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「つくりとほどき」

2021年12月18日のエッセイの再掲です


昨日から外泊しているのだが、宿泊前の荷造りをするとき、私は身の回りの荷物をまとめるという作業がかなり下手くそであると実感する。
宿泊準備が整うまでにあちらこちらと七畳ほどの狭い部屋を何度も往復し、一度荷物を鞄に詰めたかと思えば、あれも持って行きたい、とまた部屋の中を物色するためあちらこちらとうろつき回る。
しかしこれは荷物になるだけであまり使わないかもしれない、などと出したり入れたりを繰り返し、どうにか必要最小限のものを詰めたと思えば、なんだかそれでも大荷物になってしまい、二泊にしては見た目が大袈裟すぎるなあということが今度は気になって、別の鞄の方がよかったかもと中身を詰め替えたりなどし、結局使われなかった鞄が床に二つほど転がされた状態で家を出るようになる。

宿泊先に着いたところで、荷物をあちらに広げたりこちらに広げたりするのにも手間取り、その後少しの外出をするにも手荷物をうまく支度できずに、必要以上に右往左往する。
あまりに色々なことを気にしすぎる性格のせいで、細々としたものの全てに意識が分散してしまい、それらをまとめるという作業が全くうまくいかないのだ。
支度の早い人というのを見ていると、だいたい私の半分以下の時間で済ませてしまうものだから、意識のベクトルがあまりに違うのだろうなと思う。
スピードだけ真似をするというのはできないこともないとも思うのだけど、すると私はきっと大切なものをなくしたり忘れたりするだろうから、そうなれば余計に大変になることだろうし、結局は念入りに時間をかけ続ける方をこれからも選び続けるほうが、総合的に見ればたぶん良いはずだ。
そう考えると、特にこれについて反省することもないので、やっぱり今後も、私はバタバタと時間をかけて支度をするのである。

しかし一方で、帰宅したときの荷解きはかなり好き且つ得意だ。
ひとつひとつのものを元あった場所に戻す作業は単純明快、素早くやるほど快感だからである。
旅先から戻り、自宅の玄関のドアを開けたと同時に、自分の中でのタイムアタックが開始される。
競う相手もいないのに、素早くやる。これがかなり楽しい。
あれだけ時間をかけて詰めた荷物が、みるみるうちに部屋の方々に収納されていく。これが気持ち良いのだ。
片付けという、たいてい面倒と思われがちなことを私はそう感じないので、旅の後味としてはけっこう得かもしれない。
日常に戻るという名残惜しさと同時に、早く荷解きをしたくてうずうずしてくる、旅最終日の夜である。


かや


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マガジン『榧乃徒然』にて、毎日エッセイと日記を書いています。
今回のエッセイは、こちらの記事からの抜粋、加筆修正による再掲です。


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この写真は、《鏡越しの海、街、空》


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