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本当に必要な教育とは? ~ビリギャルモデル・小林さやかさんの本を読んで~

 現在高校三年生のゆなです。私は、教育に興味があって、学生向けにサードプレイスを創造し、場づくりに携わりたいと思っている。
 だけど、最近自分を見失って軸がわからなくなっていて、久々に原点を振り返ってみようと思った。

 私が教育に興味を持つようになったのは、「キラッキラの君になるために 小林さやか作」の本を読んだからだ。小林さやかさんは、ビリギャルのモデルになった方。現在、さやかさんは、なぜ受験のときにあんなに頑張れたのだろうか?と疑問に思い、教育学を大学院で学んでいるそうだ。私は、この本を読んで、学生時代の環境はとても重要で、自己肯定感が高くなるような環境を学生に創りたいなと思うようになった。また、さやかさんのお話を聞いたら、学校の先生や生徒の考え方が変わるのではないかなと考えた。

 そこで、私は自分の通っている高校の環境を変えたいと思って、さやかさんの講演会を学校で聴けたら、先生も生徒も変わるんではないかって思って、「講演会してほしいです!」と担当の先生に直談判したときに持って行った、作文を見直してみた。

 その時に、初めて自分の過去、日本の教育に対する気持ち、改善したいところを言語化してまとめてみた。当時のつたない文章であるけれど、等身大の自分の想いだったから、投稿してみようと思った。 

 誰かの心に届いたらうれしいな。

本当に必要な教育とは?


中学生で日本の教育に疑問を持つ

 私は、中学校の頃になぜこんな教育を受けなきゃいけないのだろうって思った。中一の頃は、とても恵まれていたと思う。先生たちの授業はすごくおもしろかったし、わかりやすかったし、理不尽なことで怒られるなんてなかった。でも、中二の頃に先生の入れ替わりが激しくて、入れ替わった先生はとても酷かった。

 中学校の頃って学年全体で一つって感じだった。学年の中の先生で、体育の先生がすごく権力を持っている感じだった。その先生は、私にとってすごく厳しくて嫌な先生だった。罰が好きな先生だったから、始業式とか終業式の日に校歌の声が、ほかのの学年よりも声が小さいと、みんな校庭に呼び出されて、走って、歌ってを繰り返し、先生が許してくれるまで続いた。そのとき、なんでこんなことさせられなきゃいけないの?こんなことする時間があるなら勉強したほうがためになるでしょ。この人たち頭おかしい。とか思っていた。これ以外にも、その先生のクラスの生徒は班ごとに忘れ物をしたらポイントがたまり、決められたポイントまでたまったら、班の全員が残されて課題が全員終わるまで用事があっても帰れないというのがあって、話を聞いただけでも嫌気がした。だから、中三になったらどこか違うところに行ってほしかった。

 だけど、中三でその先生がまさかの担任になってしまった。これが悪夢のようだった。今でも忘れられない嫌なことがいっぱいあった。

 一つ目は、体育祭でのことだ。私は運動音痴だから、みんなよりもいろいろできてなかった。でも、ひとそれぞれ得意、不得意違うからしょうがないじゃんってあんまり気にしてなかった。だけど、少しだけ行進ずれただけで、マイクで怒鳴られて、私が原因でみんな走らせられた。そんな状況になったら、みんなにすごい悪口言われるし、体力ないからきついし、すごくすごく嫌だった。

 二つ目は、最初志望校は、いわゆる世間でいう“普通の高校”だったから何も言われなかったけど、’普通の高校でない高校’に変えた途端に呼び出されて怒られた。進路は、私のことなのにたった一、二年しか関わらない人にとやかく言われなければならないのかと、怒られた意味がなかった。きっとこの先生は、“みんなと一緒”じゃないといけなかったのだと思う。だから、少しでも違うと理不尽でも怒ったり、罰があったんだと思う。

 三つ目は、クラスメイトが給食のときに「給食当番平等に分けんやん」ってぼそっと文句言ったのを担任の先生が聞いて、「文句言うな」ってすごくすごくクラス全員の人が怒られた。学校が辛くなってから、給食を食べることはくるしかったのに、それから残飯禁止になって無理やり大量に給食をお皿にいれられ、食べさせられることが卒業まで続いて、辛かった。吐き気するまで、時には吐いたこともあって、無理やり食べることはほんとに辛かった。

 四つ目は、そういう先生だったから、みんなのストレスが先生がいないあいだの教室で現れることだった。つねに、誰かしらの悪口が聞こえてくる、挑発する、教室のものをガンガン蹴る音が響く。
 書き出したらきりがないくらい、辛いことしかなかった。

中学での教育を受けて

 私は、誰にでもあると思うけれど中二と中三の頃は暗黒期だった。この教育を受けたときは、学校が大嫌いだったし、なにもかも嫌になった。

 でも、小林さやかさんの本を読んで、自分の経験と重ねるとわかったことがあった。本には、人は命令文では変えられないって書いてあったんだけど、中学校の頃、みんな無理矢理走らされたけど、自分の意志じゃなくて恐怖心からみんな走っていたんだってわかった。無理矢理とか命令文では、自分の意志を持つことは不可能なんだって。校則もその一部なのかなって思う。

 中学校の頃、いきなり明日からは今まで大丈夫だったけれど校則で禁止になりますってだけ言われた。理由は、職員会議で決まったからってしか言われなかった。そんなのは????ってしか思えない。先生は、校則の意味をちゃんと説明できるの?ちゃんと生徒を納得させられるの?ってすごく思う。

 時には、校則は差別になってしまうときもある。ニュースでハーフの金髪の子が校則だからと黒染めされたってあったけど、これは人種差別だと思うから、必要な校則ではないと思う。そのほかにも、制服があるとトランスジェンダーのひとは苦しいと思う。制服って個人情報も漏れるし、いらないと思う。だけど、もちろん必要な校則もあると思う。夜遊びしたらいけないとか、お酒、たばこはダメって。それには、多くのひとが納得できるだろうって思うんだ。でも、納得できないものを守るって辛くないかな?だから、さやかさんの本に先生と生徒が校則について話し合うべきだって書いてあって、すごく共感できたんだ。こう言う風にできたら、校則にもやもやしている人は解決できるんじゃないかなって思う。
 
高校生での活動を通して新たに教育問題に気付く
 
 高校二年生になってから、友達と新しい入試にむけて、ニュースについてディスカッションするようになりました。この活動を通して、教育ってすごいなって思った。

 ディスカッションで話したのは、捨て犬問題や選挙について。いろんなニュースについて話したけど、どのニュースの解決法を考えても教育を変えるっていうようになったんだ。捨て犬など、動物の命を粗末に扱う人が多くの人がいて、小さいころから動物の命の大切さを知っていれば、事情があって捨てようとしても思いとどまってくれる力がつくと思う。選挙の投票率の低さだって、学校や家庭でもっと政治の話をして有権者になる前に政治について考えるように教育していたら変わると思うし、社会のいろいろな問題を解決するには教育が大事だなって思った。
 
 ここでは、特に選挙について語りたい。日本は、政治については言ってはいけないっていう国民性があると思う。でも、この国民性っていいものではないと思う。せっかく民主主義の国になって、世界にはまだまだ民主主義ではない国もあって日本は恵まれていると思う。でも、国民性が邪魔して形だけの民主主義ってもったいなくないかな?

 日本の先生は、政治について話してはいけないんだけど、それって政府が思考力を持たないように教育しているって池上彰さんが言っていた。政治について話したらいけないのって子供が洗脳されてしまうかもしれないからっていう理由らしいけど、それって子供を馬鹿にしていると思う。

子供だって判断できるだよ。
子どもの権利条約で、子供も意見を持っていいという権利が決められてる。

 
せめて、選挙に関してではなくても、学校生活で納得できないときは自分の意見を言っていいよって教育するべきだ。それがさっきの校則について話し合うっていうことだと思う。

 自分の意見を言ったらダメ、上の人が絶対正しいっていう学校の環境で育っているから、選挙で自分の意見も持てない、英語が話せない以前になにを話していいのかわからないからカタコトででも話そうとしない、労働環境が悪いなら法律国家なのだから訴えればいいのに上の人に逆らってはダメだって泣き寝入りするっていう悪循環になっている。

 また選挙の話に戻るけど、ヨーロッパのほうとかアメリカでは、学校に立候補者を呼んで生徒が疑問に思ったら立候補者に質問できるし、それに対してちゃんと立候補者が答えるから立候補者と国民が向きあっていけていると思う。マスコミも選挙について積極的に取り上げないし、日本って本当に政治について興味を持ちにくいようになっていると思う。こないだの参議院選挙では、マスコミが選挙よりも吉本興業について取り上げていて驚いた。吉本興業の人には悪いけど、国全体の問題より一会社が大きく取り上げられるなんておかしいと思う。教育も変えるべきだけれど、こういうところも変えていかないといけないと思う。

小林さやかさんの本を読んで

 さやかさんの本を読んで、学校と家庭での教育ってすごく大事って思った。

 教育で一番大事なのって、否定しないことだってわかった。親も先生も、子供の偏差値がどれだけ低くても行きたい大学が決まってその大学がとても偏差値が高くても否定したらいけない。否定したら、その子の可能性を潰してしまってキラキラした人生を歩むことを壊しちゃうってこの本からすごく分かった。さやかさんや私、私の友達が経験した、先生からの人格否定や絶対無理っていわれるのってとても悲しい。否定している先生に聞きたいけれど、自分が否定されたら悲しくないのかなって。もっと子供に寄り添えるような学校が増えてほしいなって思う。そのためには、先生たちの業務も減らすべきだ。

 あと、学校は絶対に必要だ。社会には、いろいろな人がいてみんな違うからお互い尊重して生きていかないといけない。でも、前にも書いたけど日本ってみんな一緒じゃないとダメって大体の学校で教わるから、社会で相手を尊重するってなかなかできないと思う。だけど、私の通っている高校には歳もバラバラで障がい者の人もいて、みんな違っていいんだってわかれる学校だと思うからすごいと思うし、誇りに思う。だから、この学校をさやかさんに知ってほしいなって思った。こういう学校って全国探してもあまりないんじゃない?

 お金について教育するべきじゃないかな?今まで上げてきた変えるべき教育って生きていくために必要な教科だと思うんだ。

 なんで生きていく上で必要な学びを義務教育でやらないんだろうか?個人的な意見なんだけど、多くの人が偏差値が高い大学に行ってというのは偏差値が高いほど、就職しやすくて将来安泰で子供が幸せになると思っているからだと思う。でも、最近の世の中は東大に行ったって就職できるかなんてわからない。だから、頭がいいっていうよりも生きていく力をつけれたほうが多くの人が幸せになれると思う。
 
変えるべき日本の教育
 以上のことを通して、私は日本の変えるべき教育は以下のことだと思う。
・学校を自分の意見を言える環境にする
・命令文や無理矢理は何も生まれない
・政治を話すのはタブーじゃない
・子供を否定して可能性を壊さない
・子供に寄り添えるように先生たちの業務を減らす
・生きるための力をつける教育
・みんな違ってみんないい

最後に
 日本の教育って先進国の中ですごく遅れているっていうのは聞いたことが昔からあったけど、全然中身はしらなかった。でも、中学時代、ニュースについてのディスカッション、さやかさんの本を通して教育について考えて、“この国の教育を変えたい”っていう想いができて、大学で学びたいことを発見できてよかった。中学時代は嫌いだったあの先生も、あの先生がいなかったら教育に目をむけることもなかったから今では感謝しています。

 今は、教育学を学んでいるさやかさんには共感できるものが多くて、この人に会って話をきいてみたいし、会ったら本には書かれていないこともきいてみたい。あと、学校で得られないものを企画してイベントを開いていて、ほかにも活動していないかとても気になる。

 あと、大学に行って日本の教育学と心理学を学んで子供に寄り添える教育を作っていきたい。子供がキラキラして可能性をつぶされないような。そのためには、教育が進んでいるドイツや北欧の教育学を学びたいし、先生たちの業務も減らしたい。

 私は、この国に生まれてほかの人と違う意見を言っただけで、“変わり者”“空気読めない”って言われるのが嫌で、海外に行きたいって思っていたけれど、教育で変われるし、自分の意見を言える環境があるだけで、社会の問題も解決すると思うから、私は将来教育に携わって、この国をもっと生きやすい国にしていきたい。

 最後まで読んでくださりありがとうございました。

 この作文を担当の先生には、共感してもらえることはできたけど、お金の問題で講演会をしてもらうことは叶わなかった。だけど、全校生徒と先生にはこの本を読んでほしいと、プリント配ったり、掲示板に貼ったり、行動はできてよかった。

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