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3泊4日ハノイ旅行③🇻🇳


3日目はハノイ市内観光。
ベトナムは社会主義国家で、政治体制はベトナム共産党の一党独裁体制下にある。市内を散策していると、社会主義を思わせる光景もちらほら。

また、ベトナム戦争後終結から50年程しか経っておらず、戦争の歴史を伝える施設も多くある。

この日はそんな、ベトナムの国家の成り立ちや、現在に至るまでの歴史を見つめる機会になった。


ホーチミン廟

ホー・チ・ミンを見た!と言うと怪訝な顔をされそうだが、本当にあのベトナム建国の父、ホー•チ•ミンを見たのだ。大学受験は世界史選択で、歴史好きの私からするととんでもないことだった。

ハノイにホー・チ・ミンの冷凍保存された遺体が安置された廟があり、朝の決まった時間に限り、一般に公開されている。

廟の周りにはミュージアムや、ホー・チ・ミン公邸跡などがあり、ベトナム社会主義の歴史を学ぶことができる。

確かホー•チ•ミン廟は朝の10時頃まで公開されており、私たちが着いた頃には既に地元民と観光客が列をなしていた。

厳重な保安検査を経て、その列で廟に足を踏み入れることが許される。立ち止まってはいけないし、勿論写真撮影も禁止。とにかく荘厳な雰囲気だった。

棺の四方を歩くようにして、計30秒ほどだったか。おじいさんの蝋人形みたいな、ホー・チ・ミンさんがいらっしゃった。ミイラのようになっているのかと思う人もいるかもしれないがそんなことはなく、今にも起きてきそうな眠った老人にしか見えなかった。死体保存の技術も凄い。

人生でホー・チ・ミンにお会いすることができたのはこの上ない貴重な体験だが、なんだか死後もこんな風に人の前に居続けなきゃならないなんて、疲れそうだなぁと、思ってしまったのが本心だ。

「ホー・チ・ミン自身は、存命中に自己顕示的行動に及ぶことはほとんどなく、その死に際しても本人は火葬および北部(トンキン)、中部(安南)、南部(コーチシナ)への分骨を望んでおり、個人崇拝につながる墓所の建設を望んでいなかったが、ベトナム当局はその遺書を全文公開せず、「会いたくても統一までは直接会えなかった旧南ベトナム人民のため、統一後も会えるように体を保存した」という名目で建設されたものである。」(wikipedia より)

やっぱりホー・チ・ミンさん嫌がってるじゃないかと思ったが、それだけ多くのベトナム人に尊敬されている人物なのだと感じた。日本で、永久保存してご遺体に会いにいきたいほどの偉人っているのかな、、?少し考えてみたが誰も思いつかなかった。(源義経とかそこまで遡ればいそう、、)

拝むことができたのは一瞬だったが、歴史を目の前で見て、不思議な気持ちになった。

昔関ヶ原を訪れた時もここであの天下分け目の合戦があったのかと考えると湧き立つものがあり、不思議と興奮したが、その時と同じだ(歴史オタク)。



ホーチミンの家

霊廟の側に、ミュージアムと家があるのだが、今回私たちはホーチミンの家だけ訪れた。

公園を散策するような感じで、ホー・チ・ミン氏(呼び方が定まらない)が一時期利用していたという公邸を含めた施設を見て回る。

率直な感想としては、思ったよりも素朴な家だった。もちろん決して粗末ではないが、国家のトップなのだから、望めばいくらでも壮大なものにできたんだろうなと思う。生活に贅沢さを求めないホー・チ・ミン氏の信条や性格が窺える。

黄色が素敵
書斎


タンロン城跡

午前中に、もう一つ訪れたのがタンロン城跡。

“2003年からベトナムの首都のハノイで発掘された遺跡群。タンロン(昇龍)はハノイの旧称。1010年から1804年までほぼ一貫してベトナム諸王朝がここに都を置いたため、各時代の遺跡が重なっているのが特徴である。2010年8月にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。” (Wikipediaをそのまま抜粋しました汗)


要するに昔のお城なのだが、このお城も、ベトナム戦争時代には地下壕が設けられ、城跡も作戦基地として使用されたという。そのため、当時の様子を表す展示を見ることができる。


城跡周りを散策していると、伝統衣装を着て写真撮影をしている家族連れが多い。市民憩いの場、といった感じなのだが、戦後まだそれほど年月が経っていないベトナムには、こうして戦争の跡もあちこちに残っているのだ。

何世紀もの間首都として機能しているハノイの変遷に思いを馳せる。

歴史を知るのって大事だ。月並みな感想だが、そんなことを思った。

向こうの建物はフランス統治時代の施設



Bún Chả Hàng Quạt

1日目にローカルの方が教えてくれたブンチャー(ベトナムつけ麺)のお店。建物が隣り合う路地が台所になっていてその奥に席がある。

同じ建物にカフェも併設されていて、カフェメニューを頼むと、ちょっと良い席に座れた。英語が伝わらないようだったが、おばあさんが英語のメニューを持ってきてくれて、指を指して珈琲を頼んだ。

それからブンチャーと揚げ春巻きも頼む。お昼頃で、地元の人達で賑わっていた。

ここのブンチャーはとても美味しかった。やや甘めのタレに唐辛子と、パクチーなどの生野菜をガサガサと入れるといくらでも食べられる。

揚げ春巻きもサクサクで日本のトロミのある春巻きとは全く違った。

ただここ、英語が全く通じない。見た感じレジもないようなのでお会計はどのようにするのか、と聞きたかったのだが、今すぐだと思ったのか、次のお客さんを席まで連れてきてしまい、追い立てられるように席を立つことに、、(まだ食べ終わっていなかった泣)
2人して半泣きで店を出る。

言葉の通じない店ではお会計は食べ終わるまで気にしてはいけない、、泣

1番美味しかった!!



トレインストリート①

気を取り直して、街を散策しつつお土産のコーヒーを購入。ベトナムは本当にコーヒーが美味しい。

そして、本日の目的地の1つ、トレインストリートへ向かう。トレインストリートとはその名の通り、線路に面した通りで、実際に電車も通る。観光客の人気スポットの1つである。

もちろん安全面で問題があるので、政府は規制したがっているようだったが、今はまだ、ストリートのカフェ利用客という名目で、線路を通ることができる。ストリート近くに行くと、客引きの人がいて、「うちのカフェに来ないかい」と聞いてくる。特にカフェにこだわりがないのであれば誰についていっても良いと思う笑。

客引きのおばさんに着いてストリートのカフェに行くが、電車は夜まで来ないと判明。
一休みして、また夜に来ることにした。

そのカフェは普通のお家が玄関に椅子とテーブルを出してカフェ、と言っているような素朴なお店だった。おばさんと、おばあさんと、おじさんがいて、言葉はあまり通じないが、ニコニコしていた。トイレを借りると、普通に歯ブラシとか置いてあり、生活感が溢れていた。

おばさんについて行く
カフェの方の庇護のもと(?)線路を散策


日本だったらネットリンチにあうだろうな


タン・ロン水上人形劇場

夜は、前日に予約しておいた伝統の水上人形劇鑑賞へ。チケットはオンラインプラットフォームで予約し、指定の会場近くのホテルで受け取り、という受渡方法だった。

音楽に合わせて、村人の生活などの素朴な題材のちょっとした小話がいくつか。素朴さが気に入った。水上人形劇なので、人形の動きだけで十分見応えもある。日本語通訳ガイドも対応しているので、話の大筋も理解できた⚪︎

ホアン・キエム湖

トレインストリート②

どうせ来たのだから、電車を見たい、ということで、夜になって再びトレインストリートへ向かいカフェへ。

「撮り鉄」と呼ばれる人の気持ちが分かった日だった、、なんと夜10時ごろの最後の電車まで居座ってしまった。

ガタンガタン、と電車が向かってくる音が聞こえてきてから、自分の前をゼロ距離で通り過ぎて行く迫力はもの凄くて、良い写真を撮りたいと構えているのだが、やはり本能的に身の危険を感じ毎回若干引き気味になってしまった。

渾身の1枚
夜のハノイ大聖堂も


この日は中々盛り沢山で、長文になってしまった。

念願だったベトナム、ハノイ旅行。今回はハノイのみに絞ったが印象的な体験をした。

ハノイの、ローカルなクラクションが鳴り響いて、人々の生活音、そして観光客が行き交うガサガサした雰囲気と、厳かな行政施設や歴史施設が混在している感じが、3日目には大好きになった。

また、マレーシア生活では感じることのできない12月上旬の冬の空気も、気持ちよかった。

食事、文化、歴史、自然

どんな人でも、少し街を歩けば何か興味や関心が湧く物事に出会えるのがベトナム・ハノイ旅行だ。

観光地でもあり、地元民の生活の場でもある
絵に描いたよう社会主義国家のような光景も



3泊4日ハノイ旅行(完)

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