そのドロドロは通過点ですよ。
一昨日の記事でこのnoteを
「どうしようもnote」
「鬱々とヤケクソで書いてる」
なんて表現したんだけど
ちょっと冷静に俯瞰してみたら
別にそこまで「酷いことをやってる」
という意識じゃないことに気づいた。
確かに、
わずかばかりに自尊心が折れたり
パッとしなさにヤキモキしたり
恥を晒してるような感覚はあるんだけど
実は別にイヤじゃなかった(笑)
noteを始めたことに
もちろん後悔なんかないし
むしろ自分を誇ってすらいる。
憧れて思い描いたような
スタイリッシュnoteにならなくて
「あーあ、どうすっかなー」と呆然とする一方で
この泥臭さを楽しんでもいる。
え、なんだろMなのか?
note自体を気になってはいたし
他人の目に左右される自分を
どうにかするキッカケが欲しかったし
意地でも継続する自分を見てみたかったから
それに挑戦できてること自体が
実はちょっと嬉しくて
ちょっとだけ自分を好きになれている。
思い描いた姿じゃなくても
自分で確かめているっていう事実が
「私いいじゃん、やってんじゃん」って
自信を授けてくれる気がする。
そう思うと、なんて愛しいんだこのnoteはよぉ。
やっぱり大切な居場所だ。
この夏は仕事のやり方を変えたり
住む場所を変えたり
また人生のチャプターに変化があるけど
自分で意図して、
繕わずにぶつかってみて、
信じて続けてみたら、
こんな風に愛しく思える自分に出会えるかな。
多分また「どうしようもないわ、ケッ」
なんて、やさぐれるだろうけど…。
その時はここに書いたことを思い出そう。
そのドロドロは通過点ですよ、と。