場を出る際には、ゆっポくんとご対面!!

とってもかわいいです。

今回フォーラムに参加して、銭湯というものが人と人の関わり合いによって成り立っていて、同じ空気感を共有するからこそ、銭湯は魅力あふれる存在なのだと感じました。

銭湯を利用する目的は人それぞれだと思いますが、1つのお風呂(男女別ではありますが)に多くの人が集まり、同じ温かさ(風呂の温度・心の温かさ)を共有する。

銭湯ではない場所で銭湯好きと関わるという不思議な体験をして、より一層それを感じました。

サポーターフォーラムという名前からは、銭湯に来る人をただのカスタマー(顧客)ではなくサポーター(支持者・後援者)として捉えていることがよく伝わってきます。

思えば、サッカーなどのスポーツでも「サポーター」という言葉がよく使われます。
スタジアムに集い、熱い声援を送ることで選手たちを支える。

銭湯もたくさんの人に支えられているからこそ、公共性を持つ空間として今なお愛されているのではないでしょうか。

フォーラムを通して、このメディアの名前でもある「湯の輪」が広がる瞬間に立ち会えたことに、心から感謝したいと思います。


(文=まもる)

「祭り」という言葉を聞いて、みなさんの頭に浮かぶものはなんでしょうか?

生まれも育ちも東京都の神田の僕にとって「祭り」とは、2年に一度行われる「神田祭」です。

神田祭になると、稲荷湯の前には神酒所が設置され、お神輿や山車の発着点になります。お神輿を担いだり、山車を引いたりしながら、宮入りをして、食事やお酒を飲みながらまちを巡る。神酒所に戻って一本締めて、銭湯で汗を洗い流す。それが僕にとってのお祭りでした。

そんな僕に「銭湯山車」が巡行する祭りがある、という知らせが入りました。

「銭湯」と「山車」

それって曳家のように、銭湯の建物ごと移動させるようなものなのか?

引用:一般社団法人日本曳家協会 HP
http://www.nihon-hikiya.or.jp/hikiya.html

そんな想像をしていたら、しゅんたと参加した「銭湯フォーラム」にて、翌週に銭湯山車が巡行する、という情報を得ました。

はたまた、銭湯と山車が合体して、お囃子なども行われるのか?

これは行くしかない!と思い、僕は10月9日(日)の朝9時に「銭湯山車」の出発地である文京区の白山浴場さんへと向かいました。

この銭湯山車は、文京区の若手建築家グループ「文京建築会ユース(以下、BKY)」の方々が、廃業した銭湯から引き取った銭湯の建材や物品を組み合わせて制作されました。

実際に使われていた品々を廃棄するのではなくて活用するって、とても素敵なアイディアだと思いました。この銭湯山車は銭湯に蓄積された歴史や記憶を後世へと運んでいくのでしょう。

▼BKYさんのホームページはこちら▼

銭湯山車出発

曳き手も集まり、銭湯山車が出発しました

銭湯山車は軽車両として製作されています。巡行の際には警察との協議のもと、二段階で右折をするなどの交通ルールを守って巡行しています。

後ろから見た銭湯山車。煙突もあります。

銭湯山車は建物と建物の間の空地の前で停車しました。
「なんでだろう?」と思っていると「ここは2021年まで営業していた富士見湯さんの跡地です」とBKYの方が教えてくださいました。

その後、銭湯山車はゆっくりと、着実に文京区と台東区を巡行していきました。

銭湯を改装したSCAI THE BATHHOUSEさんの前にも停車しました。

坂道も問題ありません!

終着点は藍染大通り。こちらで締めて、銭湯山車は解体され、次の出番に備えました。

巡行中には、通りすがりの人が写真を撮ったり、中には声をかけてくださったりした人もいました。銭湯山車は、時代と場所を超えて銭湯を繋ぎ、まちに集う人たちを銭湯へと誘う、まさに「壮大な銭湯スペクタクル」でした。

銭湯山車の内部の構造や、活動背景などはこちらのHPよりご覧頂けます。
https://www.sento-to-machi.org/dashi

銭湯の取り組みに参加して

イベントを通じて、色々な方の銭湯の物語に触れてきました。一口に「銭湯」と言っても、全国各地の銭湯を練り歩く人、物品販売をする人、山車を作る人、人によって関わり方は様々であると感じました。

私たち「湯の輪らぼ」はまだまだ若輩者ではありますが、これからの銭湯について考え、実践をしていきたい、そう感じた1ヶ月でした。これからも「銭湯をゆる〜く哲学」しながら精進致します。その折りに、皆さんの銭湯でのお話に触れさせていただけたらこの上なく幸せです。

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