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ママ友は不要と思う。けれど。

 私は小学生と保育園児の母である。タイトル通り、ママ友というものとは無縁の生活をおくっていた。

 上の子が保育園の時代は、家と職場と保育園の往復でいっぱいいっぱい。お迎えが19時すぎることもあり、送りは夫だったので、他のお母様と会うこともなかった。小学校で役員をやる時も、その時だけの顔見知りのみだった。

 それは、状況が状況、というよりは、私の"群れるのが嫌い"という本能的習性で、他のお母さんたちとの交流を避けていたからかもしれない。どうも目的のない会話というのが苦手なのだ。同様にご近所で会った時の立ち話的なのも苦手である。

 一つのエピソードとして、以前、街のカフェに入った時、隣の席でママ友連中4人ほどが集まって会話をしていた。どの学校に行かせるかとか、どの塾にしようかという話で、最初耳を疑った。「あなたたちが受験するのですか?」とききたい。そして、よくよくきくと、子供は中学生(高校受験)であった。「え?」思わず凝視してしまった。絶対イヤ!絶対無理!生理的に受け付けなかった。

 中学生だからというより、子供は子供なのである。それぞれ別人格を持った己とは別人なのである。その子供のことについて、親同士がワーワー話をするというシチュエーションに違和感がある。よその家庭は、よその家庭なのである。どこの子がどの習い事を始めたとて、どうでもいい話。どこのレッスン教室が良いだのどうだの、という話も、それぞれ向き不向き相性もあるのだから、情報は別に私の場合、要らないかな、と思ってしまう。

 下の子の保育園では、保育園の前でお母さんが立ち話という名の井戸端会議を繰り広げており、車や自転車の邪魔になっているシーンを多々見かける。子供が道路に飛び出しても、親は気づかないで話をしていたり、見ているだけでハラハラする。私自身、通行の邪魔になって思わず「オイ…」と脳内で呟いたことがあるくらい、お母様同士の会話というのは、周りの配慮にかけている部分が多い気がする。

 そういうわけで、私はどうも生理的に抵抗があり、親同士の会話というのを避けて、何年も生活してきた。それで困ったことなどあまりなかった。いや、困ることといえば、卒園の時の謝恩会か。5年くらい通っている保育園だったのだけど、お母さんたちの顔と名前がわからないのだから、困った。謝恩会中、時間が過ぎるのが非常に長く感じたのも困った点かもしれない。夫を巻き込み、家族で端っこでこじんまりと過ごしていた。

 このように、卒園の時の色々なイベントの時、繋がりを持っていないと困る。しかし、それも長い月日の中ではほんの一瞬である。その時さえ何とかやり過ごせたら、私はママ友の付き合いは要らないかな、と思った。ママ同士のコミュニケーションをとる時間があれば、自分のスキルアップの時間に充てたい。それが実は本音だ。

 もちろん、何かのきっかけで気の合う友達ができればいいな、とは思う。でも、できるだけ子供の話ではなくて、やっぱり自分と相手の間で付き合っていきたいな、と思う。

今日の独り言

私は私、子供は子供。


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