祖母のお通夜、振り返り(ただの備忘録)
※頭に浮かんだことをそのまま書いています。人によっては不快な表現もあるかもしれませんが、自分のために残したいのでご容赦ください。
今日、おばあちゃんは骨になった。
綺麗にお化粧され、
お花と思い出に囲まれて、
しずかに旅立った。
おばあちゃんは
小さな壺の中に入ってしまった。
お別れの会場に着くと
今度は立派なシャンデリアのある会場で
大きな祭壇に飾られていた。
普通の、私たちのおばあちゃんが
まるでどこかの偉人みたいだ。
挨拶には沢山の人が来てくれた。
赤べこのようにペコペコお辞儀した。
政治家の人も何人か来た。
特別枠のような扱いだった。
来なくていいと思った。
でも、そうもいかないんだろう。
おばあちゃんを見送るのは
とても寂しくて悲しかったが
みんなで居るとそれだけじゃなかった。
思い出話に笑ったり
久しぶりに集まることが楽しかった。
今日おばあちゃんは骨になったが
これから集まる度にきっとみんなは笑顔になる。
そういう時間をおばあちゃんが作ってくれた。
体は無くなっても
存在は無くならない。
いつでも感じられる。
そういうことがよく分かった1日だった。
そのほか、ポツポツ浮かんだこと
みんな最後は平等に骨。生前どんな見てくれだろうと、どんな立派な棺桶だろうと、小さな壺に入るだけ。
何も持たずに生まれ、何も持たずに死ぬ。人生の最初と終わりはシンプルだ。その上で、どう生きるのか。
死者をただ抱きしめたい人もいれば、自分の付き合いに利用したい人もいる。それぞれ思惑がある。そして死者は誰も拒まない。おばあちゃんは黙ってそこにいる。
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