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祖母のお通夜、振り返り(ただの備忘録)

〈自己紹介〉
◎山梨生まれ京都在住33歳
◎ブレスワークガイド 
◎20代は教職・開発コンサル・青年海外協力隊etc,
◎”ブラック教員”で心身のバランスを崩しインナーワークを学び始める➡︎RYT200取得
◎2022年秋、第一子を自宅出産
◎100日連続投稿中(4/16~)
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※頭に浮かんだことをそのまま書いています。人によっては不快な表現もあるかもしれませんが、自分のために残したいのでご容赦ください。




今日、おばあちゃんは骨になった。

綺麗にお化粧され、
お花と思い出に囲まれて、
しずかに旅立った。

おばあちゃんは
小さな壺の中に入ってしまった。



お別れの会場に着くと
今度は立派なシャンデリアのある会場で
大きな祭壇に飾られていた。

普通の、私たちのおばあちゃんが
まるでどこかの偉人みたいだ。

挨拶には沢山の人が来てくれた。
赤べこのようにペコペコお辞儀した。

政治家の人も何人か来た。
特別枠のような扱いだった。
来なくていいと思った。

でも、そうもいかないんだろう。




おばあちゃんを見送るのは
とても寂しくて悲しかったが
みんなで居るとそれだけじゃなかった。

思い出話に笑ったり
久しぶりに集まることが楽しかった。

今日おばあちゃんは骨になったが
これから集まる度にきっとみんなは笑顔になる。
そういう時間をおばあちゃんが作ってくれた。


体は無くなっても
存在は無くならない。

いつでも感じられる。

そういうことがよく分かった1日だった。






そのほか、ポツポツ浮かんだこと

  • みんな最後は平等に骨。生前どんな見てくれだろうと、どんな立派な棺桶だろうと、小さな壺に入るだけ。

  • 何も持たずに生まれ、何も持たずに死ぬ。人生の最初と終わりはシンプルだ。その上で、どう生きるのか。

  • 死者をただ抱きしめたい人もいれば、自分の付き合いに利用したい人もいる。それぞれ思惑がある。そして死者は誰も拒まない。おばあちゃんは黙ってそこにいる。


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