底の見えない地獄
7月31日、6年9ヶ月働いた働いていた実家の会社を退社した。
どうにか状況を打破したくて、嫌々だったが義理の兄とやりとりしていた。
毎週のように理不尽な要求を受けていた。毎週、毎週。乗り越えても次から次と出される要求に疲弊していった。
ついに心が折れた。
「こういうやり取りが続くならもういいです」
そう伝えた。先のことは何も考えられなくなっていた。
30歳で前職を辞めて、自営業を営む実家へ戻り0から事業を立ち上げて必死に仕事と向き合った6年9ヶ月。
最後は親と揉めて役員辞任。
なんであっけない終わりだったんだろう。
きっかけはもう思い出せない。事業が成功すればするほど、溝が深まっていった感覚はある。
手が震えて仕事ができず、眩暈がして、会社へ行くと動悸がした。パートさんを守りたくて最後まで踏ん張った。
私はお酒が飲めない。けど、店舗の新築祝いでもらったシャンパンと梅酒を2本とも飲み干した。マンションから飛び降りようと思った。全く動けず、別な意味で死ぬかと思った。
言葉では簡単に言い表せない、人生の強烈な複雑骨折という感じ。
もう、辞めよう。
そう思った矢先のことだった。
交通事故で20年間療養していた妹が亡くなった。親と揉めていたと言うそれだけで、その知らせももらえず、最後に会いたくて実家へ行くと母からそんな状況じゃないと手を払われた。もちろん葬儀の知らせももらえず、通夜に末席で参加したが動悸がして会場を後にした。辛かった。辛かったどころではない。葬儀にも参加できず、骨も拾えなかった。
その翌々日、絶縁状が届いた。横領、背任行為の警告も一緒に届いた。それを先導したのは義理の兄だったらしい。
人生ってなんなんだろう。
こう言うのを地獄というのかな。
妹はどんな時もそばにいてくれた一番大事な家族だった。事故後は車椅子の生活。体調にも波があり、少し遠くへ行くことも出来ない。
それなら家を楽しい場所にすればいい。そう思って自営業の実家で新しい事業を立ち上げた。パートさんを5人雇用して、売上は2,200万ほどになっていた。新しく店舗を作った今年はいよいよ本格的に商業的に運営をしていこう、そんな年だった。
一ヶ月、引き継ぎをして辞任。
そんな慌ただしい2022年の7月。一生忘れないだろうな。
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