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2023年11月18日ショーイベント「小説家と2人目の被害者」

ナツメ、5歳。
善悪の判断がつく年頃になってきた。何が悪くて何が善いことなのかしつこく尋ねてくる。執筆の仕事をしている横で、スタンダードな善と悪の絵本を読みながら「これは悪い狼がね、」と内容を聞かせてくるのだ。ナツメは聡い。仕事の邪魔をしないように言えばレコードの音の邪魔をしない音量で1人で絵本を読む。もう小学校に上げてもいいんじゃないか、なんて親心のような誇らしげなものをぼんやり持つが、自分にはそんな資格はない。馬鹿らしい。
ナツメに自分がやっていることを話せば、私は悪い人だと言うのだろうか。

××××年12月6日

天気は曇り。街まで買い物に出かけた。息を吐けば白くふうっともやが立ち上る。道ゆく人も足早で、歓楽街をゆっくり楽しもうなんて人はそうそういなかった。
買い物に出かけたつもりがかなり早く済んでしまい、本屋に寄ったりカフェでコーヒーを嗜んだりと夜になるまで時間を潰した。そろそろ帰ろうかと分厚いアウターを羽織ってマフラーを巻き、店を出たところで人がずらりと並んで立っていることに気づいた。皆みずぼらしい格好をしているわけではないが、どう考えてもこの季節感には見合わないコートばかり着ている。ああ、俗にいう立ちんぼというやつか。最近新聞の記事にも道端で売春する少女達が増えている問題が深刻化していると見出しがあった。幸い並んでいる女性達は声をかけてこない私には興味がないようで下を向くか携帯を見て暇を潰している。私も歳をとり過ぎた女達に興味はないため、時たまにこちらを値踏みするような視線の彼女達の横を嫌な気持ちで通り過ぎると、丁度並んでいる人が切れた端に幼い顔立ちを見た。
成人はしていないだろう。14歳か…もっと年上でも17歳くらい、いや、16歳か。薄手の黒いロングコートを着ているがかなり薄手なのがはっきりわかる。下にもあまりいいものを着ていないようで生足が見えている。靴も薄く履き潰されている。見たところ家出だろう。一枚しか無いコートに首を埋めてかちかち歯を鳴らす音が聞こえる。

「君、1人かい?当ててあげよう。家出でもしてきたんだろ?」

少女は突然声をかけられたことにぎょっとした顔をしたが、話しかけてきたのが私だとわかると恐る恐る首を縦に振った。
やはり幼い。近くで見ると体も細いのがアウターの上からでもわかる。顎の辺りで髪は切り揃えられているが後ろの髪は長い、ふんわりした茶髪。怯えたようにこちらを見たりよそを見たりする瞳から少女が気弱なことを直感する。

「うちに来ないか?………これだけ出そうじゃないか」

不意にポケットの中に入っていたお札を放った。少女の目の色が一気に変わり、しゃがみ込んで餌にありつく腹を空かせた獣のように札束をかき集めた。残さず腕の中に収め、大事に抱え込むと、少女は幼い笑顔に希望を浮かべる。私は君の仕事は5歳の女の子の世話と私の愛人役だと説明しながら手を差し伸べ、名前を名乗るように言った。彼女は自分のことを「くらげ」とはっきり言い、ウキウキした様子で自分が金持ちの男に囲ってもらえるであろう未来を思い描きながら手を取った。

丁度、小説の執筆に行き詰まっていたところだったんだ。こうして彼女は3人目の愛人になった。

長い長い道のりをバスで乗り継ぎ、街灯がぽつりぽつりとある道をやっとのことで歩いてたどり着いたところに私の屋敷はある。重たい買い物の荷物を置き、整理をしている間にくらげには風呂に入るように言いつけた。
白いワンピースと柔らかいバスタオルを持たせる。彼女にとって何日振りの湯船なんだろうと考える間もなくこれからすることへの思いを馳せ胸が躍っていた。先に鉛筆を取りたい欲求に駆られながらもお茶の支度をしていると、風呂場からくらげが出て来た音がしたので、脱衣所で髪を乾かしてやった。
出会った時より幾分良い顔色でいるくらげを部屋に案内すると、くるりくるりと部屋を物珍しそうに見渡した。お湯の入ったティーポット、カップ、クッキー、二輪の薔薇が飾られたガラスの花瓶、そして火のついた蝋燭。薄暗い部屋に灯る灯りにぼんやり照らされた花瓶から反射する水面が小さな円形のテーブルに反射していた。

小説家は少女をテーブルに用意された席に案内した。小さな茶色いスツールの、彼女におあつらえ向きな席。少女は嬉しそうにテーブルの上のあれこれを見つめて、白いワンピースをふんわりつまみ席に着く。小説家はそれを見て、お嬢様を敬うようにうやうやしくティーポットからカップに湯気の立つ紅茶を注いだ。紅茶の匂いが、温度が、周囲を包む。少女はにっこり微笑み、小説家も呼応するように微笑んだ。

ー後ろ手に隠した赤い縄のことなんて無かったかのような暖かさ。

少女の後ろに立った小説家はゆっくり抱きしめるように少女の肩に手を置いたが、突如その細い手首を掴み手首に縄が掛かる。哀れな少女は何が起きたのか分からずに暴れたが、体格が全く違う大の大人の力には勝てず一瞬で拘束されてしまった。縄の結び目を掴まれぐいっと床にうつ伏せの姿勢で押し倒される。胸が打たれる衝撃と、胸の肉が潰される感覚が走って声が漏れた。訳のわからなさと恐ろしさに涙が出る。
哀れな被害者はなんとか逃れようと脚をバタバタさせて暴れたが、背中の真ん中をぐっと床に押し付けられて苦しく全く意味のないものとなる。それに暴れるたびに尻を叩かれるので抵抗する気が失せる。あれよあれよという間に縄の上から手枷をつけられ、縄は解かれてしまった。おもむろに小説家が卓上の蝋燭を手に取った。淡くて深い青色のろうがたらたらと少女の腿に落ち、その熱さに悲鳴が上がる。脚を動かしたい、でも動かしたらまた痛いのが来る。回らない頭で脚がどんどん熱いものに汚されていくのに、少女はその正体を知らない。小説家は置いてあった火のついていない蝋燭を持ち上げ、それに火を移して溶けた蝋を垂らした。より熱い蝋の刺激で声が大きくなる。まあ、ここまではやったことがある。小説家は両方の蝋燭の火を吹き消し、立ち上がった。これは少女が反抗心を失うための、いわば躾けだ。
暴れてぐったりした少女を横目に、小説家は黒い鞭を手に取った。持ち手の先に硬い皮がバラバラと下がっている。

「うっ…!あっ!やだ!いっ!!」

痛い!と叫ぶ余裕もなく次の打撃が飛んでくる。バチン!バチン!と鞭が弧を描き、纏まった先が少女の肌を打つ。薄い布地の下の尻がどんどん赤くなっていく。たまに鞭の先を打たれて熱くなった肉の上に置き滑らせると、苦痛だったはずがくすぐったいような感覚になって少女の声が上擦った。痛いことをされているのか愛でられているのかわからない。頭がおかしくなる。狂う。怖い、恐ろしい。
そんなことで頭がいっぱいになるが、しばらくすると鞭の雨が止んだ。腕を引っ張りあげられて立たされると手枷を繋いでいた金具が外され、天井から伸びるカラビナに繋ぎ直される。少女はもう抵抗する気は起きず、ただ目の前の小説家の次の一手に怯え、恐怖から逃れるためにこの暖かい家ともらった金のこと、外で金を得るために立ち続ける孤独感のことを考えていた。
小説家は長い鞭を手に取った。身に纏う黒い服にギラリと映える赤い鞭。それを軽く左右に振り、白い服の少女の身体に纏わり付かせる。一度少女に近づいた小説家は彼女の顎をぐいと掴み顔を上げさせた。少女が見たのは、高揚に満ちた恐ろしくも美しい悪魔の笑顔だった。しばし見つめ合った後小説家は少女に向かって微笑みながら後に下がり、鞭を振るのに適切な距離で立ち止まる。右手に持った鞭を頭の後ろに構えると、それを少女の腹に向かって振った。鞭は勢い余って彼女の体を包み、喉からは悲鳴が上がる。見えるところで振る鞭は何よりも怖い。さほど痛くはないものの鞭がものすごい勢いで飛んでくると身体に力が入りぐっと耐える姿勢になってしまう。そうやって気を使うのに頭を使って、巻き付くだけでなくお腹や、尻や、足に向かって飛んでくる凶器と痛みにぼんやりと意識が離れた。いつまで続くんだろう。目頭が熱くなって、視界が床に離れる感覚がある。

「私の顔を見なさい」

小説家は再び少女に近づき、首を強く掴んでそう言い放った。もう許してほしい、やめてほしい。そんな気持ちで見上げるが、息が上がって瞳孔が開いた目はとても終わりを示しているとは思えなかった。
少女の後ろに回った悪魔は再び鞭を振る。今度は見えないところからの打撃。また苦痛の声が上がり、それに喜びを覚えながら少女の周りを歩き、また正面に戻る。再び振った鞭が跳ね返り、大きな音を立て薔薇の花瓶がひっくり返った。少女はびくりと体を震わせたが、目の前の蛇はとても気にしているような様子はなく再び鞭で蛙の身体に鞭を纏わせて手前に引いた。

「あぁ、あぁ、ああ…」

歓喜にも拍手にも似た声色で、テンポで、興奮を表した小説家は少女を離すと、テーブルの上にあったティーカップを手に取る。まだ湯気がたちのぼるそれを少女の目の前でひとくち。そして中身を全部彼女にぶちまけた。お茶会も彼女の描いていた幸せな夢も全部全部ぶち壊しだ。白いワンピースが茶色く汚され、ところどころ滴り落ちる。少女の目が絶望に染まったところで、悪魔は再び少女の背後にまわり棚から何かを取り出した。

カチカチカチッ

どこか聞き覚えのある刃物の音に、可哀想な少女は恐怖のボルテージがマックスになる。
えっ?なんの音?もしかして…もしかしてまさか、まさか。カッターナイフ?これから何をされるの?さっきの鞭より、熱いのより痛いこと?死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ!死にたくない!
ガチャガチャ手枷を鳴らし、できるだけ逃げようと努力する。必死の抵抗も虚しく、後ろから抱きしめられるように体を掴まれ、首を手に取られた。

「いやだ!いやだ!助けて!死にたくないよぅ!」

顎に冷たいものが押し当てられる感触。死に抵抗する心臓が痛い。喉仏がぐっと圧迫されるのと同時に喉に熱いものが走った。次に追いついてきたのは視界。そして痛み。首を横一字に切り裂かれた少女の傷口からはどく、どくととめどなく鮮血が溢れる。まるで壊れた水道管みたいに、鼓動に合わせて赤い血が床に落ちる。食道に入り込んだ血が少女の口の中を鉄の味でいっぱいにした。ああ…血を止めないと死んでしまう。ショックで妙に冷静になる頭でそんなことを考えたが、頭から冷たいものが広がって体のどこにも力が入らない。そんなに深い傷ではないと思いたいけど、どこまで刺さったのか考えたくもない。呼吸ができない。怖い。落ちていく意識の中手枷が外され、少女は床に倒れ込んだ。

小説家は倒れてしまったくらげのまわりを一周すると、顔の横にしゃがみ込んだ。血塗れの手を頬に当て、実につまらなさそうに少女を観察する。彼女の首に手を当ててみたり呼吸を確認したりして、どんどん弱くなっていく出血を見て死を実感した。
死んだものは一番つまらない。ここまでやるつもりじゃなくて、動脈を切ってちょっと観察するだけのつもりだったのに。やりすぎてしまった。死によって冷めてしまった熱を惜しく思いながら、小説家は立ち上がる。床に散らばった薔薇の一輪をくらげの身体に投げ、後片付けのためにその場を後にした。

火の消えたろうそくからたちのぼる煙、使い終わってずさんに投げられた鞭、空っぽのティーカップ、割れた花瓶、そして死体と血。
全てが終わった部屋に静けさが戻る。

こうして彼女もまた、裏庭の薔薇園の一輪になった。

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