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白血病児の親になる | Vol.4 | 親の心情
こんにちは!白倉侑奈です。
長男が2022年12月、小児白血病と診断されました。2歳2か月の時でした。
前回の記事はこちら。
病気の症状が出たのが2022年11月で、退院出来たのが2023年8月。
その間私たちに起きたことを、
発症~診断
治療初期
親の心情
親の対応・面会スケジュール
一時退院期間
治療後半
の6つに分けて書いていきます。今回は3について。
前回までの記事は起きた症状や治療について事実ベースで時系列に書きましたが、今回記事はもう少し心情的な部分に触れていきます。
性質上ネガティブな記述が多くなってしまいます。
次の記事からもう少し前向きなお話になっていくかと。
保育園
保育園にまた行ける日はいつ来るのか
前々回の記事にも書きましたが、症状が出て1週間ほどで保育園に通えなくなります。歩けなくなっていたので、そりゃそうです。
保育園にいけなくなり、ひたすら病院をめぐる日々を10日も過ごすと、保育園はなんだかとても遠い存在に感じました。
そんな心情だったからか、病院巡りの日々でふと保育園児の列が目に留まったら、
「息子がこんな風に保育園に戻って、みんなと遊べるのはいつになるんだろう。そんな日はちゃんとくるのかな。」
と、自然と涙が出てきました。
普段は保育園児の列を「かっわいいな~」とニコニコしながら見る気持ち悪いやつなんですが、今度は泣き出すやばいやつに進化しました。
保育園退園
少し空いて、白血病と診断を受けた翌々営業日。
しばらく入院となり保育園にいけなくなることを役所に伝えたら、今月中に退園届を出すよう言われます。
その時点で12/26。
今月中って、あと2営業日しかない。
「え、あと2日で息子はもうあの保育園の子ではなくなるの?」
と気持ちの整理がつかなかったことを覚えています。
生後5か月から1年半通った保育園。息子にとって当たり前の居場所でした。
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仲良くしてくれているお友達も、大好きな先生もいます。
息子だけでなく、親も健康や発達について不安なことがあれば、なんでも相談し、まさに息子の成長を二人三脚で見守ってきた存在でした。
保育園での様子を先生方から聞くのが、毎日の仕事終わりの楽しみでした。
役所としても「来月以降通えないのに、保育料を支払うのは大変ですよね」という気遣いの趣旨だったことはもちろん理解しています。
それでも気持ち的には「病気で急遽通えなくなってしまったんだし、何かしら救済措置をしてもらえないだろうか。」とは思いました。
しかし、待機児童問題もまだまだあるし、息子の1枠を必要としている方がいるかもしれない、と思い直し退園届を出しました。
この、病気と診断され、長期入院になったらすぐに退園、という点は今回の病気を通して、「なんとかならないのか?」と思う点の一つでした。
病気と診断されただけでもショックなのに、追い打ちをかけるように数日内に退園の手続きをしないといけない。
しかも、私が住んでいる自治体では紙でしか手続きができないので、役所に出向く必要がある。郵送でもできますが、今回の我々のように月末に事情が発生した場合は、間に合わないので来所です。
気持ち的にもそうですし、なるべく面会に時間と体力を割きたいのに、とやきもきしたことを覚えています。
実際に通うことはできないので退園は免れないにしても、せめて手続きの簡素化や期間の延長などあったら違ったように思います。
我が家が年末だったため、たまたまだったのかもしれないですが、今後病気になる子供やその親のためにできることがないか考えたい点です。
ママ友のLINEにまた涙
保育園のクラスのママ友のLINEグループもあったので、何も言わずにいなくなるのも変かなと思い、退園する旨伝えました。
みんなから「絶対治るよ」「待ってるよ」と温かい声をかけてもらい、面会帰りの小田急線の中でまた号泣しました。
いたるところで泣いてますね。
これから電車の中で泣いている人がいたら、相応の事情があると思って優しくしようと思いました。
いつもの交差点
入院後、面会の帰りに、いつも保育園帰りに息子と歩いていた交差点を通ることがありました。
いつもの交差点。いつもと同じ夕方18:15。
周りには、かつての私と息子のように「今日は保育園楽しかった?」「早く帰ろう。」なんてやりとりをしていそうな親子がたくさんいました。
でも私の隣に息子はいない。
否が応でも、日常が失われ、かつての日常が遠いところにいってしまったことを実感します。
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胃腸炎感染
さあ、そんなこんなで入院期間、最初の1週間はだいぶハードな感じで進んでいきました。
さらにとどめをさしたのが、一家での胃腸炎感染です。
息子の胃腸炎感染
お子さんがいる方は記憶にあるかもしれませんが、2022年の年末って胃腸炎めっちゃ流行ってませんでした?
病院も例外ではなく、入院してすぐに病棟で胃腸炎が大流行しました。
息子もあえなく感染。大部屋から隔離されます。
これと前回記事で書いた、ステロイド投与の先行治療が並行していたので、息子は治療の副作用による痛みに加え、嘔吐、発熱、下痢で目に見えて弱っていきました。
親の胃腸炎感染
続いて、夫が胃腸炎に感染します。
毎日面会に行って、息子のおむつの処理などしていたので、避けられません。
まだまだコロナが流行っていた時期だったので、嘔吐や発熱がある場合は面会禁止となります。
夫の感染を受けて、夫はもちろんのこと、同居家族の私も面会禁止となります。
前回記事で話したように、親がいないと夜も泣き通しで寝られない息子。
そもそも大変な治療の最中ですし、そばにいてあげたかった。
数日してやっと面会に行ったら、泣き腫らした顔でタブレットを抱えて寝てました。動画が唯一の癒しだったみたい。切ない。
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私まで感染したらまた会えなくなってしまう、と細心の注意を払っていました。
それでも、面会再開からわずか3日で、今度は私が感染します。
子供が胃腸炎になったときに、うつらないようにするのは至難の業ですよね。
精神的にも崩れかけているところの、嘔吐、下痢、発熱はかなりきつかったです。大人がかかるとまた一段とひどくなりますよね。
検索魔再び
胃腸炎で寝込み、面会にも行けない間またもや検索魔になります。
主に調べていたのは、「白血病 子供 致死率」「小児白血病 死亡」などです。
そりゃこんなワードで調べたら悲しい記事しかでてきません。
しかし「もし私たちの前から息子がいなくなったらどうしよう」という不安に勝てず、止められませんでした。
頭が反射的に息子がいなくなった時の自分を守るために「息子が生まれる前もさ、夫と二人楽しく暮らしてたじゃん」とか考えてみるけど、その2秒後くらいに「いやいや無理無理。息子が生まれてどれだけ幸せだったか。息子がいない生活になんて戻れるわけないじゃん。」ともう一人の自分が即座に否定します。
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もう一つ、そのころ考えていたことは、「私には親になる覚悟も資格もなかったな」ということです。
親になるということは、何万分の一の確率で子供が病気になり、もしかしたら子供を失うかもしれない。そんなリスクも覚悟したうえで、親になるべきだったんじゃないか。
私は能天気にも「子供かわいいな~。大変そうだけど育児やってみたい!」くらいの発想で子供をもってしまった。当時の自分がものすごく浅はかに感じました。
これまた極論ですね。
そんな万が一のあらゆる可能性まで全部考慮できて初めて親になれるんじゃ、親になりたい人なんていません。
ここまで書いてみても思いますが、要は「まさか自分の息子が白血病になるなんて」と現実を受けとめられていませんでした。
話さない、笑わない、遊ばない
結局1週間ほど面会禁止となり、久々に会えた息子はさらに痩せ、生気がなくなっていました。
かつてぷにぷにだったお腹やお尻は脂肪がなくなり、皮膚があまってました。
体重も減り、おむつのサイズもLサイズからMサイズに。
パンツタイプのオムツは寝たきりの息子には履かせづらく、寝返りが打てなかった頃に使っていたテープタイプに戻りました。
そんな姿に「本当に息子はまた元気に戻るんだろうか」と思いました。
息子が生まれてからの2年間、息子の成長一つ一つが私たちにとっての喜びでした。
初めて笑った日。
初めておもちゃで遊んだ日。
初めてしゃべった日。
初めて歩いた日。
おむつのサイズが上がるのも息子の成長を感じてうれしかったです。
しかし、病気と診断されてわずか10日で、笑わなくなり、話さなくなり、遊ぶことはおろか、体を起こすこともできず、ただ力なくベッドに横たわっています。
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息子がこれまで積み重ねてきた成長が、ガラガラと音を立てて崩れた気がしました。
このころが一番「これは現実?なにか悪い夢でもみてるんじゃないか。」と現実逃避していた気がします。
さあ、ここまでヘロヘロのボロボロで、病気にやられっぱなしの我々夫婦ですが、このままじゃいられません。
次の記事から、我々が動き出した内容を書いていきます。
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