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天徳寺の山崩含霊塔

鳥取市の天徳寺にある「山崩含霊塔(やまくずれごんりょうとう)」を紹介します。
ある種の、お墓と言ってもよいかもしれません。

天徳寺について・1

天徳寺は、正式には「萬年山天徳寺」といいます。1538年(天文8)に創建されたと伝えられています。もとは、今の鳥取市湯山(鳥取砂丘の背後にある丘陵地の山裾)にあり、多年山城福寺という名で摩尼寺の塔頭の一つだったといいます。
その後、天台宗から曹洞宗に改宗し、1550年頃に現在の地に移転し、天徳寺の改称したそうです。

山崩含霊塔

山崩含霊塔は本堂の左手にあります。

山崩含霊塔
山崩含霊塔

安永5年(1776年)は7月下旬から雨が降り続いた。8月5日から6日にかけては特に大雨になった。6日の夜、寺の北東の山が100mほどにわたって大きく崩れ、天徳寺の建物を壊し、墓石も700あまりが被害を受けた。その時に現れた遺骨を一ヶ所にまとめて葬ったのがこの塚である。その後、天明6年(1786年)にも、8月29日夜と9月6日に再び山崩れが起き、300あまりの墓が被害に遭った。その時の遺骨もこの塚に埋葬した。  <安陪恭庵:因幡民談記 寛政7年(1795年)成立?>

安陪恭庵の「因幡志」を要約し、現代語で記しました。

調べていて「おや?」と思いました。山崩れが起きた安永5年って・・・・前項で紹介した、道好上人が入定した石窟(摩尼寺の道好上人-羽柴秀吉の鳥取城攻め-|Yuniko note)が山崩れで露出してしまった年です。
道好上人の入定塚と山崩含霊塔の2つの遺跡が、安永5年の大雨被害→土砂崩れでつながりました。
因幡志に記述されている、「出土した道好上人の石窟を覗いたら、手を合わせ、膝を立てた大柄の遺骨があった」という記述が、いっそう真実味を帯びてきます。

こんなことがあるから、歴史を調べるのはおもしろいです。

最後に、天徳寺の画像です。実は、天徳寺には私の鳥取の実家のお墓があります。

天徳寺鐘楼門
平成28年(2016年)に再建された門です
天徳寺本堂
昭和27年’(1952年)の鳥取大火で寺が全焼した後、
県庁近くにあった武徳殿(ぶとくでん)という建物を移築したものです

<参考文献>
・天徳寺HP 天徳寺 - 鳥取市湯所の地に根付く曹洞宗のお寺 (tentoku-ji.com)
・因幡志 著:安陪恭庵 世界聖典刊行協会 1978年(昭和53)9月14日発行
・鳥取県の歴史散歩 編:鳥取県歴史散歩研究会 山川出版社 1994年3月25日発行
・鳥取県の歴史散歩 編:鳥取県の歴史散歩編集委員会 山川出版社 2012年12月5日発行

次回予告 浜坂の犬塚と犬橋

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