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かつてオジサンだった私へ_「揺さぶる経営学 LGBTQから問い直す企業の生産性」を読んで

かつて私は、オジサン化したおネエちゃんだった。

昭和に比べれば格段に状況が良くなったとはいえ、平成の世になっても女性が大企業で生き抜いていくのはなかなか大変なことだった。私が新卒で入社したのは2005年。その一年前にやっと、男女が半々で採用されるようになった、そんな時代。まだ多くのオジサンは総合職女性社員を見たことすらなかった。オフィスにいたのは、オジサンと(一般職の)おネエちゃんだけだった。セクハラという言葉はあったけど、おネエちゃんが「いやん、それ以上言ったらセクハラですよぉ」と言うためにのみ存在する言葉だった。

そんな環境で生きていくために、総合職女性社員たる私は「オジサン化したおネエちゃん」になっていった。仕事はオジサンの世界で、オジサンに負けないように頑張った。同時に、おネエちゃんになった方が都合が良い時は躊躇なくおネエちゃんを使った。そうしてオジサンの作り出した環境に馴染み、キャリアを重ねていった。私は上手くできている、人より上手くやれている、そう思っていた。

でも本当は、自分の気持ちを騙し、受け入れ難い価値観を飲み込みこみ、気持ち悪いと思ったり、虫唾が走ったり、絶対に私が悪くないという気持ちを殺したり…私の心は、いつも悲鳴を上げていたんだ。そして悲鳴を上げる喉も枯れた頃、私は立派な「オジサン化したおネエちゃん」になっていた。もう痛みは感じなかった。

自分語りが長くなってしまったけど、このnoteは『揺さぶる経営学 LGBTQから問い直す企業の生産性』の書評だ。文字通り、揺さぶられた。

第一に揺さぶられたもの、それは過去に封印してしまった自分の気持ちだった。私は自分の気持ちと向き合うことをせず、封印し、逃げて、そしてオジサンの支配する世界で上手に生きてきた。一方この本は、自分の気持ちと向き合い続け、外の世界と自分自身との対話を幾度も重ねて、ついに研究にまで昇華した本だ。それがどれだけ大変なことか、もはやオジサンに同化してしまった私には想像もできない。けど、あの頃殺してしまった自分の気持ちが、幾つも幾つも蘇ってきた。

第二に揺さぶられたのは、経営学に携わる者としての研究への向き合い方だ。博士課程になると、研究への態度がMBAのそれとは180度変わる。変わる必要がある。自分の経験や事象から離れ、理論基点で考え、理論的貢献を明らかにする必要がある。この考え方の転換が、実務経験のある私には非常に難しく、実務経験があるこらこそ、事象基点で考えてしまう。だからここしばらく、あえて自分の経験は何の価値もない、何の意味もないものだと思い込もうとしていた。そうすることで、理論基点で考えられるようになれるのではないかと考えていた。でもこの本は違った。経営学のあるべき論に議論を投じ、沢山の理論的背景を踏まえた上で、自分の経験を研究において価値のあるものに転換している。アカデミアの世界でも、どうしたら上手く生きていけるか、そう考えていた自分の浅はかさに気付かされた。

第三に揺さぶられたのは、多様性への向き合い方だ。この本は「イノベーションのためにはダイバーシティが必要」というもはや聞き馴染んだ、大衆受けの良いテーマに一石を投じている。詳しくはぜひ本を手に取ってほしいのだけど、こんなにも鮮烈に、色鮮やかに、ダイバーシティを語っているものを私は他に知らない。

この本は著者の柳さんの博士論文をベースにしている。まだアカデミアを歩き始めたばかりの私には上手く説明できないけれど、これは間違いなく経営学を変える一冊だと思う。勝手な推察をすると、この本は社会学でも書けたかもしれない。でも、経営学で書いてくれた事に、経営学に携わる者として、心から感謝したい。なぜならこの本は、まだ経営学は大丈夫かもしれない、と思わせてくれるから。オジサンはやがてみんな死んでしまうかもしれないけど、それでも、経営学はまだ大丈夫かもしれない。

この本は、生きづらさを抱えた全ての人への福音だ。あの頃の、生きづらさから目を背け続けていた私に伝えてあげたい。この本が揺さぶってくれる未来は、きっと明るいと。

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