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仏の教え~恩徳讃から学ぶべきこと

おはようございます。
開運セラピストのゆーみんです。


今日はお寺の教えについて、私が教えてもらった事について書きます。
皆さんは、「恩徳讃」をご存じでしょうか?


とても大事な教えだと感じましたので、寺の教えの中から自分の生き方を見直すきっかけにしたいと思います。


もし良かったら、一緒に考えて下さいね。
知っていると、人生が何倍も楽しくなりますよ!

寺の教え~恩徳讃~から学ぶ

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識(ししゅちしき)の恩徳も
骨をくだきても謝すべし

これが85歳の親鸞聖人が、「願に生きる」決意を述べられた和讃です。


真宗門徒の皆さんが、仏法聴聞の集まりの最後に、常に大きな声でこの
恩徳讃を唱和するのだそうです。


これは、お寺の大事な考え方であり、晩年の親鸞聖人が未来の人に託された願いが恩徳讃の唱和となって、今も受け継がれています。


この恩徳讃を唱え、散会するのはお疲れさまと腰を下ろす事ではなくて、
如来の本願のまことや、浄土の真実を自ら証して行く事なんだそうです。


その決意を表すのが「如来大悲の恩徳は・・・」の恩徳讃です。
しかも身を粉にして働けとの事ですから、相当な決意ですよね。


この寺の教えから、命を与えて下さった仏さまに感謝する事の大切さを思い、自分の身体は自分の物ではないと感じます。


身を粉にして、人の為に何かをなそうという決意は、本当に学ぶべきものがあると思いました。

一番大切にするものとは?

✨昨日は恩徳讃の話から、天の意(神や仏)を知り、その恩を知って、徹底的に恩を返すべきという事を改めて学んだように思います。


学生時代に、オオカミに育てられたカマラとアマラの話を思い出します。
1920年にインドで発見されたという2人の孤児のお話です。


二人は、人間であっても、オオカミのような振る舞いをし、歩くことはせず四つ足で移動し、食べる時も手を使う事はなかったそうです。


そして、妹のアマラは間もなく死亡し、姉のカマラは少しづつ訓練の成果が出始めたような兆しは見せましたが、結局二人とも死去しました。


カマラは保護された後、直立二足歩行の訓練を受けて、付きっ切りの世話とマッサージで、簡単な単語を喋るようになったそうですが、ついに笑顔は出なかったそうです。


笑顔は人間が生きていく上で、とても大事なことだったのです。
狼は笑顔を教えてはくれません。

その代わり、眼光は鋭く、臭覚や聴覚は研ぎ澄まされていたという2人の姉妹の姿。


この話から、私たちはいかに多くの人たちから恩を受けてきたのかが分かりますね。


幼い頃に受けた教育が、その人の一生を決めてしまうのです。


アマラとカマラが人間らしく生きられなかった事実を見て分かるように、
私たちは人からいろんな恩を受けて育っています。


喋ること、歩く事、食べる事、聞く事・・・
字を書く事など、数えきれないほどの恩を受けているのです。


そして、その一番の恩恵は「笑顔」を向けてもらった事だと言います。
親に、先生に、近所にいた大人たちに・・・。


一体私たちはどれくらいの人たちに笑顔をもらってきたのでしょうか?
笑顔は大人の見本があって、初めて自分の物にすることが出来るのです。


そのお陰で、どれくらい沢山の喜びと感動を経験することが出来たのでしょうか?


今こそ、返しきれない恩を思い出して、それを返す努力する時かもしれません。

まとめ

私達は幾百千乗の恩の中で生かされています。

私達が使うこの体も、借り物であって、自分一人のものではないのです。


だから、その恩を返していこうと意識する事が大事です。
それが、神様、仏さまが一番喜ぶ生き方なのです。


今まで受けた恩の数々・・・返し切れない恩は、目の前にいる人に返す以外方法がないですよね。


そして自分の命は借り物で、いつか天にお返しをしなくてはいけないって思ったら、出来るだけ大事に扱おうと思います。


大事な身体を、何のために使おうかと考える事が、今の時代は特に必要だと思います。


恩を返す生き方はそのことを教えてくれます。
今日も、愛と感謝、誠実、謙虚、素直な気持ちで過ごしましょう。


親鸞聖人の「恩徳讃」を、今一度思い出す機会が持てて幸せです。
今日も最後までお読みいただき、本当に有難うございました。


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