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〈オンラインであるってことは障壁には感じない〉 関係性とは、どういうものか

こんにちは、ゆーのです。

自己紹介↓

対話と場づくりの人。散策者所属。東京大学物理工学科。ワークショップ企画運営の軸に《場のゆらぎ》を据えています。関心キーワードは現象学、組織文化。最近はもっぱら、オンラインにおける対話の可能性と限界について考えています。Twitterはこちら


さて、このシリーズ『オンラインにおける対話の可能性と限界』とは、その名の通り「オンラインにおける対話」についてさまざまな学問から知見を借用しつつ考察をするという企画です。

ちなみに、第一弾にはこんなことを書きました。

さて、今回紹介するのはあるヒアリングの分析です。

途中、長い生データが登場しますがぜひじっくり読んでみてください。むしろ分析よりも、そういう語りの方が多くを語ることもあります。

それでは、どうぞお付き合いください。



0. はじめに

緊急事態宣言が出てから、2ヶ月が経ちました。第二波への警鐘が鳴らされつつも、街にはだんだんと賑わいが戻ってきているような気がします。

この2ヶ月を経て私たちは、これまで当たり前としてきたたくさんの物事が、実は非効率的だったことに気付きました。

会議などの対話の場も、そういうものの1つでしょう。今後感染が収束したとしても、少なくともそういう場の一部はオンラインにとどまり、より最適化されていくことだろうと感じています。


ただ、ここで気になるのは「オンラインにおける対話は、オフラインにおける対話と同じものなのだろうか?」ということです。それらが違うものであるならば「どう違うのか」ということも同様です。

この文章ではある大学生(Aさん)にヒアリングを行い、現象学的分析の手法を用いて、その語りから背景にある構造を見出すことを目的としました。また、ヒアリングでは詳細な質問項目や目的を設定せず、筆者がその場に応じて質問を投げたり相槌を打ったりしながら進める、という手法をとっています。


ヒアリングの概要を知っていただいたところで早速、本編にまいりましょう。まずは、分析全体のスタート地点でありゴール地点でもある概念【背中を預けあってるみたいな感覚】からご紹介します。



1.  【背中を預けあってるみたいな感覚】とオンライン

[語り1]
Aさん えっと(オンラインにおける対話に対しての)プラスの印象っていうのは,まあまさに昨日のだったんだけど,まあ5人で話してて,(中略)ま2人メンターがいて,であと3人学生がいてって形で,(中略)学生がこう,自分たちが起こしたい事業の内容とかどういう人をターゲットにしたいみたいな話を持ち込んで,でそれに対してビシバシみんなで学生もメンターも含めてみんなで叩き合うみたいな.なんかそんなメンタリングだったんですけど.
でもなんかこの5人の間では,すごく信頼関係みたいなものがあるというか.お互いこうなんか,なんだろう背中を預けあってるみたいなそんな感覚があって.元からたびたびメンターとか〇〇とかには会ってはいたりするから,ままずそこでま対面でそもそも会っていた,っていうもう1人もそうか.もう1人は途中で参加して,ちょっと日は浅いんですけど,まそれでも,なんだろう,んー...なんだか安心できる空気感があるのが不思議なんですよ.
(中略)
人としてすごい尊敬できるんですよね.「あこんな人になりたい」みたいな.そういう尊敬がまずあって.でなんかその人として尊敬してるっていうのは,一緒にいた他の2人の学生ももちろんそうで.年は近い,ですけど,でもこう,今まで生きてきた背景も違うし,持ってるスキルも全然違うし.なんかお互いがお互いに尊敬しあえて,こう切磋琢磨できているというか,なんかそんな関係なのかなって思っていて.なんかそれがあった上だったら,別にオフラインだろうがオンラインだろうが,なんか手段の壁ってないような感じがするんですね.だからあの5人だと私はそんなに,オンラインであるってことは障壁には感じないかなって思ってるん,ですよ.

この語りは、「オンラインの対話で特に印象に残った瞬間は?」という筆者の質問に応答するかたちで、ヒアリングの一番最初で語られたものです。

ここに、今回の文章の中心となる概念が登場します。

1.【背中を預けあってるみたいな感覚】
昨日メンタリングをしていた5人の間でAさんが感じている感覚。〈なんだか安心できる空気感〉とも。重要な点として、この関係の上では〈オンラインであるってことは障壁には感じない〉。

実は、今後紹介する[語り4]には〈そのコミュニケーションめちゃむずいんですよね,オンラインになってから〉という語りがあるので、必ずしもオンラインにおけるすべての対話がAさんにとって障壁なく行われるというわけではありません。ここから、この【背中を預けあってるみたいな感覚】という概念が、〈オンラインであるってことは障壁には感じない〉ことに大きな影響を及ぼしているであろう、ということがわかります。

今回は【背中を預けあってるみたいな感覚】を中心的なテーマとみなし、その構造を明らかにすることを目的として以降の分析を進めていくことにします。

ということで、以下2つの問いをに設定して次章に進んでみましょう。次の語りは少し長いですが、これらを頭に起きつつ読んでいただければと思います。

第2章 分析の問い
a.【背中を預けあってるみたいな感覚】はどのように生まれてくるのか
b.【背中を預けあってるみたいな感覚】の基盤となっている価値観はなにか

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2. 【話し始める前の、クッションみたいなもの】

[語り2]
筆者 
背中を預けあってるみたいな感覚って言ってたけど,それが特になんかなんだろうな,感じられた瞬間みたいなものがあれば,教えて欲しいかもしれないですね
Aさん うーんそれはなんか瞬間,瞬間なのかわかんないんですけど,なんか間にそれを一番感じるなって思います.
筆者 あ,なるほど?
Aさん 間ですね.なんかパスをしあう間?(中略)うーんなんかお互いに感じ取れてる,なんかお互いにかんじ取り合いながらこうパスをしたりとか,自分の発言をしたりとかっていうことが,できていたのが,背中を預けあっている感覚なんじゃないかなって思います.
筆者 なるほど,お互いに感じ取りあいながらパスをしたり,かぁ.それって,どう感じ取ってるんですかね
Aさん んー,そうですねぇ.んーでもなんかこう,んーっと,なんか言いたいことをズバズバ言うっていうよりかは,なんかこう話し終えた瞬間とかに,たとえば私は「〇〇さんちょっといいですか」みたいな感じで,ちょっとこうなんだろう,これから私が話し始めたいんですけどみたいな合図をはじめにちょっと送って,「うんうんいいよいいよ」ってなってから話し始めるみたいな.そのーこと,話し始めるまえの,クッションみたいなものも作っていたのかなぁと思ったりして,私の場合はですけど.うーんその,んまあそれとかは一個それですよね.話してもいいですかってことを確認してそれができるっていう安心感を得るっていう.
筆者 それが,そのー言葉で「〇〇さんちょっといいですか」っていう感じで「あいいよいいよ」っていう,そこのクッション.逆に,じゃ今は話しはじめる側だったけども,逆に受け取る側の時とかは
Aさん 受け取る側...,んー,自分から他の4人にパスするってことですよね.
筆者 自分から他の4人にパスする...,あそっちでもいい,あいや「〇〇さんちょっといいですか」ってAさんが言ったんじゃなくて?
Aさん ああ,私が言いました.そうですね.んー,なんか他の人,私が話してて他の人が入ってくるみたいな時は別にそんなことはしなかったなぁって今思いだしたんですけど,んー,なんかなんとなく私は,こう,自分の主張を,んーっと言語化が難しいんですけど,んっと自分の主張をこうなんか一方的にわーって言うみたいな感じよりも,こう人と一緒に,作っていくだったり,築き上げていくだったり,なんかそういう感覚で話をすることが結構多くて.なんかその感覚があったから,なんかさっきみたいなクッションとかも挟まずに,なんか自然ともう,それをやってたような気がしていて.なんかだから相手のフィードバックが欲しいと私も思っているし,なんかそもそもコミュニケーションをするんだっていう前提が私にある気がしていて

まずは、前章で設定した『問いa.【背中を預けあってるみたいな感覚】はどのように生まれてくるのか』について分析してみましょう。

ここで、2つの重要な概念が登場します。

1-1.【パスをしあう間】
4段落目の〈なんかお互いにかんじ取り合いながらこうパスをしたりとか,自分の発言をしたりとかっていうことが,できていたのが,背中を預けあっている感覚なんじゃないかなって思います〉という語りから、【背中を預けあってるみたいな感覚】
 ①  〈(【パスをしあう間】を)お互いに感じ取り合〉う
 ②  〈パスをしたり、自分の発言をしたり〉する
という、2つの手順で達成される。

1-2.【話し始めるまえの,クッションみたいなもの】
6段落目より、1-1.【パスをしあう間】の1つ目の要素である『〈(パスをしあう間を)お互いに感じ取り合〉う』はさらに2つのステップに分解できることがわかる。
 ①'  〈話してもいいですかってことを確認〉する
 ①'' 〈それができるっていう安心感を得る〉
この①' と①'' のプロセスが【話し始めるまえの,クッションみたいなもの】を作ることにあたるため、【話し始めるまえの,クッションみたいなもの】を作ることとは、『①〈(パスをしあう間を)お互いに感じ取り合〉う』の言い換えだと言える。

ここから、『問いa.【背中を預けあってるみたいな感覚】はどのように生まれてくるのか』についての1つの答えが与えられます。つまり【背中を預けあってるみたいな感覚】は、①【話し始めるまえの,クッションみたいなもの】を作ってから ②話し始めること によって生まれるものなのです。


次に、『問いb.【背中を預けあってるみたいな感覚】の基盤となっている価値観はなにか』についてです。

この問いを考えるうえで参考になるのが、最後の段落です。

最後の段落には、〈人と一緒に,作っていくだったり,築き上げていくだったり,なんかそういう感覚で話をする〉という語りがあり、また、その対比として〈自分の主張をこうなんか一方的にわーって言うみたいな感じ〉が挙げられています。

ここから、Aさんが、人と話をするということの前提に〈(話を)人と一緒に作っていく〉や〈築き上げていく〉という価値観をもっていることがわかります。つまりAさんにとって、人と話をするときには、〈人と一緒〉である、ということが常に共にあらねばならないのです。

この結論は、Aさんの対話における他者経験の構造を示唆しており、以降の分析を進めていくうえで大きな手がかりとなります。次章では、この構造をさらに明らかにするため、少し短めの語りを取り上げます。

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3. 「わかる」の瞬間を〈体感させてくれる〉ものとしての他者

[語り3]
筆者 逆に,これまでオフラインで体験した対話の中で印象的だったものがあれば教えて欲しいです.
Aさん うーん,オフラインで...,うーん,オフラインで印象的だった瞬間というと...んーなんかオンラインでやってる時も,オフラインの方がなんかこう発見したときの喜びっていうのがすごく,んーなんか自分の身体的に感じるというか,なんていうんでしょう,なんかより大きく喜ばしく感じるみたいな感覚が私はあって,んーたとえば,こうなんか〇〇さんとなんか会って話した時もそうだし,□□さんと話した時とかもそうだし,んーなんだろう,なんかこれ,んー,うん言語化が難しい,なんか話してたこと,ことと,これまでの経験と,こう結びついたときに,だからよくわからないものがわかる,みたいな感じになると思ってるんですけど,なんかそう「わかる」の瞬間を体験することが,めっちゃ多い人っていると思ってて.話してると.だからそれー,その瞬間をこう体感させてくれ,くれるのかなと思っていて.オフラインでこう直に話して,コミュニケーションをするっていうことは.発見したことの実感がある?オンラインよりもオフラインの方が.

これは、それまでの流れから大きく話題を変え、オフラインで体験した対話のなかで印象的だった瞬間を尋ねた場面です。〈うーん〉や〈んー〉が頻繁に現れていることから、特に前半部分において、Aさんが悩みながら語っていることがわかります。

ここで注目したいのは、〈んーたとえば〉の直後に、唐突に具体的な個人名が挙げられることです。

はじめ、Aさんは〈発見したときの喜び〉について語っています。しかし、〈自分の身体的に感じるというか,なんていうんでしょう〉という言葉からもわかるように、自身でもそれ以上どう言葉にすればいいのか迷い、その悩みの末に登場するのが2人の個人名からはじまる、人の話なのです。

このような流れになった理由を分析する手がかりは、終盤の〈(「わかる」の)その瞬間をこう体感させてくれ,くれる〉という語りにあります。

「わかる」の瞬間を体感するのはあくまで、Aさんです。しかし、この語りから、その瞬間は体感させてくれるところの他者を抜きにしては生まれないということがわかります。つまりAさんにとって、対話における他者とは「わかる」の瞬間を〈体感させてくれる〉ものなのです。

ここで前章の分析を振り返ってみると、共通する構造が見えてきます。

前章の最後の分析からは、〈人と一緒〉であるということが人と話をすることの前提にあることがわかりましたが、この語りからは、〈体感させてくれる〉誰かがいるということを前提として〈「わかる」の瞬間を体験する〉ことができる、という構造があることがわかります。どちらも、前提に「人」が含まれている構造です。

さて、ここで最後の問いです。

ここまでの分析で、話をすることや「わかる」の瞬間を体験することにおいて、「人」の存在の重要性が明らかになってきました。それでは、そのような「人」の存在は、Aさんにとって“どう”重要なのでしょうか?最後の章では、それを明らかにするために、長い語りを読んでいただくところから始めたいと思います。

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4. 【その人がいるっていう実感】、もしくはその証明

[語り4]
Aさん 
なんかそのなんか発見,っていうものがあった時に,そばにその人がいるかいないかっていう,なんだろうその実感?が,結構大事なのかなと今思い始めて,いて.んーとたとえば,なんかその今の事業の話とか,こう,している人とかは今はもう毎回,電話ですけど,前は結構直接会ってノートに書いて2人でそれを囲んで,書いたりみたいなことをしたりとか,んーっとー実際あってるからこそ,その人の,んーと,表情だったりとか,本当にこれいいと思ってるのか悪いと思ってるのかっていうことがあって,実際にあってるからこそ感じ取れてたのってあるのかなって思っていて.でもそれがこう,オンラインに変わってしまうと,その読み取りがちょっと一段難しくなる,ような気がするんですね.なんとなく感じる雰囲気みたいな,言葉に現してないけど.だからそういうノンバーバルな部分のコミュニケーションがちょっと薄くなる,のもそう,ですね.その人がいるっていう実感がないことによってそういうのが多分起きるんじゃなですかね.私は多分それを感じてます.
筆者 今なんかそのー,例として事業の話をしている,まあこれまでノートに書いてそれを二人で囲んでみたいな,ことをしてたりとかしている.今も普通に喋ってはいる,2人で
Aさん そのコミュニケーションめちゃむずいんですよね,オンラインになってから.共有することがめちゃくちゃ必要なので.
筆者 それはどういう共有?
Aさん んーたとえば,今は,figmaっていうUI制作のツール使ったりして,こう共有事項を共有したりとか,あとDropboxのペーパーっていう機能使ったりしてるんですけど,両方その人がいるカーソルが分かったりとか,そのオンラインでその場でお互いのあのー所作がわかる,お互いのいるところがわかるっていうような,まリアルタイムでの,リアルタイムの共有がすごくできるツール,を使ってるのはやっぱり今共有してることがなんなのかとか,どこなのかっていうことがわかる必要があると思っていて.まそこの齟齬がないものを選んで使ってるんですけど.でもなんかそれってオンラインだとすごくツールを選ばなくちゃいけなかったり,する,要するに実際そういうのって「会えば済むじゃん」って思っちゃうんですよ.会えばめっちゃスムーズにいくのにって思うんですけど,でもオフラインになる,オンラインになることで,めちゃこうツール選んで,ちょっとこう使いづらいけどやんなくちゃいけなかったりするみたいな.あんまり効率的じゃないなって思うことが多々あります.
筆者 たしかに.オンラインでその場でお互いの所作が,いることがわかるっていうのが僕はすごい面白いなって思って.もうちょっと,たとえば,さっきはカーソルって話が出たけど,たとえば,どういうことなのか,っていうのをもうちょっと聞いてみたい.
Aさん 実際なんか,figmaっていうツール使ったことありますか?
筆者 聞いたことはある,し,使ったことがないわけではない気がしているが,ちょっとわからない
Aさん なんか実際URL開いてみたりするとこの快適さわかると思うんですけど,(筆者注:ここでURLが共有される)もう入ってもらうとお互いのカーソルの位置が見えるんですよ.あ,きた.いるじゃないですか.
筆者 僕も見えてる?
Aさん 見えてます見えてます.これめっちゃ快適なんですよ.
筆者 ほーん快適なんだ
Aさん コメントとかも,コメントしているところピン打ったりして,残したりとかもできて.今なにを話しているのかっていうことのコミュニケーションがすごい楽になる.
筆者 面白いな
Aさん Dropboxペーパーとか,Googleドキュメントとかもそうですよね.誰がいて,誰がここ今どのカーソルにいる,どの行にいるのかってことがカーソル表示されて,わかる.のが結構コミュニケーションが楽に取れたりするじゃないですか.これも結構同じだなって思ってて.
筆者 カーソルが,カーソルが全て?カーソルが大事?
Aさん カーソルが,っていうことよりもその人がちゃんといるっていう,ことの証明をされている?のが大事なんじゃないですかね.
筆者 なるほどね,その人がちゃんといるってことの証明か
Aさん うん,オンラインだとそれわかんないんですよ.Slackとかすごい怖くて,正直.コミュニケーションする上で.なんかオンラインとかつくけど,あのマークつきますけど,実際あれ他のワークスペースいてもつくので,その人が本当に見てるかわかんない.だからちゃんとコミュニケーション伝わってるのかなっていう,なんかだからそこのメールと同じで,文章打つので一方通行になりがちでちょっと怖かったりっていうのがあったりして.今のちょっと余談ですけど.その人がコミュニケーションしている上で,いるっていうことの重要性ってすごいある気がします.それはオフラインではもう実体としてあるから,それはもう担保されている,別に気にしない,そのことは.でもオンラインだとそれをすごく気にしなくちゃいけなくなる,みたいなことがあるんじゃないでしょうか.
(中略)
筆者 最初5人で話してる時,は,えそん時はこのfigma使ってるんだっけ
Aさん あ,そん時はその,それぞれがそれぞれに,なんか共通のSlackのチャンネルがあって,そこにみんなメンタリングの前に資料投げといて,それぞれみる,見ながらZoomで話すみたいな感じでやってたんですけど.んーん?あれなんの話でしたっけ?
筆者 いや,なにも聞いてないから大丈夫.え,そん時はじゃあ,別にカーソルとかは見えないっていうこと?
Aさん うん,そうですね.カーソル見えないけど,みんな見てくれてるっていうのは分かってるので.見てくれ,見てくれる?っていうのは分かってるので.別にそこはなんか変に監視する必要はないというか.

ここでは、はじめに〈そばにその人がいるかいないか〉という、【その人がいるっていう実感】が大事かもしれない、と語られます。そこからカーソルの話を経て【お互いの所作がわかる】ことについて、そして最後にSlackの〈怖さ〉が話題に上がります。

まずは、ここで登場する2つの重要な概念について整理しておきましょう。

2.【その人がいるっていう実感】
オンラインではこの実感がないために〈(表情などの)読み取りがちょっと一段難しくな〉ったり、〈ノンバーバルな部分のコミュニケーションがちょっと薄くな〉ったりする。
この実感がないと感じられているのが、後半に登場するSlackの例。Slackが怖いと感じられる流れを整理すると以下の通り。
 ①〈その人がちゃんといるっていうことの証明〉がない
 ②〈その人が本当に見てるかわかんない〉
 ③〈一方通行になりがち〉
 ④〈ちょっと怖〉い

3.【お互いの所作がわかる】
所作がわかることで〈今なにを話しているのかっていうことのコミュニケーションがすごい楽になる〉。オンラインとオフラインにおける【お互いの所作がわかる】の例は以下の通り。
○オフライン
 ・〈表情〉がわかる
 ・〈これいいと思ってるのか悪いと思ってるのかっていうこと〉がわかる
 ・〈なんとなく感じる雰囲気みたいな,言葉に現してない〉ものがわかる
○オンライン
 ・〈お互いのいるところ〉がわかる
 ・〈その人がいるカーソル〉がわかる
 ・〈誰がい〉る(とわかる)

これでようやく、前章の最後で設定した「人の存在は、Aさんにとって“どう”重要なのか」という問いに答える準備が整いました。

2.【その人がいるっていう実感】から、Aさんにとって人は、(そこにいるだけではなく)いると“わかる”ことが大切なのです。

この実感は、オフラインにおいては〈もう実体としてあるから,それはもう担保されている,別に気にしな〉くてもいいものです。しかし、それがオンライン環境では一変します。まさしくSlackの例に挙げられていたように、オンラインでは『①〈その人がちゃんといるっていうことの証明〉がない』ために、Aさんにとって『②〈その人が本当に見てるかわかんない〉』状態であり、結果的にコミュニケーションが『③〈一方通行になりがち〉』で『④〈ちょっと怖〉い』と感じてしまう。

そしてオンラインにおいて、この流れを変える役割を果たしているのが3.【お互いの所作がわかる】ことです。カーソルが表示されたり、お互いのいるところがわかることで、それは『①〈その人がちゃんといるっていうことの証明〉』になり、②③④が雪崩式に起きることを防ぎます。

Aさんにとって“なぜ”人の存在が重要であるか、という点については第2章の後半から述べてきたところですが、この語りから具体的に【お互いの所作がわかる】ことで生まれる【その人がいるっていう実感】が〈ちょっと怖〉いと感じないために重要であるということがわかりました。


最後に、今回のテーマであった【背中を預けあってるみたいな感覚】の構造をこの語りから整理してまとめに入ることにしましょう。

Aさんは最後の段落で、(【背中を預けあってるみたいな感覚】がある)5人の間では〈カーソル見えないけど,みんな見てくれてるっていうのは分かってるので.見てくれ,見てくれる?っていうのは分かってるので.別にそこはなんか変に監視する必要はない〉と語っています。

この流れを整理してみると、2.【その人がいるっていう実感】で挙げたSlackの事例と、まったく異なった結果を導いていることがわかります。
 ①〈カーソル見えないけど,〉
 ②〈みんな見てくれてるっていうのは分かってる〉
 ③  —
 ④〈なんか変に監視する必要はない〉

特に、②における違いは顕著なものだと言えます。①において相手の所作がわからないことは同じであるのに、Slackの事例ではそれが『〈その人が本当に見てるかわかんない〉』になり、この事例では『〈みんな見てくれてるっていうのは分かってる〉』になるのです。

それでは、なにがこのような差を生んでいるのでしょうか?

語りのなかで明示されてはいませんが、その答えこそがおそらく【背中を預けあってるみたいな感覚】だと言えるでしょう。

この事例では、ツールからは感じられない【その人がいるっていう実感】【背中を預けあってるみたいな感覚】が代替しているのです。

これは、【お互いの所作がわかる】ことがなくても【背中を預けあってるみたいな感覚】がある関係性であれば、対話において〈ちょっと怖〉いと感じることはないということです。まさにこれが、【背中を預けあってるみたいな感覚】がある関係の上では〈オンラインであるってことは障壁には感じない〉ことの理由でしょう。

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おわりに

長い文章でしたが、読んでくださりありがとうございました。

第二回は現象学的分析の手法に基づいて、〈オンラインであるってことは障壁には感じない〉関係性とは、どういうものかというテーマで分析をしてきました。

結果として、Aさんにとって対話の場では【お互いの所作がわかる】によって得られる【その人がいるっていう実感】が大切なものであり、オンライン環境であっても【話し始めるまえの,クッションみたいなもの】によって生まれる【背中を預けあってるみたいな感覚】があれば〈オンラインであるってことは障壁には感じない〉ということがわかりました。

もちろん、対話に対する姿勢や大事にしたい価値観は、人それぞれです。今後のリサーチにおいては、より多様な価値観においての『オンラインにおける対話の可能性と限界』に触れられればと思います。


また、このリサーチはAさんの対話に関する価値観についての現象学的記述を目的としており、対話一般に対する体系的な知見を与えようとするものではありません。むしろ、この語りはヒアリング時点において筆者との関係の間で生まれたものなので、Aさん自身においても今後変化しうるものです。加えて、このリサーチはAさん自身の価値観を単純化することを目的としていません。もしこれらの語りや分析が単純なものとして受け止められたなら、それはひとえに筆者の力不足のためであることをご理解ください。


最後に、協力してくれたAさんと公開前に読んでくれた友人たち、そして私に現象学的分析を教えてくださってるべとりんさんにはとても感謝しています。ありがとうございます。


次の記事は、7月6日に公開予定です。また、1ヶ月後にごゆるりと読んでいただければと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました。


参考文献

村上靖彦『摘便とお花見ー看護の語りの現象学(シリーズケアをひらく)』、医学書院、2013

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