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SM、いわゆる性癖とちゃうのかもしれん

あるマッチングサイトの周年イベントとお通しがすごいSMバーでのお喋りを経て最近考えたことです。(連続投稿記録を1ヶ月分伸ばしたいのもある)
全部あくまで自分について考えたことに過ぎなくて、だから他の人についてどう思うとかは全くないです。

界隈歴一年ほどですが、その中でも自分の被虐欲や緊縛欲の元が何なのかということについて悩んできました。特に、被虐や緊縛が自分の性的嗜好だからなのか(多分この意味合いで性癖という言葉が使われている)、それとも自分はマゾヒストだったのだろうか、など

なぜ緊縛でなくてはならないのかも、前に考えて、片道ハグ、という結論に至りました。
色々ごちゃごちゃ書いていますが、要するに自分が安心してスキンシップを取れる営みとして、縄を介した触れ合いのある緊縛を見つけたといった結論に(ひとまずは)至っています。

SMバーでの話

お通しがすごいSMバーの店主さんと話す中で、自分の自傷癖は、元を辿ると安心したいという欲求に強く結びついていることに気づかされました。
思い返してみると、私の行動原理の根本には恐怖や不安から逃避したい、安心したいという欲求が強くあるように思います。

私はコミュ障を自称しているけれど、それはもしかしたら根底にあるニンゲンコワイ→怖くて萎縮→緊張→会話が苦手、なのかもしれません。
SM関係なく肉体的接触を使ってベタベタしがちなのも、萎縮しながら考える会話より、非言語コミュニケーションの方が安心するんだと思います(相手側からスキンシップを取られてしまうと怖いのは置いておくとして)。

周年イベントの話

また、自分でも衝撃だったのですが、周年イベントに参加してショーを見たとき、想定よりもエロい、エロすぎる…!と感じました。
私が欲しいのは、いわゆるSMではないのかもしれないな、とも思いました。
界隈のスタンダードとしてはSMには性的要素が含まれる(ことが多い)、というのは一つの大きな学びになりました。

では私はSMに何を求めていて、SMプレイで何を得ているのか。
被虐が気持ち良いのは確かで、でも被虐に性的要素は必要ないな、と思います。被虐による興奮も、それ自体は性的な興奮とはまた別種類な気がします。
でも反対に、性的なことをするのであれば被虐は必要だなと思いました。性的興奮が目的で被虐が欲しいのでは多分なくて、普通のコミュニケーションよりもさらに閉じた感覚になる性的コミュニケーションで安心したい、相手と精神的に繋がっている感覚を得たい、というのが理由な気がします。

とりあえず腑に落ちた?説明

他の人なら普通の会話で得られるかもしれない相手と繋がっている感覚を手にするために、前提として安心とか信頼が必要で、そのためになぜか分からないけど殴られないといけない。
被虐に性的に興奮するというよりも、その前提としての信頼とか安心の証拠に被虐が必要なんだ、ととりあえず腑に落ちました。

私は被虐が好きだけど、それは性癖(性的嗜好、というニュアンスで)というよりも安心したいから。信頼できる人に安心させてもらうことが一番で、その触れ合いの先に性的な要素はなくていいし、関係性によっては望む場合もあるかもしれない。と、とりあえず説明してみようと思います。

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