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白血病児の親になる | Vol.5 | 親、家を借りる

こんにちは!白倉侑奈です。

長男が2022年12月、小児白血病と診断されました。2歳2か月の時でした。
前回の記事はこちら。

病気の症状が出たのが2022年11月で、退院出来たのが2023年8月。
その間私たちに起きたことを、

  1. 発症~診断

  2. 治療初期

  3. 親の心情

  4. 親の対応・面会スケジュール

  5. 一時退院期間

  6. 治療後半

の6つに分けて書いていきます。今回は4について。

前回の記事では、診断~治療初期までの心情面にフォーカスして書きました。
あの記事だけを見るとショックで何もできてなさそうですが、実際は並行して長期戦に備えた準備も進めていました。

ということで、今回は共働き、コロナ禍などの条件の下で、家族全員が少しでも快適に入院・面会生活を送れるよう、どのように生活を組み立てていったかを書きます。


どんな入院生活、面会生活にしたいか

自分たちが実際問題生活できるように、譲れない条件ととりうる選択肢を整理し、行動に移していきます。

譲れない条件

Vol.2の記事でも触れましたが、病院から白血病の可能性を示唆されてから実際に診断がつくまで約5日ありました。

その間に、白血病だった場合の長期入院に備えて、夫婦で生活のシミュレーションをしていました。

その時に出ていた譲れない要件は以下のような感じ。

  1. 毎日面会に行く

  2. 持続可能な生活にする

  3. 仕事を続ける

特に、1は絶対に譲れない条件でした。

ここまでの検査入院や数日の入院で、息子のさみしいそうな表情、けなげに治療を頑張る姿をみた我々夫婦は、できる限り息子のそばにいるつもりでした。

この頃は面会者用の椅子に座る私の上でよく寝てました。


とはいえ、夫婦の両方、または片方が無茶をするようなスケジュールを立てても9か月という長期間続けられないのは目に見えていたので、2の持続可能な生活にするというのも必要な条件でした。

最後の仕事を続けるというのも、最終的にどうにもならなかったら切り捨てる覚悟はしつつ、可能な限りは優先したいものでした。

立ちはだかる壁

上記の条件を満たすためにはいくつか障害がありました。

コロナによる面会制限

現在はだいぶ緩和されていますが、2022年末当時は家族面会に以下のような制限がありました。

  1. 面会時間は11:00-20:00

  2. 一度で面会できるのは1名まで

  3. 個室を利用する場合は、同室に泊まり込み24時間付き添える。ただし、1名までで、この場合は、ほかの家族は基本は面会できず、週末のみなど短時間に制限される。

面会の詳細を聞く前は、大部屋よりも個室の方が、周囲の目を気にせずリラックスできるのでは、と考えていました。
しかし、個室にすると

  • もう一人は短時間しか面会ができなくなる

  • 泊まり込んだ方は24時間稼働で負荷がやばい

  • 1日約1万円の個室がかかる

ということで、選択肢から消去。
家事育児は基本半々という我々の病気前からのスタンスに合わずでした。

ということで、大部屋にしたうえで、面会可能時間の9時間を、ざっくり4.5時間ずつのシフト制にし、面会時間中最大限息子のそばにいられるように計画します。

ちなみに、大部屋と個室で迷う親御さん多いのではと思います。
私たちは大部屋にしたことで、ほかの患者家族や看護師さんが頻繁に出入りするので安心したり、顔見知りのパパママができたりと、結構メリットがありました。

成育の4人部屋。HPより。


成育のアクセス

次に、我々の前に立ちはだかった壁が、成育医療研究センターのアクセスの悪さです。

一番近い駅からも徒歩19分。もはや最寄りとも呼べないレベル。

徒歩19分をたまにやるならいいですが、毎日やるとなると特に真夏、真冬は厳しい

さらには、入院中は息子の着替えやらおむつやら差し入れの食べ物など持っていくものも多ければ、帰りも汚れた洋服など荷物が多いのでそういう意味でも大変です。

かといって、病院の目の前までいけるバスも混みあう世田谷通りを通るので、大幅に遅延することもしばしば。

我々の元々住んでいた家から通おうと思うと、直線距離は約9キロ。

タクシーだったら30分強、約5,000円で着くのに、公共交通機関にしたとたんに早くて1時間、混んでいれば1時間半かかります。

毎日タクシーで通うという手もありましたが、夫婦が入れ替わりで面会に行こうと思うと、2往復することになり、1日2万円かかることになり、現実的ではありません。個室料金より高くなっちゃう。

ちなみに、アクセスにめちゃくちゃ文句を言っているようですが、この駅から遠い立地のおかげで周辺環境はめちゃくちゃいいので、一長一短という感じです。
成育の隣は砧(きぬた)公園の見事な緑が広がっていて、たまに訪れては癒されていました。

一時退院中に砧公園に散歩に行ったとき。

今回記事のトップ画も砧公園で花見をした時のものです。


家を借りる

ということで、「毎日面会に通う」ということまでは決めたものの、アクセス面でのハードルが高い中で、我々が選んだ選択肢は成育の目の前に家を借りる、です。

と当たり前に書いてますが、私の方にそんな発想は全くなく、なんとか元々の自宅から成育に楽に通う方法を編み出すことばかり考えていました。

そんなときに夫から提案されたのが家を借りるという選択でした。



ちなみに、小児の病院の近くにはマクドナルドが運営するマクドナルドハウスなるものがあります。

子供の患者やその家族が面会等のために割安でステイできるというものです。
クリスマスの時期にCMが流れていますね。

これも検討しましたが、成育の敷地内の世田谷マクドナルドハウスについては、より遠方の方を優先するため東京都民はNGということで選択肢から外しました。

今は東京都民NGの記載がないので、当時と条件が変わっているのかもしれないです。

このほかボランティア団体がやっている格安の物件も近くにありました。

ただ、我々の条件は、夫婦で暮らし、かつ2人ともリモートワークで働ける物件。
結局条件に合う物件はなかったので利用しませんでした。

とはいえ、こういったボランティアの活動があることは本当にありがたいことです。


ちなみに、ここまでの判断の所要時間は1週間くらいです。

12/18に主治医から白血病の可能性を示唆され、12/20には長期入院開始。12/24には物件を2,3見に行って、成育から徒歩2分の物件を即決しています。

年末年始を挟むと賃貸契約も遅れるので、年内に審査が通るよう爆速で準備を進めていました。
そのかいあって、年明け1/15ごろには入居できることに。

前回記事に書いたように、年末年始は胃腸炎やら毎日面会のハードさに心が折れかけていましたが、「1月中旬には病院の目の前の家に引っ越せる」ということが心の支えになっていました。

実際に引っ越した家の写真もちょっと紹介。

仕事部屋。家具はほぼレンタル。クローゼットの中はレンタル家具の段ボールでいっぱい。
リビングもほぼレンタル家具。

築40年。家具等も生活に必要な最低限のものしか揃えず、合宿所のような様相です。
夫婦二人、ただ働くか、面会に行くかしかしない家だったので、特に不便もなかったです。

家具はここのレンタルを利用しました。

個室料金で毎月30万円払ったり、往復のタクシー代で毎月4,50万円払うよりは、私たちに合った選択でした。

面会スケジュール

ということで、ここまでの下準備を経て、我々夫婦は毎日面会に行きつつ、働けるスケジュールを実行に移すことができました。

私の方がコアタイムがある勤務形態だったので、日中しっかり働ける方のシフトを譲ってもらいました。

ー私ー

  • 8:00-16:00 仕事

  • 16:00-20:00 面会

ー夫ー

  • 8:00-10:30 仕事

  • 11:00-16:00 面会

  • 16:00-20:00 仕事

このほか面会中でも息子が寝たり、検査でいなくなるタイミングで仕事を再開するなどしていました。

16:00前になるとよく病棟入り口でわたしのことを待っていてくれました。入院患者は病棟から出られないので、このドアが社会と病棟の境界線。


家を借りることで、持続可能なスケジュールを立てることができ、逆に言えば、家を借りてなかったらフルタイムで働き続けるのは全然無理でした。

ちなみに、入院生活で仲良くなった親御さんでも面会のために病院の周辺に引っ越した方がそれなりにいました。
また、私たちが借りたマンションにも、おそらく成育に通っているであろう親子がいました。

徐々に、祖師ヶ谷大蔵の街自体に「成育の患者が住む街」という側面があることを知ります。


最後に、そこまでして仕事を続ける?って思われる方もいるかもしれません。
そこまでしてでも、このタイミングで仕事を続けたかった理由はまた別の記事で書きたいと思います。

今振り返ってもここで仕事を続けるという判断をしてよかったと思っています。

みんながみんな、子どもが入院しても仕事を続けるべき、と思っているわけではないので、一応。
仕事をお休みすることで、子供と過ごす時間が増え、得られることもたくさんあると思います。


少しずつ入院生活に慣れてくる

ということで、入院~胃腸炎~引っ越しと怒涛の生活でしたが、家を借り、そこまで往復2,3時間かけて通っていた道のりが4分に変わると、生活がだいぶ軌道に乗ってきた感じはありました。

これと並行して、1月の末ごろから、寝たきりだった息子が、話したり、遊んだりできる程度に回復してきました。

病棟のプレイルームでも遊べるように。


これが親的にはかなりうれしくて、私たちもこの頃から体力的にも精神的にも回復してきました。



ということで、病気が判明してからの大変な日々が底を抜けたように感じました。
次の記事では、その後の入院生活と一時退院中の思わぬ山場について書いていこうと思います。

お付き合いありがとうございました。

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