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チャレンジって苦しい、でもそれでいい

〈自己紹介〉
◎山梨生まれ京都在住33歳
ブレスワークガイド 
◎20代は教職・開発コンサル・青年海外協力隊etc,
◎”ブラック教員”の最中に心身のバランスを崩しインナーワークを学び始める➡︎RYT200取得
◎2022年秋、第一子を自宅出産
◎100日連続投稿中(4/16~)
 +30分で執筆チャレンジ(時間切れで記事が途中で終わる事もあります

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「3日坊主を脱却するぞ!」
「書く力を上げるぞ!」
と意気込んで始めた100日チャレンジ。

正直、楽しんでるというよりは
全然フツーに苦しんでます。


まず、書くこと自体。

書く内容があらかた浮かんでる時もあれば
PC開いてフリーズする時もあったり、

書いたは良いけど収拾つかなくて
どうしようもない記事になったりとか。

書くことで頭の中の整理になるかと思いきや
「毎日何かしらを吐き出す」って
私にとっては結構スピーディーで
整理どころか咀嚼もできてないような感じ。

40本まで行ったけど
今んとこまだ視界不良、何も見えません。

100本ノックをひたすら受けてるだけ。



もちろんnoteがあって良かった!
これを書けて良かった!
と思える事もありますが
どちらかというと楽しいより苦しいが大きい。






そんでもって、時間が取られること。

執筆30分ルールにしたとはいえ
修正やサムネ作りなんかも含めたら
なんやかんや1時間はかかる。

自分の自由時間の中で
毎日必ず1時間、noteに使っている。

4月中旬から毎日更新しているけれども
当然note以外にも時間を使いたいことは
いっぱいある訳で。

noteタイムが生まれたぶん
今まで自由時間にやっていた
瞑想や呼吸、ヨガの時間は減ってる訳で。

そしてこれが今の自分の
大きなモヤモヤの原因でもある気がする。

最近自分に迷いが増えたり
自分を信じられなくなってるのは
「自分と繋がる時間が減ったからじゃないか?」
なんて考えがずっとある。



正直、そこまでしてnoteやる意味あるの?
ってめちゃくちゃ思います。

もう、やめよかなーって何度も思ってる。

やっても意味あるか分かんないし
こんなに苦しくて自分の大切な時間も減って
自分を見失う感覚もあるなら

パブリックな記事を作るのはもう辞めて
もっと自分と向き合った方がいいんじゃない?
って、もう1人の私が言ってる。




ガンジーの塩の行進は絶対キツかった


で、今日そんな話を友達にしたら

「ネルソンマンデラも
マザーテレサもガンジーも
幸せのため・自分の目的のために動いてたけど
やってる時は苦しかったと思うよ」

「100日続けるって決めてそれが大変って、
それでいいんじゃない?
今いい感じなんじゃない?
簡単だったらそれってチャレンジじゃないね」




ストレート、決まりました。


そうだった、そうだった。

大変なのは分かってて
チャレンジしたかったんだった。

チャレンジの主軸(note書くこと)以外に
起きている大変なこと(自分時間が減る)の存在も

その難しさをハンドリングしてくという
また別の方向のチャレンジで自分を磨いてるんだ。

「時間の使い方の見直し」という
大きなテーマと向き合うチャンス。

チャレンジしてるんだから
苦しくって大変で、それがいいじゃん。

大変だからこそ意味がある、味がある。


やったからどうなんだ?
って結果を気にするのは今は置いといて

出発地点の目的だけ気にして、
やろう。





チャレンジ初日の記事↓




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