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知らなかったことを思い出す

 高校の卒業のタイミングだろうか。次がみな決まり始めていた。といっても大学進学が決まるとかではなく、もっと先の大学卒業までもが決まっている様子だった。
 かおちゃんもその類の決定があり、笑顔がもれていた。いつにない柔らかな印象。私は特に決まっていなかったが、そんなに不安でもなかった。安堵に満ちたかおちゃんと一緒にその進路のことで校内を移動していた。途中トイレに立ち寄ると、すべての便器(和式)に汚物が貯まっていた。汚い、とは思ったけどそこまで驚くことなく、これは使えないね、とそこを出てどっちの階のトイレに行く? と上と下を指さした。かおちゃんは上を指さした。私は下の方がいいような気がした。

 進路が決まっていない私はかおちゃんとは別の教室に招かれた。進路が決まってないからなのか、今日からここがあなたの教室でここがあなたの席です、と示された。
 そこは、ものが多くデスクの上に棚が高く載せられたせせこましい空間だった。しかも、私が座る席からは窓が見えない。私はそれにがっかりしながらも、受け入れる心を持っていた。席について顔をあげたら、左側に窓が出現していた。あ、あったわ。と、さして驚くこともなく、窓の存在に嬉しくなった。

 息抜きをしたかったのか、その周辺を探検したかったのか、私はその部屋を出て、上の階に行った。そこは屋上庭園のような、いやむしろ外そのもの、屋外が広がっていた。空も近かった。薄いブルーと白いイメージ。確かここにくるまでに小学生の高学年くらいの女の子も一緒に来ていたな。
 その先へと歩いていくと、ススキが生い茂った土手の方から誰かに呼び止められた。それはかつての恩師と認識している人物だったが、見た目は藤木直人そのものだった。そして私はその人をキヒラさん、と呼んでいた。キヒラさんは赤いつなぎを着て、こちらにやってきた。
 キヒラさんはちょっとこれ手伝ってといって、耕運機のような機械の側まで来た。その時、小学生の女の子と小学生時代の同級生だったまさひろが、当時の姿のまま青いジャージを着てそこにいた。
 3人でキヒラさんを手伝った。何かの拍子にキヒラさんが倒れて腰を落とす形で立てなくなってしまった。まさひろが後ろで支えて、私が足をさすった。キヒラさんが「あの時の傷が出てきたな」と言った。あの時の傷、がどんなものなのか、あの時がいつなのか、私にはわからなかったけど、次第にそれが忘れていたことかのように、思い出し始めた。知らなかったもののはずなのに、思い出し始めた。
 キヒラさんが落ち着いたのでせーので起こそうとした時、まさひろが後ろの藁の束に倒れた。その光景がおかしくて、平和で、「まさひろがたおれたー」とふざけて笑った。藁が光に包まれて金色だった。
 キヒラさんを抱える形で支えながら、建物の入り口付近まで来た。女の子とまさひろは建物に入ったのか、違う道に入ったのか先に行ってしまった。私はキヒラさんを抱きしめながら、このままずっと抱きしめていたい、抱きついていたいと思い、そうしてしまった。ずっとそうしたかったのかもしれない。キヒラさんが抵抗しないのをいいことに、私はしばらくそのままでいた。
 「抱きしめているから言うけどな」キヒラさんが言った。
 「あの時どうして受けなかった。俺が旭川にいる時に推薦した執筆の仕事※。あれを受けていれば今頃・・」
 私はハッとした。目の前が真っ白になった。真っ白になった瞬間に赤いつなぎを着たキヒラさんは私から離れた。これもさっきと同じで、そんなの初耳だよと思ったのに、だんだんそういうことがあったのだと思い出してくる。あれを受けていれば、今頃人生が全く違ったかもしれない。やりたいことに邁進している人生だったかもしれない。そう言う気持ちが込み上げてきて、膝がガクガクと崩れ落ちそうになった。落ちなかったけど。この時、真っ白の頭の中に「60-62」と言う数字が見えた。そして、先に行ったはずのまさひろが隣で心配そうに立っていた。

※この時、なぜか武田鉄矢が浮かんだ。「武」と言う文字と金八先生の時の武田鉄矢の顔が絵で浮かんだ。あと稲穂?

at 20201128



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