私が生きようと思った理由

 私は一昨年自叙伝を出版するまで「いつ死んでもいい。 むしろなんで生きなきゃいけないんだろう」
と思ってきました
 そんな私がなぜ生きてみようと思えたのか…
それについて今日は書いてみたいと思います

2011年3月
世の中は(東日本大震災)が起こり悲しみと苦しさに包まれていました
それでもその現状を乗り越えるために必死に生きようとしている人たちもたくさんいました
 その当時両親からの虐待がエスカレートし、生きることに絶望しか感じていなかった私は、
「私もこの震災で殺して欲しかったな」と大変不謹慎な事を考えていました
しかしこの月の終わり、私は教師、警察、児相の働きによって地獄のような日々から助けられたんです
けれど後ろ盾してくれる家族はいない
 目も見えない…

 むしろ助けられた事の方が苦しいと思う時期が続き、何度も自殺未遂を繰り返してきました

 完全に人間不信に陥っていた私は、誰の言葉も優しさも受け入れる事が出来ず、どんどん危険な方向へ進んでいました
それでも周囲の人たちはわたしをなんとか生かそうとしてくれました
まさしく(生かされている)という状態でしたね

そんな日々が何年も続き、それでも日常はどんどん変化していくため、流されるように勉強をし、就職をし、恋人と呼べる存在もできたりと私自身も少しずつ変化していきました

 しかし「何で生きなきゃいけないんだろう」
という根本的な気持ちはずっと胸の中にあったんです
 まあ実際(自分が生きている意味)なんてそんなに真剣に考えている人の方が少ないのかもしれませんね😅
 話は少しずれますが、何人もの方に
「生きる原動力ってなんですか?」
と質問された事があります

一言で言えば
「親、家族を見返してやりたい」
これに尽きると思います
いっ時はお金を借りてでもいいからあの人たちを殺して自分も人生を終わらせようと考えていた時期もありました

 今振り返ると私かなり怖い人間ですよね💧

前置きが長くなってしまいましたが、そんな私が
「生きてみよう」
と思えた理由は大きく分けて二つありました!

 一つは藍猫の存在です

初めてどんな事があっても私が守りたいと思えた存在

どんな時でもそばにいてくれて、私を信じて受け入れてくれた

 いまだにそうなのですが、よっぽどのことがなければ基本的に私が泣く事ってないんです
というか泣き方がわからない…
苦しくても人前で泣く事を無意識にセーブしてしまいます

でも猫と一緒の時だけは「素の私」でいることができます
 おそらくこの子は私の涙を誰よりもみてきたコトでしょう🙇‍♀️
そんな彼女と私はどんな事があっても一緒にいたいと強く思っています😹
 二つ目は「経験を世の中に残していく事が私の使命」かなと思ったからです
大げさなと思う方もいるかもしれません
 でも虐待だけに限らず、いじめも病気も倒産…
当事者にしか語れない事が絶対あります

もちろん受け止め方は人それぞれですので、否定的な事を言う方も実際います
社会人になってから、親と数回ほど会いました
でもあの人は自分がしてきた虐待を
「覚えてない」
で片付けようとしました

 本を出版すると言う事は、あの人たちへの復讐という意味も少しは含まれています
だって1番の主犯者が虐待を無かったことにしてしまったら、私はどこに思いをぶつければいいんですか?
 その言葉をきっかけに、私はこの事実を世の中に残そうと決めました

一言で(虐待)といっても、ケースや背景は様々でしょう

でも私の言葉や文字を通して前を向ける人、子育ての苦悩から抜け出せるひとがいてくれたら私の経験も無駄ではないのかなと感じます

 長くなってしまいましたが
〜生きる意味〜
この事で悩まれる人も実際はいらっしゃるのではないでしょうか?

必ずしも生き続ければいい事があるとは言えませんし、無理にその意味を見つけなくてもいいのかなと思います

 けれどこの記事を通して感じていただけるものがあればありがたいなと思います
分かりにくい文章もあるかと思いますが、私なりに発信し続けていきたいと思いますのでよろしくお願いします😸

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