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ある修行僧が、目上の和尚さんにこんな質問をしたそうです。

「私はまだ新米で、どんな風に修行をしていったら良いか、迷っています。
是非ご教示をお願いします。」と。

するとその和尚さんは、「朝ごはんを食べたか?」と聞きました。

「はい」と答えると、和尚さんは、
「では、台所に行って、自分の食べた茶碗を洗って来なさい」と答えたそうです。

一見、当たり前のような事を答えたように見えましたが、その修行僧はハッとして、直ぐに茶碗を洗いに行ったそうです。

そう、凡事が禅だという事です。

凡事が一つひとつ輝くのです。

凡事を徹底して、積み重ねていった結果、積小為大で大事業にまで発展していくという優れた人もいらっしゃるでしょう。

それももちろん尊い素晴らしいことですけれども、その宗派の禅で言えば、実を結ぶか結ばないかは関係ないといいます。

もう凡事が凡事のままで、一つひとつ光っているという教えです。

スリッパを揃える、
お手洗いをきれいにしておく、
落ちている紙くずを一つ拾う、といった
些細な善行を積み重ねれば、無意識領野に貯金が貯まって運命が開けていということになります。

それも尊い考え方だし、一つ一つの凡事を大切にしていくことは、とても大きな意味があるといえるでしょう。

しかし、禅は見返りがあろうがあるまいが、その行為自体が聖なる行いであり、
そこに光があると考えるのだそうです。

だから特別な理想を掲げて、現実を生きることは何もなく、修行したからといって、自分の食器を洗わなくていいということはないのです。

その営みが素晴らしいと見て、毎日の積み重ねを大事にすることが、修行と言えるのかもしれません。

今日も最後までお読み下さって、ありがとうございました。

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