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“東大なのに”勉強がトラウマになってしまった僕の、復学してからの6ヶ月

こんにちは、ゆーのです。


ぼくは「“主体”がゆらぐ場づくり」をモットーに、日々ワークショップや演劇の探究と実践をしている対話と場づくりの人です。最近は、介護やケアなどの事例や、現象学を切り口にして、「わかりあえなさ」のことについてもっとよく考えてみたいと思っているところです。



今日は、ぼくの個人的な話をさせてください。
これからお読みいただくのは、東大なのに勉強ができなくて、どうしてもできなくて、でもそれが悔しくて、つらくて、だから、がんばってがんばって、見えない恐怖とたたかおうとした、ぼくの復学後の半年間の物語

これはいわば、“勉強のつらさ”に関する当事者研究とでも言えるでしょうか。ぼくの七転八倒の日々がどうにか今勉強に苦しんでいる人に届いて、「勉強がつらくてもいいんだ。勉強ができなくてもいいんだ。どうやって自分の悲鳴をも抱きしめられるかが大事なんだ」と、ちょっとでも思ってもらえたらいいな、と思っています。


このnoteは、昨年9月から今年2月までにわたって、ポツポツと書き貯められた11日間の日記で構成されています。

恥ずかしい発言もたくさんあるけど、ほとんど全部、そのまま公開します。リアルな日記です。ぼくのおバカな一喜一憂が丸見えです。恥ずかしい。

それでは、ご笑覧ください。



日記の前に、ちょっと長い前置き。

はじめましての方へ、こんにちは。

ぼくは、現役の東大生です。
専攻は「物理工学」。量子力学や固体物理などを礎に、“小さなもの”の研究がおこなわれているところです。

東大生、というと一般には「すごく賢い人」「なんでもできる人」という印象があるかもしれません。しかも専攻が“物理工学”だなんて、いかにも賢そうですよね。

東大生に対してそういう印象をお持ちの方には、今日ここで皆さんに読んでいただくお話は、少々意外で、もしかしたら期待外れかもしれません。


一昨年の夏、ぼくは大学に行けなくなりました。

正確には、キャンパスに行くことは辛うじてできたんですが、課題はできず、教科書の文字も読めず、きわめつけには教室に入るだけで過呼吸になるようになるような状態でした。

なんでそんなことになってしまったのか、今でもあまりよく分かっていません。

その兆候は高校時代からあったようにも思えますし、ただただ大学での勉強量が足りなかったからなのかもしれません。

きっと、もっといろんな要因が複雑に絡みあっていたのだと思いますが、1つだけ確かなのは「ぼくは、そんな自分が認められなかった」ということです。

「こんなままではいけない」と、どんどん自分を追い込んで、2018年の7月の試験最終日、ぼくは試験を抜け出して、大学から逃げるように休学届を出しました。

休学前、最後の1年間の取得単位数は、25単位。受講単位数は60単位でしたから、実に半分以上にもなる35単位を落とした、まさに惨敗での一時停戦でした。


それから1年が経って、去年の秋。

いまだに教室に入ると、思うように息ができなくなる感覚が残るなか、ぼくは以前と同じ、物理工学科に復学することを決めました。

しかもそれだけではなく、ぼくは復学にあたって、次の年度で進級するために必要な35単位のすべてを、この秋学期で取りきることにしたのです。2学期制の大学では、1学期の授業1つが2単位。つまり、1週間で105分の授業を17コマ受けなければならない計算になります。

しかも、次の年度に進級するために35単位必要なのですから、1つでも単位を落としたら留年。今考えても、本当に本当におバカな決断だなと思います。


よりラクに単位が取れる学科や学部に、転学することもできたし、なんなら休学中には「このまま退学しようかな」と思っていたことさえありました。なのに以前よりも過酷な道を選んだ理由は、ひとえに「ここで逃げたくない」という思いからでした。

たくさんの周りの人が支えてくれていたとは言え、一歩間違えれば、二度と戻ってこれないくらいのダメージを受けてもおかしくなかった道を自ら進もうとしたのですから、やっぱりバカな決断だと思います。

でも、どうしてもぼくはここで「自分」から逃げたくなかった。どうしても、35単位を取りきって進級して、「やっぱりぼくはできるんだ!」と思いたかった


とにかく、6ヶ月後の、この結末は日記に譲ることにします。

前置きが長くなりました。
最初にお読みいただく日記は、復学前夜に書かれたものです。



9月23日 復学前夜。自分への誓い。

翌朝には大学に行かなければならない、という復学前日の夜。

どうしても自分を大切にできなくて、だから自分を大切にしようとしてくれる人のことも大切にできなくて、復学が自分や周りの人を傷つけてしまうんじゃないかって、怖くて怖くて仕方なくなってしまった日のことです。

後悔が怖くて仕方がない。

「本当に大事なものを、大事にできないんじゃないか」


楽しむこと、全力で向き合うこと。

時間を取ろう。向き合うには、ぼくとそのものの間に時間が流れる必要がある。


本当に大事なものを守れないようなヤツになんか、ぼくは2度とならない。


剣を握る僕の手を
握る手があるんだ
『剣の歌』日食なつこ


誰もオレたち兄弟に「あきらめろ」って言わなかったじゃないか!!! 錬金術が無くてもみんながいるさ
『鋼の錬金術師』第108話



9月30日 最初の重い課題を出してみて

復学してから1週間。

数学演習、というかなり重い課題が毎週出される授業の、最初の課題を出し終えた日。そのとき感じていたのは、達成感、というより、これを毎週続けなければいけないことへの恐怖、だった気がします。どうにかして、この「解けた」ときの感覚を保存しようとしていました

とにかく、出せてよかった。全部は解けていないが、満足感はある。
こんな感じで単位は来るのだろうか?という不安はぬぐいきれないが、復学前に宣言した通り「時間をかけた」ということがこの満足感につながっている気がする。

最初はあまりにちんぷんかんぷんで、すぐ「わからない」と弱音を吐きたくなるような問題文も、実は時間をかけるとゆっくりと溶解してくる。
そして溶解は、さまざまなところから起きるのだ。

それは、見たことのある文字の配列だったり、テキトーにやってみた式変形だったり、式の意味がわかったことだったり、先生がくれたキーワードだったり、ちょっと休憩してみることだったりする。

かたいかたい巨大な岩石のようなそれは、
じっくり舐め続けていると、味が染み出してきて、そのうちぽろっと崩れ出す。

かけらが1つ出たら、かなりの前進だ。
かけらを手がかりにして、手元をチラチラと見ながら相変わらずえっちらおっちらと、でも着実に進むことができる。

わからないこと、わかること。
これを明らかにしていくことが勉強なのだ、世界を知ることなのだ、と感じる。
これが、無知の知、なのかもしれない。

無知の知も、大変なものだ。「知らない」という概念を知ってるだけではなく、「知らない」事柄を「それは知らない」と認識するのだから、一度は考えてみなければいけない。

とにかく、手を動かすこと。
手を動かし続けること。それが肝要だと感じた。

頭でなんか考えなくていい。
頭は疑問を発したり、方向性を示したりするだけでいいのだ。
それを聞いて、手が答え合わせしてくれる。そんな感覚。
もし、頭が「こうかも?」という仮説や「ここがわからない」という不安でいっぱいいっぱいになってしまったら、一度別の紙に今の懸念点を書き出してみる。
そして、それらを解決できる“テストコード”を考えてみるのだ。調べるもよし、先生に聞くもよし、とにかく「僕が今考えていることは本当なのだろうか」と調べてみる。解決されたら、次へ向かうのだ。その繰り返し。

次の仮説が楽しみだ。



10月23日 演習発表をした

前の日記から1ヶ月あいて、10月下旬。

数学演習の授業で、前の週に勇気を出して解法の発表者に立候補し、この週で発表をしました。立候補したときの「ぼくなんかが前に立って、あざ笑われないだろうか」という恐怖は意外にも杞憂で、すこし心が穏やかだった日の日記です。

発表の仕方の正解、わからない。
みんな聞いてるのか聞いてないのか、反応がない。先生はこういう気分なのか。

板書も難しかった。
演習発表なので全部の過程を書くわけにはいかない。とはいえ、どこを端折ればいいかの判断も、意外と即座にできない。発表に特化した準備が必要だったかも。

僕はどうやら、数式を口に出すことに慣れていないらしい。「これが」とか「こういうふうに」とか、指示語を多用したがる。授業を受けているとわかるけど、指示語を説明に入れられると理解が進みにくい。よくない。

それでふと思ったが、口に出す、という勉強法はありかもしれない。2のn乗、は、口に出したほうが、より「2のn乗」感が出る。それがとてつもない数になりうることを認識できる。目だけで追うより、数や数式のありがたみが実感できるのだ。


今回、レポートを出すにあたって最初は苦戦した。

2回前、つまり前回このメモを書いた次の回の演習がさらさらっと解けすぎた(しかもいい点が来た)からかもしれない。それでたぶん僕は、自分が頭がいいと勘違いしてしまった。

こういう説もある。
「発表するなら適当では済ませられない」と最初から完璧に理解しようとしたのだ。それで一行わからないたびに手が止まる。そうして頭だけが空回りして、額に脂汗が滲む。


今回、この危機をどう乗り越えたのか、僕にはわからない。

でも確かに、進歩しているのだろう。
思い返してみるに、これまでの僕だったら出会えていなかった、2つの発想の転換点があった気がする。

1つは、「とにかく手を動かそう」と思えたことだ。脂汗を感じながら、このやり方ではいけないと思えたのだ。

少しでも前に進むために、とにかく調べた。見つけた資料のわからないところは、計算してみた。それでもわからないところは、「何がわからないのか」をメモして次に進んだ。とにかく、手を動かしたのだ。絶対に、動かし続けた。

もう一つは、「発表では、あるものを出す」と思えたこと。

すごい、と思われたいとか、完璧にしなければ、とか。そういう、僕が「発表」に対して抱いている偏見と妄想はかなぐり捨てた。等身大の自分を、解答にのせて運べばいい、「発表」とはそれだけの話なのだ。

もちろん完璧に偏見を排除することはむずかしくて、ふとしたときに頭をよぎってしまうのだけど、そのたびに、手を動かし続けて頭の外に追いやった。「発表は怖くないよ」とか「不完全でもいいから」という言い訳も外に追いやって、「あるものを出す」というある種の覚悟だけを心に残して、手を動かした。僕が今回やったのは、単純にそういうことだ。

登ったことのない梯子を今登れるはずがない、という大前提。
そう認める覚悟と、だからこそ、まさに今手をかけて登り始めること。その2つが今回の僕を救った。

これは、数学だけのことじゃない。今後の僕の人生で大いに生きてくるのだろうと思うと、ちょっと嬉しい。



11月12日 今期初めてのテストを受けた

またまた3週間くらい空いて、11月中旬。

復学してから、はじめて「テスト」と名のつくものを受けた日。2週間前から気が気ではなくて、家の近所のマックに篭っては、テスト勉強とは何をすればいいのか検討もつかないまま、ただひたすらにマックポテトLを食べる手だけがよく動いていました。そんな日々のあとに受けたテスト。

水圏デザイン基礎のテストを受けた。
たぶん、単位は取れただろう。とりあえず、ほっとしている。

ちゃんと時間を取る、ということだけができたテスト勉強だった。

やっぱりテスト勉強は苦手で、「なにをやっても落ちるかもしれない」という漠然とした不安がずっと心にあった。よく、勉強の手が止まって、ぼーっと、ただ焦っていた。

あんまりこのテスト勉強を振り返りたくもない。
結果的に功を奏したけど、こんなかんじで良かったのだろうか?

「いいんだよ、結果がすべてなんだよ」と、心の中の山崎のおっちゃん*が言ってくる。
ちょっと可笑しい。これで良かった気がしてきた。僕も単純なものだ。

*山崎のおっちゃん:学生相談室のおじさん。復学前から、さまざまな相談に乗ってもらった。本当に本当にお世話になった。復学を後押ししてくれた人の一人。


「じゃんけんで勝ったら、迷わず先攻」
そう言って、目を細めてニヤニヤしているおっちゃんの顔が浮かんでくる。僕は、先攻できたかな、おっちゃん。なんでこんなにおっちゃんのことを思い出すんだろう。

ため息がつけた。息ができる。
久しぶりに安心できた気がする。この2週間くらい、ずっと追い立てられていた。テストに、というより自分に。

辛くなきゃいけない、なんてことはないのに、テスト勉強になるとどうしても「つらい自分」を求めてしまう僕がいる。そんな気がする。つらい僕は「つらい」と言えず、僕を見下ろす僕に「えらいね」とだけ言われて黙り込んでしまう。

「えらい」じゃなくて、つらい、って感情を抱きしめてあげられたらいいのにね。
でも、「つらい自分」を求めてくる僕も、責任感があるってだけ、なのかもしれない。どっちもえらい、か。ぎゅー。


これまでの日記で、僕は「手を動かすことが大事」「偏見をも、頭の外に追いやって」と言った。自分で言ったことなのに、そういうことを全部忘れてしまったくらい僕はテストが苦手だったらしい。いろいろ積み重ねてきた知識や経験則を吹き飛ばして、ただ漠然とした「焦り」がドンと心と頭のど真ん中に腰を据えていた。

そのときに、唯一忘れていなかったのが、「ちゃんと時間を取ること」だった。

「ちゃんと時間を取ること」は、僕が復学するにあたって自分に誓った言葉だ。なにをするにも、大事なものを大事にするためには「ちゃんと時間を取ること」を怠ってはいけない。僕は、蔑ろにしてしまいがちな身の回りにある様々なものを大事にするために、そう言った。こうやって日記を書いているのも、がんばった僕を大事にするため、とも言えるのかもしれない。

今回僕はこの言葉を「時間を取らなきゃいけない」という、ネガティブな意味で捉えてしまった。それでもこの言葉はこのテスト勉強に際して最後のセーフティーネットになってくれた気がする。

ただ、もっと前向きになれるキーワードを見つけた。この日記に既に書いた言葉だ。
それは「ジャンケンで勝ったら、迷わず先攻」だ。山崎のおっちゃんのあのニヤニヤ顔とともにこの言葉を思い出す。

テスト勉強をしよう、と思い立った時点で僕はジャンケンに勝っている。テスト、という敵はまだ来ない。僕は、今授業資料を前にして先攻を選ぶ機会を与えられているのだ。

だったら、先攻を選ぶしかないだろう。
試合結果がどうなるか、なんてどうせ誰にもわかりやしない。もちろん、先攻だとしても敵の攻撃のターンまでに、もしかしたら僕は空振りを続けるかもしれない。でも、それがなんだ。今、僕が、この手もとに持っているのは、一歩でも勝利にちかづけるチャンスなのではないのか?勝利への意欲を、行動に変換する。その仕組みが目の前にあるのだから、利用しない手はないのだ。



12月9日 なにかが切れてしまっていた

11月中旬の怒涛の3連続のテストが終わって、疲れ果てていた12月。

そろそろ1月のテストに向けて勉強を始めなければいけない、と思いつつも身体が動かない日々を過ごしていました。それをどうにかこうにか、元に戻そうとしていた日。

3週間前の中間テストが終わってからというもの、風邪をひいていたのもあるかもしれないけど、どこか調子がおかしい状態が続いていた。この週末だって、何かから逃げるようにだらだらと布団でYouTubeを見ていたし、なんだか、勉強から逃げるような予定の入れ方をしてしまう。

どうしてだろう、と、今日時間をとってちゃんと考えてみた。
たぶん、「ワクワク」が足りないのだと思う。

勉強が嫌いでも苦手でもなくなった今、どんな課題もテストも「やればできる」ものな気がしている。もちろん「やらなければできない」ので、テスト勉強も課題も1つずつしっかり取り組むべきなのだが、その1つずつのテストや課題に対してどうしても興味が湧かないのだ。

以前は、勉強、特に数学の勉強、という広範な行為そのものへのチャレンジにワクワクしていた。以前の自分にとって到底無理だったものを、今の自分が超えていく、その快感が楽しかった。だから、数学演習のレポートにも精力的に取り組んでいた面はあるのだろうと思う。

それが、テストが終わって学期も終盤に入った今、「僕はやればできるらしい」と傲慢にも気づいてしまったのだ。それはいい変化ではあるのだが、同時に目標の喪失を意味していた。

だから、今、新たに目標を立てる必要があったのだ。

正直、この1つ1つの基礎学問の、1つ1つの問題を面白がることは僕にはできない。そんなことをしていたら時間が猛烈にかかってしまうし、そもそも興味がない。僕は、新しい何かを自分が生み出すことのほうが面白いと思ってしまうのだ。

次なる目標は「来年、物理工学科優秀卒業論文賞を獲ること」だ。

正直、これは僕にとってとてもとても難しいことだと思う。なにせ、落とした単位数は莫大だし、まじめに聞いていない授業も多い。基礎ができていない。

でも、僕は絶望的に思える壁を登ることを得意としてきた。これまでだって、幾度となく
「無理だ」と思われることを成し遂げてきた。そういう人生だった。なぜそういう人生を送ってきたか、というと、それが一番僕が楽しいからだ。

早速、過去の「物理工学科優秀卒業論文賞」の受賞者のコメントを読んでみた。みんな、3年生までの基礎が大事だと言っている。その理由は様々で、他の人に適切にアドバイスをもらうため、失敗を次へのステップに変えるため、研究テーマに愛着を持つため、など。今のうちから基礎科目を頑張る理由が、ここにある。

時間をかけて、じっくり楽しく勉強しよう。
そうして、来年の卒論で僕は、大逆転の優秀卒業論文賞を獲るのだ。



1月7日 テスト勉強のやりかたに、暗中模索。

テストラッシュの1月。

前回の日記とは裏腹に、思うようにテスト勉強に身が入らない日が続いていました。1月最初のテストを目前にして、今一度、等身大の自分の思いを見つめ直した日。

もうすぐ、テストがある。トップバッターは明後日の数学及力学演習1。2年前よりは確実に勉強しているとはいえ、不安で仕方がない。

このくらいの勉強量で単位は来るのだろうか?
もっと勉強するにはどうすればいいのだろうか?
何を勉強すればいいのだろうか?
どのくらい時間をかければいい?
直前期の今、何をすればいい?
なにをもって「わかった」と言えるのだろう?
そもそも、ぼくは何を理解できていないのだろうか?
もしかして、テスト勉強に「理解」は不要だったりする?

悩みは尽きない。一つ一つの悩みが柱の影に隠れて、姿を見せぬままぼくを脅かす。

ぼくには決まった勉強法、というものがない。何しろテスト勉強を近年してこなかったのだから、やり方がわからないのだ。数学演習とかを通して、通常の課題や日々の授業との向き合いかたはなんとなくわかってきたけど、テストは全くの別物だ。

ちょっと勉強法を調べてみたりした。それで思ったのは、やっぱり「わかった」という感覚は、暗記でも理解でもない、ということ。「わかった」というのは「身体感覚におちた」ということだ。だから、反復が必要だし、さまざまなこととの結びつきが大切なのだし、教科書を読むだけではなくて実践が大切なのだ。

…ということは、頭ではわかっている。前からずっと。テスト勉強を始める前からわかっていたことを、再確認したに過ぎない。では、どうやってぼくは、授業で学んださまざまなことを「身体感覚におとす」ことができるのだろうか。それが問題なのだ。

それが勉強法と呼ばれるものなのだろうと思う。中間テストで、ぼくは一度書いたことはなかなか忘れない、ということを学んだ。まさに、書いたことを次の学びの礎とすることができるのだ。それも、iPadではなくノートに書くほうが良い気がしている。うん、そうしてみよう。



1月8日 テスト前日

次の日は、2年前、休学前に落とした試験。

2年前のぼくには、この授業が全くわからなくて、怖くて、途中から出席すらしなくなったほど。この日もまた、2年前と同じように逃げたくなっていたけど、どうにかこうにか、その気持ちを抑えようとして日記を書いていた気がします。

毎回、前日になるまで心が定まらない。そもそも焦りで文字が読めなくなっているのだからしょうがないが。

気をつけるべきことは2つ。

・「完璧」を目標にせず、「えいやっ」*のスッキリさを味わうために今がある。

  →「えいやっ」をしないと、いつまでも心の中でモヤモヤする。

・息ができなくなってきたり文字が読めなくなってきたりしたら、それは心が「今・ここ」の身体から離れてしまっているサイン。

  →心と身体が「今・ここ」で合致するために、「今のぼくはなにをしたいか」「今のぼくはなにを感じているか」ということを考えてみる。やってみる。

*「えいやっ」:清水の舞台から飛び降りるような気持ちでテストを受ける、ということ。今でも気に入っている言い回し。できることをやって、スッキリ気持ちよく「えいやっ」とテストに踏み切ることを大事にしようとしていた。



1月9日 最初のテスト終わり!

3日連続の更新。それほどこのテスト(数力演習)が怖かったんです。

ぼくにとって日記は、心の拠り所でした。こうして自分の感じたことを書いておかないと、また昔の自分に戻ってしまいそうで怖くて仕方なかったから。
この日は、テストがうまくいって嬉しかった日。ちょっぴり浮かれてます。

数力演習のテストが終わった。

ちゃんと勉強してた前半部分は、ほぼ解けた。後半ももう少し時間があればもうちょっと解けたのにな。たぶん、単位は大丈夫だろう。

心がほぐれた。

こういうふうに、これまで不安でいっぱいながらにやってきたことが実るのか、という実感がふんわりとぼくを包んでいる。

ぼくは弱っちい。
「東大生」というたった3文字の肩書きが重すぎて精神をやられてしまうほど。

試験でも、わからないことがあるとパニックになって、すぐ、まともに文字が読めなくなる。爪も噛んでしまうし、何もかんがえられなくなって、ひたすら汗が流れてくる。絶望的に「がんばること」に向いてない不良品。不良品として生きなければいけない地獄。

そんな地獄から、ようやく這い上がってきた。いや、地獄で生きる術を会得しただけかも。


でも、それでもいい。

勉強が嫌いだったから、
だからこそ絶対に、勉強を楽しむことを諦めたくなかった。

うまくいかなくて、教室に入るだけで過呼吸になってしまっていた2年前。

こんなこと言える日が来るとは思わなかったから、すごく嬉しくて「よくがんばってきたね」って思いがこみ上げてきて、ちょっと泣きそう。

ただ、こんなこと言っておいて単位落としたら結構面白いけどね笑

まだまだ、終わったわけじゃない。むしろ、人生では、これからたくさんの勉強がある。気をゆるめるとすぐに勉強を嫌いになってしまいそうだけど、だんだん「勉強が好きだ」と思える時間が長くなっていけばいいな。

とりあえず直近のテストに向けて、がんばろう。その科目にかけるべき時間と、どういう方向性でやるのかだけはふわっと決めておいて、それだけを計画と呼んで、

あとは、「いま・ここ」のぼくがやりたいように勉強しよう。時間と方向性だけ決まっていれば、なんとでもなるから。

すべては、当日ステキな「えいやっ」ができるために。



1月27日 統計力学第二試験前日

統計力学第二は、再履修ではなく、新しく受けた授業。

この授業は、先生が前年から変わってしまったから過去問を勉強していればいいわけじゃない、うえ、ぼくは統計力学“第一”を落としている、という、一番の強敵でした。そんな試験の日の前日。2年前のちょうど休学直前期のころのように、慢性的な息苦しさと不眠症を併発していたときのこと。

昨日、一昨日と風邪で寝込んでいたことも相まってか、試験がすごくつらい。

勉強の方針も今までで一番、ちゃんと立てられているのに、勉強した内容が頭に入ってこない。少しめまいもするし、あの息苦しさもある。楽しいことがないように思えて、TwitterとYouTubeをついみてしまう。

結局、ぼくは自己肯定感の源を、自分の外側にたよってしまっているのだろうか?さっき、Twitterで知り合い、初めて会う人に「自分を追い込みそうな人ですよね」と言われて、考えている。自分のやることを“自分”の一部として取り込むのは責任感があってよいことだけど、そこに自分の“芯”を委譲してはならないのだ。今回、試験期間に挑むに当たって、ぼくは“試験”というものを“自分”の一部として取り込んだが、そこに自分の“芯”までもをおいてしまった。“試験”以外の要素も、ぼくという人間には余りあるほどあるのに、そのことを忘れてしまっていた。

不思議なことだ。「試験に落ちても良い。なんなら落ちた方がたのしそう」と心から思っているのに、試験がつらいだなんて。でも、「試験はがんばる」と決意したときに、そこに自分の“芯”が委譲されてしまっていたと考えると納得がいく。

そう書いているうちに心がおちついてきた。息もできる。急に体がおもい。ねむい。ちゃんと疲れを感じれていることがこんなに幸せなんて。今回みたいに、“芯”を自分の外にもっていかれるのはよくないね。でも、今日のおかげできっと次はもっと早く気づけるよ。

明日はたのしく「えいやっ」ができるといいね。



2月4日 ガーン、やっちゃったかも。

統計力学第二のテストは案外カンタンで、うまくいき、そしていよいよテスト期間の最終週を迎えていました。

「この週の4つのテストを片付けて、ぼくは華々しく進級するんだ」と、この試験を受ける直前までは信じていました。夢を、見ていました。

電磁気学第一のテストが終わった。90分と時間も短かったこともあって、うまくいかなかった。やっちゃったな…。レポート1つ出したから救済は望めるけど、テストの正答率はよくて50%くらい。これは、もしかしたら留年かもしれない。

振り返ってみよう。そうして、留年するかもしれない可能性が高まったことを頑張って受け入れてみよう。

今日、うまくいかなくて初めて分かったけど、今までうまくいっていた試験では、問題を見たら「あ、ああいう種類の問題だ」と、その問題がもとめていることや、見いだしてほしい道筋みたいなものが見えていた。それが今日の試験では、問題に書いてある言葉も式も知っているのに、解きはじめるとすぐに詰まってしまうことが多かった。「多角的にわかっていなかった」とか「練習量が足りなかった」とか、この感覚にはいろんな説明の仕方があるとおもうけど、ぼくは「解法の荒海のなかでぼくを曳いていく、“身体のちから”が弱かった」と言ってみたい。解ききるには、自信も経験も、今日のぼくにはなさすぎたんだ。

テスト勉強は、結局のところ「どれだけ本番にちかい経験を、どれだけたくさんできるか」ということに尽きる気がする。
“ちかい”というところにはいろんな要素がある。問題が出される「分野」や、計算なのか証明なのかという「問題形式」だけではなく、テストの式の「表式」や「フォント」、みたいな細かいところも、ぜんぶだ。
この“ちかさ”と“量”は必ずしも、どちらもやらなければいけないわけではない。過去問のとおりに出題されるのであれば、過去問だけをやればよくて量はいらないだろう。

今回は、ちゃんと網羅的に勉強したおかげで、電磁気学をこれまでで一番理解できた気がしたし、それは事実だったと思う。しかし、それで満足してしまっていた。慢心もあった。「理解していれば、解ける」という、以前のような間違った思い込みが、心の奥のどこかにあったのだと思う。正解はこっちだ。「目的によって、理解と“解ける”を使い分ける」こと。ぼくは今回、目的を見間違えていた。テストで解けるためには、最初に言ったとおり「どれだけ本番にちかい経験を、どれだけたくさんできるか」ということに尽きるのだ。

は〜あ。あと3教科ある。今は、お昼ご飯を食べ終わって、家に帰ってきたところ。机にむかって、一昨日新しく買ったワイヤレスイヤホンでNorah Jonesのアルバムを聴きながら、2時間前の自分とがんばって向き合おうとしている。

あと、3教科かぁ。正直、ちょっと気持ちを緩めれば心が折れてしまいそうだ。「どっちにしても留年でしょ。いいじゃん、遊びなよ」って、ぼくが言ってくる。そうだ。たくさん遊びたいし、ワークショップの勉強したいし、見たい映画もある。

…でも、ここまで考えて、やっぱりモヤモヤが気になってしまう。このモヤモヤは、たしかに試験のせいで感じているものだけど、かといって試験から逃げてもなくならない。それは、2年前のこの時期に嫌というほど思い知った。試験を受けずに教務課にもらいに行った休学届は、想像以上にフツウの見た目をしていて、ぼくの心は試験会場に置き去りにされてしまっていたようだった。

「結局、最後までやりきれないんだな。おまえ、変われてないよ。」って、隙をついて誰かが語りかけてくるけど、そういう声も振りはらって、ぼくは次の試験の勉強をする。今日の二の舞にはならない。なにせ、ギリギリを生きていて明日のテストも明後日のテストも明明後日のテストも、テスト勉強がぜんぜん終わっていないのだ。

本番とできるだけ“ちかい”勉強を、できるだけ“たくさん”やること。
結局それに尽きる。

電磁気学第一の単位を落とすのも、留年するのもすごくツライ*ことだけど、それは試験が終わってからゆっくり向き合っていけばいい。今日は、良い反省ができたとして、それで置き去りにしていく。今日は今日、明日は明日。明日は明日の風が吹くっていうけど、明日は明日の試験がぼくを待ちわびて臨戦態勢をとっているのだ。ぼくは今から、試験勉強という名の先制攻撃をしにいく。

*留年するのもすごくツライ:ぼくは次の年度で進級するために、1単位でも落としたら留年、という悲惨な履修を組んでいました。(『前置き』参照)



2月7日 最後のテストが、終わった。

最後の試験の日。

苦手な教科だったけど、今までで一番授業内容を理解できたうえで挑んだはずでした。それでも力不足で、計画不足で、不足しているものを挙げたら限りがないけど、とにかくもう全ては終わってしまったから、途方に暮れていた帰り道。

たぶん、落ちた。頭ん中がグワングワンする。とりあえず自転車を漕いで家に向かうけど、なんだか自信がない。進む気もない。「そっか、結局おまえってこんなもんだったんだ」と、もう1人の自分が囁いてくる。「そんなことない!」とあらがう元気は、ぼくにはもうないみたいで、よくわからないまま家に帰ってきた。

お母さんに電話をかける。なかなか繋がらなくて、一旦切る。
自分がどんな状態なのか、皆目見当がつかない。なんだか、空っぽの気分。たしかに悔しさや不安はあるけど、それを受け取る器ごと、どこかに落っことしてきたような、そんな空虚さ。楽しみだったはずの春休みの予定たちも、今は色あせてみえる。自分が何をしでかすか、ぼくにはもうよくわからなくて「死ぬのだけはよくないからね」と自分に自制をかけておいた。

ぼんやりしていると、自分の状態がわかってきた気がした。あんまり過ぎ去ったことを振り返らないほうがいいんだろうな、って気持ちと、振り返らないと自分が頑張ったことまでもを否定することになってしまいそうで怖い、という気持ちが拮抗していた。でも、そういう気持ちもどこか他人事で、空虚なぼくはそういう2つの気持ちのやりとりを眺めているだけ、って感じ。


お母さんから電話がかかってきた。助けてほしくて自分から電話したはずなのに、声を聞いたら自分がどうにかなってしまいそうで、一瞬出るのをためらう。

お母さんがぼくのことを気にかけてくれているのはよく知っていた。テストに落ちたかもしれないことや、なにがなんだか分からなくなって助けてほしいと思ってることなど、言いたいこと・相談したいことはたくさんあったけど、気にかけてくれてるからこそ言い出しにくくて「なにしてたのー」なんて言っちゃう。今思うと、照れ隠し、だったのかも。

「テスト今日で終わったんやけど、たぶん落ちたんよね。それで一人じゃ整理つかんから、お母さんに助けてほしくて」ってついに言えた。「助けてほしくて」なんて半年前は言えなかったから、それだけでも自分は進歩したな〜って思ったりした。


でも、冷静だったのはそれまでで、それからは、お母さんが「うんうん」と話を聞いてくれるもんだから、どんどんどんどん言葉がほぐれてきて、結局のところ泣き出しちゃって。

そうして、最後に涙と一緒に出てきた言葉は「怖かった。つらかった。」だった。

言ってみて初めて、自分でも認めることができた。「そうかぁ、この半年、怖い勉強にずっと耐えて立ち向かってきたんやなぁ。不安になったときも、逃げたくなったときも、ずっと1人で東京で耐えてきたんやもんなぁ」っていうお母さんの言葉は、ぼくの言葉になって、この半年ずっと臨戦状態だったぼくの心を溶かしていった。戦闘用の鎧を剥がされたぼくは、まるで幼稚園児みたいに泣きつづけた。


電話を終えてから、お母さんに言われた通り、大きな深呼吸を1つした。

まだ胸につっかえるものはあるけれど、これは未来に向けた深呼吸。「留年」も「落単」も、まだまだ怖い。でも、この半年、あんなに怖かったものに向き合ってきたぼくの涙は、これからの足場になる。涙の分だけ強くなれた、ってわけじゃないけど、ぼくはたぶん、涙の分だけ自分を信じることができるようになった。


こんなにがんばってきたんだ。
えらいじゃないか、ぼく。

そうやって鎧の下の幼稚園児をあやしながら、今度はもうちょっとだけ自信をもって、次への一歩を踏み出してみたいと思う。


よっしゃ、とりあえずは春休み!
楽しいこと、たくさんするぞー!



ぼくが、ほんとうに伝えたいこと。

日記はこれで全部です。ここまで長々と読んでくださって、ありがとうございました。


成績発表がまだなので、ほんとうに単位を落としたのか、まだぼくにもわかりません。でも、やっぱり最後見た景色は、復学当初に描いていた夢や“完璧さ”とは程遠いものでした。以前のぼくならば、こんな結末は許せなかったでしょう。


それに、仮にも22歳の成人男性が、2学年下の後輩が受けているような授業の単位を落として、しかも、母親との電話で声をあげて泣くだなんて、ふつうに考えて「ダサい」と人は言うでしょう。これも、以前のぼくなら、こんな自分は許せなかったに違いありません。

それにぼくは一応、東大生。日本中のいろんな人に「東大生がこんな具合では、日本の将来が思いやられる」と言われても仕方ないかもしれません。


だけどごめんなさい。悲しいことに、これがぼくなんです。

東大なのに、大学にすら行けず、勉強が怖くて、がんばった結果も中途半端。なんの栄光も輝きもないような、ダサくてよわっちい大学生。






だけどね。

ぼくがこのnoteでほんとうにほんとうに言いたかったのは、そういう、「ダサい」とか「将来が思いやられる」っていう“評価”は、マジで所詮、他人事だってこと。

勉強は残酷です。点数、というわかりやすい指標が、あたかも人に「優劣」があるかのように思わせる。でも、今「勉強がつらい」と思っているあなたに言いたい。


あなたは、あなたのままでいい。
勉強ができないままでいい。弱いままでいい。ダサくていい。カッコ悪くていい。笑われてもいい。周りの人は「将来が〜」とか「他の人は〜」とか言うかもしれないけど、あなたの「つらい」という声を受け止めてあげられる人は、あなたしかいないんです。まずは、あなた自身の「勉強がつらい。勉強が怖い。」という声を抱きしめてあげてください。


がんばるのは、その後でいい。

ぎゅーーーーーーっと抱きしめて抱きしめて抱きしめて、ほんとうに心が素直になれたとき、自然とがんばれるようになるから。


だから、泣きながらでもいい。カッコ悪くてもいい。弱くても、ダサくてもいい。自分を抱きしめながら必死に勉強して、勉強しながら必死に自分を抱きしめてあげて。

勉強とは、あなたが、あなた自身の心と対話しながら、頭と同時に心も成長させていく営みです。あなたの心を、置いてけぼりにしないであげてほしい。


さっき、「悲しいことに、これがぼくなんです。」と言いました。

訂正。


“こんなぼく”だけど、ぼくは“こんなぼく”でよかった。ぼくは、こんなダサいぼくを抱きしめてあげたいと心から思っている。

ダサくて上等。「日本の将来が〜」とか言ってくる人は、ほんとうにどうでもいい。ぼくを守れるのは、ぼくしかいないから。

だからね、今あなたが「勉強がつらい」と思っているなら、そんなダサいあなたを抱きしめてあげて。“そんなあなた”だけど、“そんなあなた”でいいんだから。



正直、ぼくもまだまだ、こうやって書きながら涙が出てきてしまうほどには、意気がってる。意地を張ってるし、ちょっと背伸びもしてるかもしれない。

だけど、ぼくはこのnoteが、「勉強がつらい」と思っている人みんなにとって、ちょっとでも自分を抱きしめるきっかけになれたないいな、って、心の底から思っているから。





全世界の、勉強がつらいみんなに、届け。





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