おもい

ほんのりと、まるで心が安らぐような日差しを浴びながら一人の青年が見慣れていた景色をよぎっていく。ひび割れて倒壊してしまったビル、割れた窓ガラスをそのままに大量の蔦が絡みついている一軒家、まるで森のようにも見えるそれは特に日当たりのいいところに山吹色の花が咲いている。あたりにはこの世界を滅ぼした原因である幻獣たちが闊歩していた。それらは青年を見るたびにまるで目上の人物にするかのように道を開ける。そんな彼らの様子に目もくれず、青年は廃墟と化した教会までやってきた。中に入るとかろうじて残っているステンドグラスが目に入る。だがそれに目もくれずに奥へと歩を進めていき、十字架をかたどった石造の裏を除くとそこには隠し扉があった。青年は慣れた手つきで扉を開くと下り階段がのぞいている。薄暗いそこはまるで青年の心境を表しているようだった。
「…」
少しだけ痛む胸を押さえながら、階段を下りる。しばらく狭い道を進んでいくと開けた空間に出た。緑、桃色、橙、青…淡い炎がゆらゆらと揺れ、その空間を照らしている。そしてその空間の中心に鎮座する天蓋付きのベッドが一際存在感を晒しだしていた。ゆっくりとそのベッドに近づき、天蓋の中をのぞくとそこには長い黒髪が特徴的な色白の少女が眠っている。
「…ねぇ」
そっと、やせこけた少女の頬を撫でるが、少女は身じろぐこともせず、ただゆっくりと静かに呼吸を繰り返すだけだ。そんな少女の様子に青年は泣きそうになりながらも首に巻いていた青いマフラーを緩めた。このマフラーは目の前で眠る少女が、かつて自分にくれたものだった。彼女がくれた、宝物の一つ…唯一、彼女が残していった『おもい』
「はやく、起きてよ…」
零れ落ちそうになる涙をこらえながら、青年は少女と出会った時のことを思い出した。

――――――

それはまだこの世界が終わる前のことであり、青年が本当に心を開ける家族に出会う前の話である。ネグレクトされて施設に預けられた、当時幼子だった青年はその施設で誰に心を開くでもなく隅っこのほうで一人本を読んでいた。かわいらしい動物たちが森で大きなカステラを焼くお話の絵本から、少し小難しい言葉がたくさん並んだ文字だらけの本、中には写真だらけのものもあった。読む、というより眺めることが多かったかもしれないが、それでも周りの人とかかわるよりも落ち着いたし、何より自分だけの世界に引き込まれているような、まるでその世界の一員になって小難しい話をぼんやりと聞いているだけのような感覚でもとても心地が良かった。
かかわらなければ悲しい思いはしない。
かかわらなければ怖い思いはしない。
かかわらなければ苦しい思いはしない。
そう考えたまま、青年は施設の職員とも、同じような境遇だったであろう子たちとも一線を引いて極力かかわらないままで毎日を過ごしていた。その過ごし方がとても気が楽だったから。だから彼女が来た時も、極力かかわらないまま彼女が引き取られるのが先だろうと思っていた。
「--です!!すきなものは…」
みんなの前で自己紹介をするその姿は、自分がこの施設に初めて来たときにしたぼそぼそとつぶやくようなそれとはまったくの正反対だった。第一の印象は明るく、元気な子。職員さんが話していたような、両親が事故で亡くなったショックのあまり家族の記憶をなくしている、なんて仄暗いものを感じさせないほどに天真爛漫なコミュ力お化け。根暗で一人でいる自分とは性格も行動も、何もかもが真逆だと思った。きっとショックで記憶を失うということはそれだけ両親に愛情を注いでもらっていたのだろう。愛情をもらうことができなかった自分とは違う。愛という名の憎悪を注ぎ込まれ続けた自分とは、全く違うのだ。
(…よくしゃべるひとだなぁ…)
そう思いつつ、いつも通り隅っこにうずくまるようにして先ほど見つけた分厚い本を開いた。難しい文字ばかりだし、なんて書いてあるのかはさっぱりだが、順番に文字を目で追っていく。時折見たことのある文字を見つけて頭の中でその文字を読む、といっても、本当に一部だけであって言葉のピースではあるが。
「ぇ…ねぇ!!」
「…!?うわぁ!?」
ふと声が聞こえて本から視線を目の前に移す。いつの間にか自己紹介が終わっていたらしく、目の前には先ほどみんなの注目の的になっていた少女が目の前にいた。思わず驚いて(おそらくだが)今までで一番大きな声が出てしまう。そしてそのまま後ずさろうとしたが、隅っこにうずくまっていたがためにすぐ後ろは壁で後ずさることができなかった。
「やっときづいた!!きみ、それなぁに?」
「あ、え…っと…」
「すごくおっきい!!…あ!!えがない!!むずかしーもの?」
「えっと、えっと…!!」
まるで会話のドッチボールだった。彼女が投げた言葉のボールをうまく投げ返せずにあたる。でも彼女はお構いなしに言葉を投げかけてくる。頭の中はなんて返したらいいのかわからずぐるぐると回り混乱しているのに、次から次へと投げかけられるボールをよけることすらままならない。一つのボールに気を取られていれば次のボールが投げつけられる。そのさまは台風のようでもあった。
「それでね…」
「ご、ごめんなさい!!」
あまりにも勢いよくボールを投げられ続け、混乱した頭はその場から離れることを選択したようだ。一言叫ぶように謝るとすぐ立ち上がってそそくさとその場を後にした。これからは見つからないようにしなければ。そう思い来たばかりの彼女は知らないであろう場所を思い浮かべ、次からそこで本を見ようと決意した…のだが
「みつけた!!」
「きょうはなによんでるの?」
「こんなところあったんだ!!」
毎日毎日、彼女は青年がどこにいても必ず見つけだし、執拗に話しかけてきた。どれだけ隠れられる場所を探しても気づけばそこにいる少女にイライラとした気持ちを募らせ、ある日思わず冷たい声で尋ねたのだ。
「なんで、そんなにぼくにつきまとうの」
「?」
その言葉を聞いた少女はなにがなんだかわからないといった様子で首を傾げる。そんな少女の様子に今までため込んでいたものを一気に吐き出すようにまくしたてた。しつこい、なんでついてくるの、近づかないで
「はなしかけないでよ!!」
そうさけんでハッとして少女を見た。少女は鳩が豆鉄砲を食らったようにぽかんとした後、ごめんなさいとだけ言い残すとどこかへといってしまった。
「…」
ほっと胸をなでおろし、青年は手に持っていた本を開きなおす。これで安心していつも通り過ごすことができる…そう、どこかで気づきそうになっていた感情を無視したまま安心するふりをした。しかし、暫くしてやはり少女は青年に話しかけてきた。前ほど喧しく話しかけては来なくなったが、少しずつ歩み寄るように近づいてきた。
「…まだつきまとうの」
「え?」
「…まえもきいたけどなんでつきまとうの」
「えーっと…」
青年がうんざりとした様子で少女に尋ねる。それに少女はしばらく腕を組んでうなるとぼそりとつぶやいた。
「さみしそう…だったから?」
「…さみしそう?」
「うん…すごくさみしそうなおとがしたよ?」
少女が何を言っているのかわからない。自分は別に寂しくなんてない、なのになんでこの少女は自分のことを寂しそうだなんて言いうのだろうか…いや、本当に寂しくなかったのだろうか。
(…そんなわけ、ない)
寂しくないなんて建前だ。本当はちゃんと愛されたかった。誰かと一緒に笑いたかった。愛情だって、ちゃんと享受したかった。しかし傷つけられるのを恐れて一線を引いた。愛という建前のもとにつけられた傷跡を見るたびにあの時の行為を思い出し、どうしても人とかかわることを拒絶していた。青年はいつの間にかすべてを拒絶するために自分の心を氷漬けにしていたのだ。
「…ごめんね」
「?」
少女はそれに気づいていたのだろう。音がした、というのはやはりよくわからないがそれでも自身の凍てついた心を温めようと躍起になっていたのだと思うとあの時怒鳴ってしまったのが申し訳なくなった。一言謝って少女の様子を見れば何が何だかわからない、といった様子でこちらを見ていた。
「まえ、おこってごめん」
「まえ?…ああ!!」
ようやっと少女にも伝わったようだ。少女ははっとしたように手のひらをポンとたたくと、青年に対して口を開いた。
「あれはあたしがわるかったから!!きみがあやまることじゃないよ!!」
「でも…」
「でもじゃないよ…もう!!」
青年が言い訳をしようとする前に少女が青年の言葉を遮り、立ち上がる。そしてそのまま青年の前に仁王立ちすると青年を指さして言った。
「あれはあたしがわるかったの!!きみがあやまることじゃないの!!あやまるんだったらともだちになって!!」
いつぞやのドッチボールで投げられた言葉よろしく、少女は一気に捲し立て、指さしていた手を青年に差し出した。それに今度は青年が一瞬ぽかんとし、ハッとするとおずおずとその手を取った。
「!!…ふふ」
手を取ってもらえたことがとてもうれしかったのだろう、少女は普段の快活な様子じゃ想像できないほど柔らかく、恥ずかしそうに笑っている。それに青年も今まで下がっていた口角が久しぶりに上がった気がした。

―――――

あれからたくさんの月日が流れ、少女は青年にたくさんの思いを与えてくれた。しかし実際に今、最終的に残ったのは思いという名の『重石』だ。彼女が与えてくれた思いはもちろん、彼女に抱いた感情も、好意も、ましてや愛情さえも彼女は重石にかえてしまった。
「君だって、結局おいていくんだ」
あの時の母親のように、ここに来るまでにいなくなった、青年の義理の兄のように。守ると言っておきながら心までは守ってくれない。今まで結んだ絆を、積み上げた思いを使って地獄に引きずり込む。たとえそれが本人の知らないところであったとしても、残されたものはどうしようもないやるせなさと絶望を感じるのだ。
「…やっぱり、かかわらないほうが気楽…かなぁ…」
そう呟いて青年はその場を後にする。コツコツと階段を上る音がしばらく響き、ぎぃと思い音が鳴ったと思えばばたんと重い扉が閉まる音がした。幻想的な空間を静寂が支配する。生き物の気配のない、ただ淡い色の炎が照らす空間。
「ご…めん…ね」
そんな空間にひびいた掠れた謝辞は、いったい誰が誰に向けた思いだったのだろうか。それはその場を漂っている明かりのみが知っている。

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