三代続いた親子の確執 その8
【酉蔵の事業成長と姑タマとの壮絶な確執】
昭和24年に舅の由松が他界してから、その2年後に、酉蔵はイカ釣り船を🚢買い取り、船主としての事業を始めました。
本人は、漁師経験はないものの、養父の由松や実父の祖父、従兄弟そして甥っ子たちは、全て漁師の家系でした。それで最初の頃は、数人の甥っ子に、全て助けてもらい一族で操業する事になったのです。
昭和26年頃から、八戸は全国有数のイカの漁獲高を誇る水産業の町に発展し、魚市場は活気に満ち溢れていました。その景気に乗るように、酉蔵の事業は急発展し、さらに1隻のイカ釣り船を購入しました。昭和30年代に入ると、親族関係だけでは乗組員が足りなくなり、酉蔵は知り合いを通じて、秋田や山形まで行き、乗組員をスカウトしに出かけていきました。
当然、乗組員の増員により、朝昼晩の賄いの仕事も必要となり、娘たち3人を総動員、そのほか酉蔵の姪っ子たちにも手伝いを頼み、酉蔵は「深川家一族」を養う立場となったのです。
晴れた日に漁に出れば、大漁で戻ってきます。1度漁に出ると200万から300万の売り上げとなり、さっさと銀行に貯金しに行く酉蔵は、銀行のお得意様にもなりました。乗組員たちへの給料も、給料袋に厚みがあるほどに支払い、この好景気がずっと続けばいいなあと思っていました。
それとは反対に、姑のタマとは次第に険悪の間柄になっていきました。
原因は、またしても「お酒」がらみでした・・・
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