イライラと悲しいは共存する。

8月も、もう後半です。

先月シフトカットされそうになったので、それなら「有給にしてください」といったら、会社が変わってまだ2・3か月しかたっていないから、有給は使えないと言われました。

泣く泣く、「じゃあ次からは急にシフトカットしないように、できるだけの対応をしてください」といったら、昨日から31日までの間で、6日間も、11時から23時までシフトが入っていて、全然望んでなくて詰みました。

10時から23時の日もあります。だいぶ泣きそうです。

早く相談しなかった私が悪いとか言われそうだったから、言えなかった。でも、我慢できずに、社員に愚痴りました。でも、愚痴だけじゃダメなのもわかっている!だいたい、労働時間は一日8時間が原則じゃなかったっけ?

(と思って調べてみたら、変形労働時間制が適応されている可能性がある。ちょうど前に大学院の飲み会で、私の主指導の先生が学部生がこのことを調査しているって言ってたのがフラッシュバックしてきました。変形労働時間制は相当やっかいな労働法の抜け道にもなっているみたいです。身をもって体験しました。)

でも、シフトを作った社員に私がいいたいのは、そういうことじゃなーい!!!

単純にもともと入っているシフトをカットしないでほしいだけで、10時間とか働きたいなんで一ミリも言ってない!
8月後半も大学院の課題と関連の研究会系がいくつかあり、やることは膨大にあるんです。

必要な毎月の生活費を稼ぐ程度にしか、バイトに時間を費やしたくないのが本音です。それ以外は、もっと違う時間の使い方をしたいんです。

ここにきて、大学一年生みたいなバ畜生活を送らなければならないことになって、ほんと詰む。

必死に考え付いた解決策は、同じバ先で働く妹を召喚すること。ただ、28日まで免許合宿があるみたいで、無事に予定どおり試験に受かって、寄り道せず帰ってきてくれることを祈るばかり。。。

(というかバイト代わりにお願いするのも、だいぶ姉権力振りかざしてるな。でも、妹が体調崩したときとかは変わっているので、若干は許されるんじゃないとか思っちゃう、、良くないね)

たとえ、労働について多少知識があっても、主張したり、実行しなければ、自分の状況さえも変えられなくって、だいぶ不甲斐ないな。。でも、「有給にしてください」と言えた時の自分はちょっと頑張ったなって思えてました。

だから、またなんかあったときには、ちゃんと対応できる知識を持って、主張していこうと肝に銘じました。

こういう詰みの経験や些細なイライラ、もやもやは、いつも周囲の友達に愚痴ります。すると、お互いに共通の経験をしていたことに気づいたりします。それと、次どうするか一緒に考えると、お互い対応能力を培える感じがするから、気持ちも強くなるし、実際に改善に移せるので、効果的かも!

(というか、黙ってられない不満の多い人間だから、しゃべっちゃうだけかも、、)


でも、今日記録しておきたかったのは、自分の祖母のこと。

今日の夜、布団の上で寝っ転がりながら、UNEXTで、またまたNHKで放送中の「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」をみました。以下の文章は、ちょっとネタバレかもです。

今日見たのは8話で、お母さんが車いすに乗って以来、大阪から神戸に移り住んで、家のことをやっていたおばあちゃんの話。彼女が、徐々に認知症になっていく場面でした。

祖母が認知症だと気づいた主人公が、入院している母親に、そのことを告げました。

その言葉を受けた、主人公の母親は、祖母の過去から今までを思いながら、おばあちゃんは幸せだったのだろうかと娘に涙を流していました。

その場にいた、母親と主人公との会話に、私も日々どこかで自分の祖母を心配している気持ちがあふれてきて、気づいたら、ぼろぼろ涙してしまっていました。

主人公はおばあちゃんのこと、そんなに好きじゃない、やっかいな人だと思っているみたいでした。でもやっぱり、どんなにそりが合わなくても一緒に居た時間があるから、きっと悲しかっただろうし、祖母本人やその娘である自分の母親を思い悲しむだろうなと思いました。そして、きっと母親の方がつらいのも、一緒に過ごしてきた時間の長さと濃さなんだろうなって。

そして、「幸せだっただろうか」と人の人生に思いを馳せるというのは、身近な人であればあるほど、自分の知らない感情が溢れ出てくるものだなと。

私は、自分の母親や祖母がどんな生き方をしてきたのか、見てきたつもりだけど、せいぜい一緒に過ごしてきたのは20年ちょっとです。

だから、私が見てきたのはほんの一部。
本人はどうやって人生を過ごしてきたと思っていて、なにがしたかったのか、何を諦めたのか、何に喜びを感じ、何に悲しんできたのか、本心やその時々の感情は正直、わからないです。

私の祖母や母親は、社会的地位や名誉があるわけではないです。変わった人、不器用な人、強い人、面白い人、元気で馬力の良い人、明るい人、粘り強い人、不安定な人、か弱い人。関わった人ごとにきっと印象は違うだろうし、私が彼女たちにいただく印象もその時々で全然違う。

ちょっと前に帰省した時、祖母にいつか子供を作ってほしいと言われました。(しかも、テレビで卵子凍結のことを見たらしく、私と妹にしてあげられないか考えていたみたいです。聞いたときは、複雑な気持ちになって、その後ちょっと笑えないくらい悲しかったけど、祖母は真剣に悩んでいるといっていたので、それはそれで面白かった(笑))

私は、SRHR的に、そういうことを言われるの嫌です。でも、その時は、反射的に祖母になぜそう思うの?と理由を聞きました。

そしたら、「自分のことを覚えていて、自分がいなくなっても誰かに自分の存在を語り継いでくれる人がいてほしい」と答えが返ってきました。

正直私は、その役割は子供じゃなければできないとは思わないです。だから100%共感はできない。

でも、自分の存在を傍で見ていてくれた誰かが、ずっと覚えていてくれること、その生き方や思い出を誰かに語り継いでくれることは、世の中では、本当に一握りの人にしかしてもらえない。でも、”普通の人”でも、それを求めることは、とても自然なことのように思いました。だから、人は、人といつだって関わるし、もしかするとだから、家族を作るのかもしれないとも思いもしました。

正直、私が見ていても、祖母も母もとても困難の多い人生を生きてきた人だと思います。そして、状況は今でもそんなに大きく変わっていません。というか、大きく変わることが難しい状況にずっと置かれています。

だから、今からでも、自分のために過ごす時間を増やしてほしい。幸福をいっぱいに感じられる時間をできるだけ増やしてほしい想っています。

実際に、祖母と電話するときには、よくこういう話をします。「ばあちゃんと、いままでどれくらいの時間、自分のために過ごしてきた?」「明日からは、ばあちゃんがやりたいこと、すこしでもやっていいんだから、好きなように過ごす時間を増やしてほしいな」とかね。

(ばあちゃんは、アサリ掘りや山菜採りが大好きです。タダで宝の山をあさるような気持ちだそうで、一日一人で5・6時間やっているときもあります。だから変な人(笑))

そしたら、
今日、ドラマを見終わって、うとうとしているところに、妹から時間つぶしの電話がかかってきました。

そして、つい最近、妹は、直接祖母から、認知症らしき症状が出てきていて、不安だと言われたと。だから、もしかすると、ばあちゃんは、認知症になるかもしれないと妹に言われました。いつかそういう日が来るだろうと思いながらも、私は、とても悲しかった。

(ばあちゃんは、60代の時から、「私はなんか、もう少しで認知症になる気がする、どうしよう」と言っていて、そのたびに私は「大丈夫だよ、もう20年くらいたったけど、なんともない」と返してきました。でも、今回は、本人の様子が相当深刻そうなので、そうもいってられない気がしています)

ただ、今思うことは、きっと、本当に祖母が認知症になったとき、母親は、責任感が強くて、しかも一緒に居た時間も長いから、事実を受け止めきれないかもしれない。もしかしたら、気持ちがバグって怒り出すかもしれないし、悲しくてどうにかなっちゃうかもしれない。

だから、これから何が起きても、私が今言えることは、なんかあったときに、私を召喚するチケットを母に渡したいです。

というか召喚チケットが使われる前に、わたしから帰るような気がします。(母は私に帰ってくるな、自分のやりたいことをしていなさいと、いつも言います。この前は、交通事故に遭ったのに、そのことを私に黙っていました。)

それくらいの心づもりで、できるだけのことをしたいと思っているよ。

明日は早いから、もう寝ます。また言葉に残せてよかった。イライラと悲しい気持ちの備忘録。



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