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「組織のDNA」に課せられた主たる役割は、遺伝ではない。

(このマガジンは、Twitterアカウント @tbc_bar の過去ツイートをタイトルとして書かれています。)

(@tbc_bar は#目黒で40番目くらいの日常会話 を目標にウェイティングバーっぽく語った内容の断片をツイートの形で残すアカウントです。)

(しかし、マガジンに書かれた内容が当時の会話の中味を再現してるかっていうと全然そんなことはありません。)

さて、

「組織のDNA」って言葉、あるじゃないですか。あれ、意味わからないですよね。いや、わかるけど、気持ち悪くないですか?

組織のDNA。たとえば、組織が拡大したり、拡大はしてなくても構成員が時間とともに入れ替わったりして、かつてあった「文化」が失われた、なんて場合に、「組織のDNAが薄れてしまった」なんて言ったりします。いや、私は言いませんが、いかにも言いそうな人はたくさん見たことがあります。

まず、デオキシリボ核酸の濃度が時間や世代を経て希釈されていく……という状況が想定できません。これはまあストレートな揚げ足取りというもので、誰でも思いつくようなものなので、ここに吐き出すのも気恥ずかしいぐらいなんですが、とはいえ無視もできません。

DNAというのはつまり遺伝子のことを意図している。ここまでは譲歩しましょう。いや、遺伝子ではなくミームなのではないか、とさらにツッコミたくなる人もいるでしょう。私もそう思います。しかしまあここも飲み込みましょう。生物学的な遺伝じゃないもののためにせっかくかなり早い段階から専用の用語が当てられていたにも関わらず、なんだか怪しい商売っ気に溢れた言説の中でしかなかなかお目にかかれないような印象が拭えません。しかしまあ、それもここではぐっと飲み込みます。

遺伝子、でいいとして、では組織のそれはどういう役割を期待されているのでしょうか? 組織に子供が出来る? ……子会社? しかし、だとすると単為生殖ということでしょうか。M&Aとか合併とかってことであれば、遺伝子の交配が発生するかもしれませんが、子孫が増えていくイメージとは離れていきます。

そもそもこの子孫への遺伝、ということ自体がメタファーとしておかしいと思うんですよね。DNA配列は生物の設計書なわけです。なにも個体として子孫に情報を受け渡すことだけが役割ではなく、日頃の生命活動の中で身体の部品などを作る為の設計図として活用されているわけじゃないですか。

となると、「組織のDNA」もそっちの解釈の方が正しい気がします。組織がその身体を生み出す際にそれを方向付ける設計情報が「組織のDNA」というのであれば、多少なり理解できる。ような気がしないでもない雰囲気がなくもない。

文化を伝えるキャリアではなく、文化そのもの、ってことになりますね。

しかし、そうとなると、これは組織が生まれた時点でまるでFixしている(多少の変異はあるにしても)っていうイメージになっちゃいますよね。しかし、組織文化とかあるいはもう少し砕いて「組織のあるべき姿」なんて環境に応じて変化しているわけじゃないですか。DNAっていう語を使ったメタファーだとその部分が抜け落ちてしまって、やたらと静的なモデルになっちゃうと思うんですよ。

だから、「組織のDNA」っていう言い回しは要注意だと思うんですよねぇ。


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