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小さな埃までは取れない
昨日、上手く貼れなかったガラスフィルム。
よーつべでGoogle検索でガラスフィルムの埃除去方法を調べた。
養生テープを駆使して何とか貼り直してみたが、端っこの方に小さく空気が残ってしまった。おそらく埃が残っているのだろう。
使用中は気にならない程度の小ささだし、もう1度やり直す気力がない。加えて、勇気もない。剥がそうとする度に割れる可能性と戦わなければならないのだ。ストレス。
触る機会は
文章力をつけるにはどう練習するのがいいか社内で聞いてみても誰も答えてくれない悲しみ。書類とかちゃんと書いているじゃないですかーと言うと、あれは定型があるからと返ってくる。ぐぬぬ(弊社、9割以上理系出身につき)
危険物取扱者の試験に向けて絶賛勉強中。科目免除があるので合格率も高く、難易度は低い。とは言え過信するのは良くない。納得いくまで勉強して、当日を迎えたい。これに受かれば甲種の受験資格を得ることができる。6類の過塩素酸と過酸化水素と硝酸は仕事で使用していたので、受からないとまずいな…
文字に起こすと固くなってしまうならば、しゃべったままを入力すればいいのだ!ということで、Googleドキュメントの音声入力を利用してみた。滑舌の悪さ問題と変換能力不足による誤字。添削。推敲。削ぎ落とされるパンの耳。焼き過ぎて黒焦げの四角。固くて苦いものが出来上がる。何故!?
頭の中ではいい感じの力抜き加減で文章作成が行われている(話している)のだが。実物は肩っ苦しい様相に。焼き終わったカステラの形を整えるかのごとく、美味しいはずの不揃いを切り落としてしまう。脳内フランク君はどこへ消えたのか。どうすれば体裁を整えすぎない文章にできるのか。自問自答の日々
「イタ飯」は「炒めた飯」のことだと思ってた…イタリア飯ってことは…パスタ?マジか…。あと、わたしが電車通学を始めた頃は既に禁煙だったし、押し屋はいなかった。でも体温計は振ってたし、個人情報はオープンだった。昭和とZの狭間、昭和生まれ平成育ちの立ち位置って微妙である。
8/10朝夕刊と8/11朝刊の読売新聞の一面が同じ内容だった。デザインは変えているが、全て新内閣の大臣写真一覧と今後の政策。並べると見た目がそっくりでおもしろい。最近の読売は言葉を変えていても同じ内容ばかり。政治経済関連に特筆すべきことがないのは、良いことか悪いことか。
旅行に興味がない理由。見晴らしが良い=高所。高い所が苦手な私にとって、東京スカイツリーも、渋谷スカイも、サンシャイン60も、東京タワーも、あらゆる展望台に魅力はない。吊り橋も、鳴門海峡も、観覧車も、透明なエレベーターも、歩道橋でさえも。飛行機も死ぬ気である。全く楽しくないのだ。
今日の読売新聞の夕刊に、しなの鉄道御代田駅元駅長室、広さ6畳、社員2人の小さなTV局の記事が掲載されていた。約2500世帯に向けて、週6日、放映38年、18000回を超え、御代田町の様子を伝え続けている。愛する町と子供達の未来の為に継続、なんて美しい風景なんだ、と胸が熱くなった。
追っているわけではないが、TVをつけた時にたまたま二人が映っていたりすると見ちゃう。同世代だから、KinKi Kidsは。曲も、エピソードも、ドラマも、どれもこれもささる。全部ささる。そして泣く。泣いてしまう。青春
を振り返っている様な感覚。そんな私は剛君派。
1回目は、どこも動かせないほど全身が痛くて、咀嚼すら辛かった。極度の空腹と喉の渇きもあった。2回目は、左半身痛くて、高熱が出た。3回目は高熱、患部周辺が赤く腫れ上がり痛み、3日経って痒みに変わる。徐々に軽くなっている様だ。慣れてきたってことか?因みに全てファイザー製。
昭和レトロが流行っているらしい。平成生まれの子から「懐かしいって感じですか?」と聞かれる。よく考えて欲しい。昭和は長い。昭和64年1月7日まである。昭和末期に産まれた人間にとって昭和レトロとは知らない歴史だ。我々は昭和生まれ平成育ち。懐かしく思うのは平成初期の出来事なのである。