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世界の三大聖人に共通しているのは、自分の著書がないということです。

キリストも、あのバイブルはキリストの著書ではありません。

その熱心な弟子がキリストの教えを受けて、自らもそれを体験して、これは間違いのない真理であると思ったものを書き残したのです。

お経もそうです。

お釈迦さんは著書を持っておらず、弟子やずっと後の人たちがお釈迦さんの口伝えの教えを実践して、この教えは間違いないなというものを書きとめたのが「お経」というものです。

孔子もそうです。
孔子は自らの著書はありません。

『論語』というのは孔子の著書ではなく、
孔子が亡くなり、その孫弟子の時代にできあがったものです。

3大聖人の残した「聖書」「論語」「仏典」は、すべて自らが書いたものではなく、弟子たちがその教えを実践した結果が書いてあるのです。

どんな素晴らしい言葉も、実践の裏打ちがなければ相手には伝わりません。

しかし、実践している人の言葉は、人の心を動かすものがあるのです。

お釈迦さまは「人を見るなら、その行動を見よ」とおっしゃいました。

外見や肩書、あるいは社会的地位や学歴で人の値打ちをはかることはできないと思います。

実践を伴った教えには、何千年の時を超える真の価値がありますね。

「教えとは実践を伴ってこそ生きる」という言葉が胸に響きます。

今日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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