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第3話 「迎えが来た」

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 真っ先に反応したのは、男の俺や能登ではなく、この不思議メンツの中で最もか弱そうな、未来人の三崎さんだった。
 細い手足を勢いよく降り、俺たちとの距離を引き離していく。記憶が霞んでいてハッキリとは思い出せないが、俺の50メール走のタイムは悪くなかったはずだ。全力で足を動かしているのにも関わらず、彼女の背中はみるみる小さくなっていく。
 しかし、三崎さんの走り方には違和感があった。
 単に足が速いというよりも、なんだか動画を早送りしているみたいだった。これ以上は男としてのプライドが挫けそうな気がして、「ちょっと待って!」と彼女の背中に向かって叫ぶ。
 三崎さんは振り返ると、やってしまったと言わんばかりに口を震わせた。

「ごめんなさい! わたしせっかちなんで、体内への時間操作を使うと、一般の方よりも2.7182倍速く動くことが出来るんです!」
「2.7282倍……。ネイピア数ね。微分に対して指数関数を保存する数。名前の由来はジョン・ネイピアから来ておりーー」
「頼む灰原、よくわからないものによくわからない雑学を加えないでくれ。闇鍋じゃないんだから」

 三崎さんは速度を落とし、俺と並走する形となった。が、こちらが全力で走っているのに対して、競歩のような鉄の走りをされると、心に来るものがあった。手加減されてるみたいで惨めに見えるから、やめてくれ。後ろを振り返ると、能登と灰原もしっかりとついてきている。
 道なき道を進む。獣のような声はしばらく続いた。人一人分の高さがある崖を登ると、一気に開けた場所に出た。最近までなにかがあったのだろうか。かすかに雑草が生えている程度で、地面を踏みならした痕跡がうかがえる。そんな不可解な広場の中央に、白地に黒斑模様の生き物がいた。
 牛だ。どこからどう見ても牛だった。
 背中を地面に着け、脚をばたつかせながら雄叫びをあげている。起きあがろうとしているのか、時折体を強く捻っては苦しそうにもがいている。

「もぉお、た、もぉお、けて、よおおお」

 今、喋ったか? あの牛。

「おおお。みてないで、たすけもおおお」
「ごめん、能登。用事を思い出した。これからカクテルパーティーに行くんだったわ」
「この島から出られるのであればどうぞお好きに」

 能登は涼しい顔で答えた。なんでこいつはこんなにも冷静でいられるんだ。
 すると灰原がひっくり返る牛に近づき、頭に手をかざした。言葉を話そうが牛であることには変わりない。危ないぞ、と忠告するも、彼女は表情を変えないまま、大丈夫、と短く答えた。

「彼の言語を、銀河系オリオン腕太陽系第三惑星の言語にコンバートします」
「普通に地球って言えよ」

 見た目からは、人智を超えたなにかが行われているようには見えない。アニメのような効果演出があると期待したがどうやらそうではないらしい。偶然なのか、風の通り道がわかるほど緑が揺れた。いや、牛と話すだけで風が吹くのなら演出としてはやり過ぎだ。恐らく錯覚だろう。俺たちは遠巻きに、その光景を見守ることにした。牛は変わらず、舌足らずな単語を唱えている。

「どうした灰原、なんて言ってるんだ?」
「チャンネルが合わない。この星の生き物じゃない」
「なんだって?」

 灰原はそれだけ言い残し、何食わぬ顔で戻ってきた。だったらお前の友達か? と喉元まで言葉が迫り上がっていたが、真面目にレスポンスされそうな気がしてアホらしくなった。

「ではわたしが、牛さんを言語習得年齢まで引き上げてみせましょうか」

 今度は三崎さんが先頭に立つ。細い腕に力こぶを作り、灰原同様、牛の頭に手をかざす。すると三崎さんはぐるりと首を回し、俺の顔を見ながら口を震わせていた。

「はわわわわ、ごめんなさい! 今のなしです。そんなことわたしできませんよ! 大体、自分以外の相手に時間的干渉を行うことは禁忌とされてるんですから! やる訳ないじゃないですか〜。あはははは」

 この子、もしかして人目を盗んで非行に走るタイプかもしれない。変な薬とか持ち歩いてたりしないよな?

「それなら僕の出番ですね。彼に念を送り、テレパシーで会話をしてみましょうか」

 満を持してという感じで、能登が前へ出る。なぜ揃いも揃って牛と話がしたいのだろうか。お前ら、今日からすき焼き食べれなくなるぞ。「勝手にしてくれ」と俺は能登に言う。
 能登は牛に近づき、人差し指と中指を立て、自分の額に当てた。空いた手を牛の額にかざし、目を瞑ったまま、口を小さく動かす。
 すると、大きな体をよじった牛が能登の指を噛んだ。

「痛い!」

 俺は思わずため息をついた。まだ信じちゃいないが、仮にも人外の力を持ったメンバーだったはず。一体、なにをしているのだろうか。先が思いやられる。

「とりあえず、あの牛を起こしてやろうぜ。能登、怪我はしてないか? いけるなら男の俺たちでーー」

 尻餅をつく能登に手を差し伸べる。引っ張ろうとしたその時、辺り一帯が突如として翳った。雲が太陽を隠すみたいだった。能登の視線が、俺ではなく、遥か先を見ている。三崎さんが「なんですか、あれ!」声を張り上げ、俺は彼女の驚く姿に目を向けた。そしてそのまま、視線の先を追うと、銀色に鈍く光る、大きな機械が空を隠していた。
 理解が追いつかなかった。その大きさに圧倒され、声が出ない。銀色の飛行物体は、狙いを定めるかのように旋回している。俺は不意に、家族のことを思い出した。
 母親がいて、父親がいて、妹がいた。昨日までは普通に食卓を囲み、カレーライスをおかわりした。食後はコーヒー片手に、みんなでテレビドラマを見て、誰と誰がくっつくかで盛り上がっていた。温かい記憶だ。目尻から顎にかけて、一本の弱い線が引かれる。

「迎えが来た」

 灰原は飛行物体を仰ぎながら言った。その言葉を耳にした途端、力が抜けていく。
 こちらの抵抗を待たぬまま、飛行物体は底面から緑の光を照射する。光が全身を包み込んだ。襟を摘まれるように、背中から引っ張られ、足が地面から離れる。おい、これってまさかーー。

「捕まってください!」

 能登が叫び、俺の手を引っ張った。もう片方の手は地面に蔓延る根っこを掴んでいる。
 そうだ、こんなところで我を失っている暇なんてない。俺は能登の手を強く握り返し、引力に抗おうと体をよじった。牛や三崎さん、灰原もなんとか抵抗しようとしている。ーー情けない。このままだと全員、誘拐される。無人島脱出なんて話じゃなくなる!

「なんなんだよ! いい加減にしてくれよ!」

 どこからともなく、激しい音が聞こえる。なにかを潰すような、いや、引きちぎるような音だった。再び、全身に浮遊感が戻る。能登の手は離れていない。ただ、踏ん張ることができない。辺りを見渡すと、地面が斜めになっていた。マジかよ、と呟かずにはいられない。地面ごと、俺たちを連れ去ろうとしている。   
 緑の光が強くなる。
 目が眩み、なにも見えなくなった。

続く

担当:飛由ユウヒ

次号は5月20日更新予定です。
お楽しみに!

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