「感謝と祈り」第792話
あずきバーで有名な、井村屋の社長、中島伸子さんは、20才の頃に一酸化炭素中毒で声が出なくなるという辛い経験をされました。
懸命の治療の結果、少しずつ声は出せるようになったものの、「声を出す仕事はやめた方がいい」と医者に言われ、教師になる夢を諦め、声を出さずに出来る仕事を探し、アルバイトで井村屋の経理の仕事に就いだそうです。
当時絶望感の中にいた中島氏ですが、その時にお父様から一通の手紙をもらい、それが心の支えとなって、今でも大切に保管されているといいます。
今日はそのお手紙をご紹介します。
🍀「君は自分の人生をどうするんだ。声が出なくても立派に生きている人はたくさんいる。声が出ないことを気にするんだったら、自分だけの〝プラス1〟を探しなさい。それがあれば必ず人の役に立つ。〝辛い〟という字に一本足せば、〝幸せ〟という字になる。それを忘れずに一所懸命生きていくことが亡くなった人への恩返しであり使命ではないか」
いかがでしょうか?
声は出せなくても、経理の仕事を一から学び、配達の仕事やトイレ掃除など何でもやり、自分だけのプラス1を見つけて、信頼と実績を重ねていった中島社長。
その時に、仕事に貴賤はなく、何でも夢中になってやっていけば、必ず自分のプラス1に置き換える事が出来ると言います。
辛いという文字に1本足せば「幸せ」になる.…。
この言葉は尊いですね。
辛いことも自分だけの強みを持った時に、それを幸せに変えることが出来るのだと思います。
今日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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