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ともす横丁 Vol.7 母のぬくもり

私が生まれて8人家族になった。おじさんやおばさんたちがいて、それはにぎやかだった。その分、母は大変で、早朝から出勤するおじいちゃんや当時高校生だったおじさん、おばさんのお弁当4つ作って持たせていたらしい。

幼い頃、母が座っているのを見た記憶がない。いつも立ち働いていた。大家族の専業主婦だから、掃除、洗濯、食事の支度におおわらわ。たらいを使って洗濯してた時期もあって、凍りつくようなお風呂場で冷たい水を流しながら、たまに手伝ったのを覚えている。必死で一生懸命な後ろ姿だった。

そんなだから、昼間に母と過ごす時間はほとんどなくて、だっこされた記憶も手をつないだ記憶もない。それでも夜には絵本を読んでくれたり、絵本のソノシート(赤いペラペラのレコード)をかけてくれたりした。母なりの精一杯の愛情表現だったのだと思う。

おじいちゃんとおばあちゃんは、私のことを「由美子、由美子」とかわいがってくれた。一緒にお風呂に入り、一緒に寝てた。寒い日に学校から帰ってくると、おじいちゃんは「由美子、寒かったなあ。手が冷たいら?(冷たいだろう)」と言って、私の手を取り、こすったりあっためたりしてくれた。おばあちゃんとは隣に座って手の皮や二の腕を触ったりしてケラケラ笑いながら遊んだ。おじいちゃんもおばあちゃんもその手や肌の感触やぬくもりは、今でも忘れない。体感を通してその人の記憶は残るのかもしれない。

そして、ある時、母の感触やぬくもりを知らないことに気づき、ずっとさみしい思いを抱いていた。

最近、母は思うように歩くことができなくなり、外に出かける時に支えが必要になった。思いもしなかったが、私は母の手を取って一緒に歩く。ゆっくりゆっくり母の重さを感じるように。私は母の手の感触もぬくもりも覚えた。日々記憶に刻まれていく。

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