見出し画像

正しい孤独との付き合い方

 Twitterの140文字だっけ?それぐらいの文字数で日々の感情を垂れ流すのは実に気持ちいい。自分のふとしたの感情を言葉にしてるのを見ると「過去の自分…エモいな…」とキモい自画自賛ができる。自分がいいと思うんだからいいんだろう。
 ふと数年前までは正直Twitterにハマる自分を想像できなかった。学生時代もまともにやってなかったし、同級生同士のリア垢をなんとなく監視して「ふーん…あいつとこいつは今こういうことしてるのか…」とかゴシップネタでニヤついてたりしてました。芸能界のスキャンダルとか全く興味ないけど、多分みんなこういう気持ちで楽しんでるんだろうな。と今更当たり前のことに気づく。
 今は同じ感性の人と繋がり合えることがとても良い。いつも感謝しながら見てます。今日も生きていこうな。

 さて、自分は決して孤独ではないがとても孤独感に包まれています。孤独の定義ってなんでしょうか。
 自分は孤独だと言っておきながら家族と連絡は取れるだろうし、なんなら友人と言える仲もいます。じゃあなぜ孤独に包まれているのでしょうか。きっとそれは自分が我儘だからだと思います。自分の話したい時に話し相手がいて欲しい。常にDiscordの通話に張り込むのは良くないと思いつつも居座っています。しかし、誰でもいいわけでもなく、いまこういう話をしたいからこういう人が来て欲しいと実は思っています。最低ですね。どうせ会話のデッキもネガティブなことしか言わない最低なコントロールデッキなのに。
 とはいえ、そういう環境を作るのも悪くはないはず、きっと自分と話したいことはあるだろうと謎の自信を持ちサーバーに入っています。今後はなるべくポジティブな話を増やすよう努力するね。

 何気なくVRCを始めました。可愛いアバターになってイチャイチャするイメージすらなくなんとなく始めました。とはいえどこに行けばいいかなんてわからず、とりあえず日本人が多そうなところに。そういうワールドってなんで居酒屋が多いんだろう。オタクなんて居酒屋行かないだろ。社会人のように居酒屋で叶うはずもない夢を語り合うことを擬似的に体験したいのでしょうか。…失礼。まぁインターネットでもコミュ障が発症してるので、作業しながら黙って立ってると話しかけてくれる人たちがいました。優しい。実際自分が誰かと話したいとかではなく、話してるのを聞いて作業とかゲームしてるぐらいがちょうどいいんだろうな。
 何気なく話を聞いてると、「VRCでも話しかけない奴は終わってるだろ」と聞こえた気がしました。返す言葉がねえ。数メートル先に黙って立ってるやつが聞いてるんだぞ。チクチク言葉にも程がある。まぁ正直に黙って聞いてるぐらいがちょうどいいと思ってるので、話しかけられ待ちでもいいはず。VRCは全てを受け入れる。
 自分ではない人たちが外見とは程遠いアバターで孤独を埋めてることで、自分は孤独を埋めれる…そんな気がするのです。

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?