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I'm ALIVE

「俺は生きてます」

突然何を言い出したんだ?って言われそうですけど、生きてるんですよ。
生きてるんですよ、俺は。

HSPですけど、精神疾患ですけど、仕事続かないですけど、将来に不安ばっかりですけど…
それでも、それでも生きてるんです。

生きるのはツラいです。
他人からの評価や期待がプレッシャーになります。
会話をしてても聞くときの姿勢、相槌のタイミング、声のトーンまで自分の中で気になって仕方ありません。
緊張やプレッシャーが続くと吐き気や目眩がします。
朝、目が覚めてもふらついてまともに歩けない日があります。
仕事は続ければ続けるほどプレッシャーを感じます。
慣れるどころか続けるほどに毎日が怖くなります。
仕事が続かないから、正社員じゃないから、その理由で恋人から別れを告げられました。
貯蓄もありません。
両親も良い年齢です。
そもそも自分が良い年齢で、この先は体力的にも衰えていくでしょう。

心の中には常に不安と苦しさがあります。
生きてるのはツラいです。シンドいです。
ふとした瞬間に不安と苦しさに襲われて涙が止まらない事があります。
「安心できる場所や心許せる存在はどこにも無いのか」と叫びたくなります。

正直に言うと死ねたら良いのにって思ったこと、あります。
寝る前に「このまま目が覚めずに死んじゃえば良いのに」って思ったこともあるし、
駅のホームから通過する電車の前に飛び出したい衝動に駆られたこともあるし、
深夜に大きな橋の真ん中から下の川に飛び込もうとしたこともあります。

でも死にませんでした。
いや、死ねませんでした。
数時間、橋の真ん中で逡巡した結果、みっともなく家に帰ってきました。

怖かった、正直に怖かったんです。
俺に死ぬ勇気はありませんでした。

凹みました。
またツラい毎日を生きなきゃいけないのかって思いました。
そしてまたツラい毎日が始まりました。
なんで死ねなかったんだろう、なんで怖くなったんだろうって考えました。

そんな中でふいに思ったんです。
「俺、死にたいわけじゃないんだ」って。
「生きるのはツラい」けど「死にたい」わけじゃないんだって気付いたんです。

「生きるのがツラい=死にたい」じゃないんですよ。
俺は死ぬことを望んでたわけじゃなかったんです。
死にたかったことなんかなかったんです。
「死んだらきっと楽になるんだろうな」って推測で死のうと思っただけだったんです。
「死んだら楽しいだろう」とか「死んだ先の世界を見たい」とかでもなかった。

はっきり言います。
「ツラくなく生きたい」
俺が望んでたことはこれでした。

ツラいことが無く生きたい、生きてて楽しいと思いたい。
ツラいことがないなら、楽しいと思えるなら生きていたい。

美しい風景を見たときの心の震えや、
音楽や映像に感動したときの興奮や、
美味しいものを食べたときの喜びや、
恋をしたときのドキドキや、
何かを成し遂げたときの達成感や…

自分の心と向き合ったとき、
生きてなきゃ出会えないものが、生きていて出会いたいものが、
いっぱい、本当にいっぱいありました。

そしてそのチャンスをまだ求めている、
その出会いに未練がいっぱい残っている自分に気付いたんです。

だから俺は死にたいと思うことをやめました。
生きるのはツラいです。苦しいです。
死にたいと思わなくなったからって、自分が直面してる問題は何一つ改善はしていません。


でも、それでも死にたいと思うことはやめました。
少しでもツラくなく苦しくなく、ツラさに耐えて苦しさを受け流して生きようと、
そう生きることを考えようと思いました。
死ぬ方法を考えるより生きる方法を考えようと思いました。

どのぐらい時間を掛ければ、
どのぐらい努力をすれば、
どのぐらい苦しめば、
どのぐらいツラさを味わえば、
ツラさや苦しさを受け流せる様になるのかは分かりません。
いや、そもそもツラさや苦しさがない人生なんてないって、
本当は知ってるんです。

でも俺は死にたいわけじゃないんです。
生きて、生きてなきゃ出会えないものと、一つでも多く出会いたい。
その出会いの素晴らしさを知っているから。

だから、
「俺は生きてます」

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