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謎に早死にする家系とは?その2

母方祖父の家系図が完成した。私が作る前に名前を知っていたご先祖は、
曾祖父母まで。ということは、自分を一代とすると四代先のご先祖までは
知っていたことになる。

今回、除籍謄本(亡くなったかたの謄本)で初めて知った六代前のご先祖の
名前「深川三郎右衛門」また曾祖母の父親の名前は「大向辯慶(おおむかい べんけい」なんとも凄まじいお名前だった。そして、この「辯慶」じいさんは、江戸時代の安政元年8月2日(1854年)生まれだった。今から
約170年前の昔である。

江戸時代までご先祖を遡れたことに、当時はホントびっくりしたものだった。

母方祖父の「深川家」一族の作成した家系図を持って、実家に帰り、当時
85歳だった母に見せてみた。ゴシップ大好きな母に、一族の家系図を見せるや否や、珍しく私を褒めてくれた。

「いや~あんた良くここまで調べてくれたね!」
「そうか!そうか!こういう親戚関係だったんだ。やっぱり、聞いていた繋がりと、実際調べた繋がりは、ちょっと違うもんだね~」
などと、感慨深げに家系図を眺めていた。

私は、ちょっと尋ねてみた。
「ねえ、ここに大向辯慶とあるけど、江戸時代生まれだから、お母さんは知らないよね?」
母の答え
「覚えてるよ~いつもニコニコして優しいおじいさんだった!」

これまた、びっくり!母の回答に、私は勝手に辯慶じいさんのイメージが
頭に浮かんだ。江戸時代生まれだから、写真なんか残っているはずないのだけれど、なぜか心がほんわかしてきたのだった。

後日、母はこの家系図を従兄である当時90歳の総本家の当主の伯父さんに見せたらしい。
伯父さん曰く
「本来であれば、当主の私が深川家の家系図を作って、子孫に渡すべきなのだが、このように調べて作ってくれて本当に有難い。」と言ってくれたそうだ。その言葉に、私は家系図をコピーして差し上げたら、またまた喜んでくれた。

なんかとっても善幸を施したみたいで、嬉しかった思いが今でも残っている。

だけど・・
家系図を制作しただけでは、謎に早死にする理由はわからなかった。

その理由は、後日一冊の本と出会うことで、謎が解けるのである・・・

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