【参考にならない】下手の横好きによる短編小説の書き方
最初の一文を考える
構想を練ってから書く、というよりも最初の一文を適当に書いてから話を広げることが多い。
この話を書こう!と予め決めることは稀だ。
いつでもどこでも、仕事をしてても毎日気づけばなにかしら妄想をして生きてるのでいろんな話が思い浮かぶが、自分の中でつまんないな、と没になることが多い。
寝起きで書く
今日帰ったら小説を書こうと思って書けたことが滅多にない。
普段のブログは平日に書いておくことが多いが、小説は違う。
前日の夜に書いていたとしても「ここから話が浮かばない、どうしよう」と毎回思っている。
そんな時は寝るに限る。
朝起きた瞬間に感じるその日のイメージがある。
それを元に、起きた瞬間にそれを書いてしまえば良い。
一日中起きていると、その日のいろんな思い出や経験に支配されて混乱する。
好きなジャンルに忠実に生きる
私は鬱ゲーや、考えさせられる話が特に好きだったりする。
小学6年の頃クラスメイトから、姉のだというエヴァのビデオテープを借りてハマったのが全ての始まりだったような気がする。
そして中学からSound Horizonにハマった。
大人になってからは追えてないが、学生時代などは山田悠介さん、二宮敦人さんの本が好きでいつも読んでいた。
二宮敦人さんの「!」シリーズや「18禁日記」が好きだった。あの狂気さがたまらない。
ラノベは「キノの旅」ばかり読んでいた。
ここ数年でどハマりしてシリーズ一気読みした小説はアゴタ・クリストフさんの「悪童日記」
最近新刊が出たら買っている本は、ジャンルにもよるが道尾秀介さんの本だ。
洋画はホラーやミステリーものばかりを見る(グロいの以外)。
邦画はあまり見ないが「リリィ・シュシュのすべて」は面白かった。
アニメも、鬱アニメといわれるものは1話は見るようにしている。
「メイドインアビス」も好きで3クール目を楽しみにしている。
悲しい話の中でも救いがあるkeyの作品も好きだ。
こんな感じなので、私の書くジャンルも必然的にバッドエンド寄りになる。
ハッピーエンドは刺激が足りずに退屈だと感じてしまうし、「うまくいっていいよな、主人公は」と捻くれて見てしまう。
だけどごく稀に、無性にハッピーエンドものを摂取したくなり、そればかり見る時もある。
人間の心は流動するらしい。
【余談】無駄にこだわりが強い
最後に、
私は自分の作り出す作品に対して変にこだわりが強い。
stand.fmは別だが、noteやイラストがそう。
※この「余談」は最初から合作で作ると決まってるもの、とかそういうのではなく、あくまで自分ひとりだけで作ると決めている作品に対しての話である。
他人に「こういう風にしたら?」と言われるのが嫌だ。
人から見て、どんなにつまらない作品だったとしても自分ひとりのアイデアで完成させたい。
自分の作品に他人のアイデアが足されるのがあまり好きではない。
イラストなんかは特にそうだ。
下手でもこだわりだけは強い。
誰の手も借りたくない。
協力できる人がいるなら協力した方が良いに決まっているし、他人の意見を取り入れて作品をより良くするのは大切なことだとわかっている。
自分の作品が誰にわかってもらえなくても、誰に評価されなくても良いし、仮に評価されるとしても、そこに至るまでどんなに時間かかっても良いと頭のどこかで思っているからかもしれない。
やはり評価はされたいけれど、死ぬまで評価されなくても、それはそれで良いとどこかで思っている。
それよりも、自分だけのアイデアで、その瞬間自分が感じた感情を作ることがなにより大事だと思っている。
誰かのアイデアを取り入れて作品を完成させた時、他の誰かから「今回の作品良かったよ!」と言われたらめちゃくちゃショックを受けてしまうから他人の手を借りたくないのだと思う。
おそらく、自分の信じて貫いたものを否定されるような感覚が怖いのだ。
自分だけで作った絵や小説を下手だと言われるのは、自分でわかっていることだからか全然平気なのだが、誰かのアイデアと共に作ったもので褒められるのは精神的に一番キツいことだと思う。
そのくせ美術館などで芸術作品に触れ、知らない人の作品からなにかの雰囲気を吸収してインスピレーションが湧く、というのは自分の中で許せるのだ。
私生活からして協調性がないし、この性格を直そうとも思わない。
流行り物も興味がないし、難儀な性格で遠回りしている気がするが、それで良いと思っている。
こんな感じのことを常に考えながら小説を書いたりしている。
誰かのなにかの参考になれたら嬉しい。
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