由稀
~悩み苦しんでる人へ~本当に当たり前のお話。 多分、自分のことでいっぱいいっぱいだと思う。 私もそうだったから。 でも考えてみて。 相手の立場になって考えること。 あなたの大切な人が悩み苦しんでいたら・・・ 私は嫌だと思った。 私は助けたいと思った。 私は力になりたいと思った。 だから、あなたのやることは自分を責めることじゃない。 あなたが居るだけで救われる人がいること。 忘れないで欲しい。 誰もが誰かの大切な人。 たとえ近くに居なくても大切な人。 「私には誰
「本気で死にたいなら死んでいいよ」 私は自殺を止める気はない。 かと言って煽る気もない。 あなたの人生なんだから自分で決めていい。 私自身も自殺をはかったから。 自殺をはからなかったら今の私は居なかったから。 大切な存在も2人、自殺で亡くしている。 どれほど苦しい思いをしたんだろう? どれほど辛かったんだろう? 言葉じゃ表せないくらいの絶望を味わったはず。 もし会って話せる相手だったら助けたかった… 初めと矛盾してると思うかもしれない。 亡くした1人は父。
小さい頃から「優しい」って言われ続けて来たけど、ピンとこなかった。 私は自分にとって当たり前のことしかしてない。 それを周りから「優しい」って言われてただけだ。 困ってる人が居れば声を掛けるし、話を聞いて欲しい人には耳を傾ける。 いじめでハブられてる人が居たら仲間に入れる。 割引券を持ってたら一緒に行く人と割り勘にする。 自分だけ得をするのが嫌なだけだ。 それって当たり前の事じゃないのかな。 私だって、心が鬼になるときもあるし、冷血で現実的なときもある。 きっと私
完璧な人など存在しないとよく耳にしますが、由稀的な逆説をお話しをします。 さらっと読んでスルーして下さいw まず始めに疑問にするのは「完璧な人」のイメージとはどういうものか?という点です。 一般的に想像されるのは容姿端麗、才色兼備、大和撫子などでしょう。 簡単に言うと隙がない人。 果たしてそれが「完璧」と言えるのか?が二点目の疑問。 逆説で「完璧な人」を説明するなら、自分の弱さや強み、人としての汚さや美しさなど、全部認め、受け止めてる人のことだと思います。 一般
これは別れの物語。 決して哀しい話じゃない。 願いの物語。 幼い頃から母に心ない言葉としつけと言う名の体罰を受けて私が初めて願ったこと。 「お父さんに会いたい」 そして成長するにつれ私は心が痛かった。 生まれてきた罪悪感を持ってしまったのです。 「何でお父さんはゆきを連れて行ってくれなかったんだろう?」 そんなことばかり考えていました。 小さな子供が考えることじゃない。 そして私の最後の願いは 「親の都合で生まれたのなら、死は自分で選びたい」 この1つ。 決
2019年4月7日。 あじゅ(本名・あずき)が空へ還りました。 あじゅが亡くなって1年。 私は今も騒音ストレスに悩まされてるよ。 私が入院中から社宅の解体工事が始まって退院後は調子の良かった私でもストレス感じるくらいの爆音だったんだ。 小さなあじゅにとっては、もっとストレスだったよね。 あじゅが家に来て2年目の事だったね。 生まれて約2週間で家に迎えてから最後まで臆病が変わらないあじゅ。 初めは戸惑ったよ。 でも病気になってからの自分を見てるみたいで愛着が湧いたん