熊手と人手の小粋な関係
11月といえば、1日がワンワンワンの語呂合わせで犬の日であったり、11日が見た目勝ちのポッキーの日であったりと、序盤から実に元気がいい。なぜ犬の日が1月11日ではないのか、とか、ポッキーではなくプリッツでは駄目だったのか、など突っ込みたくなる要素も見え隠れしているが、それらは置いておこう。
11月といえば、酉の市を忘れてはならない。11月の酉の日に行われるお祭りで、日本各地の鷲(おおとり)神社(大鳥神社)の行事らしい。本社は大阪の大鳥神社とされているが、江戸時代には東京の鷲神社が栄えて本酉になったとも言われている。では結局どっちだろうという気もするが、ここは気にしないことにする。由来も農具を祀ることであったり、戦いの勝利を祝うものであったりと、賑やかだ。どうりで酉の市には賑やかな露店が並ぶわけである。お祭りはこうでなくては。
酉の日は月の初めから順に、一の酉、二の酉、三の酉などと呼ばれる。偶然だが今年は昨日11月4日(金)が一の酉だった。実は私はミーハーなため、偶然を装って酉の市に行ってみた。
行ったのが、あまり大きくないお寺だったこともあり、想像していたほどの混雑や混乱もなく、そこそこ賑やかに楽しめた。
酉の市へ行ったなら、鳥に感謝を捧げて唐揚げを買うのもいいかもしれないが、いつでも買える唐揚げではなく、素直に酉の市でしか買えない熊手を買うことにした。
そして立ち寄った露店の熊手に圧倒された。テント内を埋め尽くさんとするほどの熊熊熊手。木の葉をかき集めるように財運や幸運をかき集められるようにと置かれた縁起物の熊手は大小様々。そのどれもに、おかめの面や小判、米俵や鯛など、とにかく縁起の良さそうなものがどどどんと載せられ飾られている。飾りに「商売繁盛」「開運招福」などとはっきりと書かれた欲望という名の希望、願望の数々が清々しいほどにギラギラ輝いている。
そして金額は書かれていない。まさか時価か?
そんなはずはなく、お店の人に訊いてみた。
「この辺はおいくらですか?」
「こっちから、2000円、3000円、4400円で・・・」
と指さしながら、どんどん値段も大きさも大きくなっていく。
いや、もういい、その辺でもういい。
きっとあなたの後ろに飾られている売約済みで店の名前が入っている、あれとかあれとかは何万何十万単位するのだろう、と試算する。
年に一度の縁起物、商売繁盛を願って、ここぞとばかり、どどどんとてんこ盛りの熊手を選ぶに違いない。熊手の先に、買う人の笑顔も売る人の笑顔も、熊手のおかめの笑顔も見えるようだ。
さて私も願望や欲望や野望などをまばゆいくらい持ち合わせているのだが、それはおくびにも出さず、記念に一番小さいものをそっと買うことにした。とても可愛い子に出会ったのだ。
フクロウやエビや小判や松竹梅など、わかりやすく縁起が良さそうなものたちがぎゅっと載っている熊手。もう一度言うが、可愛い。苦労なんてしたくない(不苦労)し、長生きしたい(腰が曲がるまで生きる海老)し、お金持ちになりたい(大判じゃないけど、ささやかに小判でもいい)ので、とてもいい。慎み深い私の想いを代弁するかのようではないか。
袋に入っていたのでそのまま持ち帰ろうとしたところ、お店の人に呼び止められた。
「熊手は袋から出して持って帰ってください。熊手は幸運をかき集めますから、この辺歩いて幸運をかき集めながら帰ってください」
と、笑顔で言うではないか。そういうものか。素晴らしい。こんなにささやかなサイズの熊手を買っただけの客に対して、なんて気持ちよく送り出してくれるのだろうか。商売人の鏡だ。
それから熊手を素手で大切に持ち帰った。途中躓いて転んでしまっては元も子もないため、慎重に帰路を急いだ。
無事だった。
それから、家で飾る場所をどこにしようかと考えてネットで色々調べていたところ、衝撃の内容に行き当たった。
熊手の小粋な買い方は、値切ること。「買った(勝った)」「負けた(まけた)」のやりとりを繰り返し、駆け引き商談成立後、最初の代金を支払うのだそうだ。せっかく値切ったのに何故!? という気はするが、値切った分はご祝儀として渡すのだそう。
物理的には何の得でもないが、本当に小粋。こういう遊び心で買えたなら、熊手も面白いものを色々とかき集めてくれるかもしれない。
来年は値切ってみよう。でも今年買った熊手が今後ものすごくいい働きをしてくれてうっかり大金持ちになってしまった暁には、値切ることなどすっかり忘れてしまうかもしれない。それでも、無粋な生き方だけはしないようにしたいものだ。
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