なぜ成功体験が人を動かすのか

前回の記事で、「成功体験を積ませる」という成功体験、の話を書いたのですが、頂いたフィードバックを読ませて頂いているうちに、そもそも成功体験というものの位置づけがズレていそうだということに気がつきました。記事の中では、「成功体験」は基本的に他人をコントロールしようとする時に言及されるコンセプトである、という指摘をしたのですが、「成功体験」を素直に「単に過去において自身が成功した出来事の思い出」という意味で解釈するとちょっとおかしなことになりそうです。私自身は、ビジネスの場で語られる「成功体験」という用語には、その後の(好きな言葉ではないのですが)行動変容に繋がるきっかけとなった出来事、という条件が暗黙に付与されていると考えていました。そのためその語感を前提に話を進めてしまったきらいがあります。そこで改めて、そもそも何故、成功体験と行動変容がセットになっているのか、という話についてまとめたいと思います。

自発的、主体的であることの効率の良さ

学生時代を含め、何かを学習しようとするのであれば、人に言われ強制されてやるよりも自らの意思で、自らがもつ興味関心に駆動されてやったことの方が「身につく」という感覚は、多くの人が共有するところだと思います。仕事の場であれば上司から言われたこと、それも事細かにやり方までその必要性が理解出来ないレベルで指定されてやる、というのはある意味で精神的に楽な面もあるかもしれませんが、いわゆるやりがいや成長を感じる職場とはなりそうにありません。また、上司の側から見ても、「言われたことしかやらない」という部下への不満は非常にありふれたものです。そういう場合、上司は決まって「もう少し主体的に動いてくれるといいんだけど」と小言を言ったりすることになっています。

行為者自身の立場に立って考えても、主体的に行ってる行動は、その行動に対する周囲や環境の反応(行動の結果)に対する意識が行き届かせ易く、また自身の行動とのマッピングも強いので、「学習」はそうでない場合よりかなり進みやすいだろうと想像がつきます。

「主体的になってもらう」という矛盾

では、皆が主体的になればすべて解決、となるかというと、さすがに事態はそれほど単純ではありません。こと組織的なビジネスの分野においては、組織やチームの目的や状況を離れたところで各自が勝手に主体性を発揮しても収集がつきません。そこで一定の統制を敷くことになるわけですが、この統制の仕組みが過剰に働くとすぐに各自の主体性は消えてしまいます。したがって、調度よいレベルで組織の目的に適うやり方で、主体性を発揮して欲しい、ということになります。それだけ注文をつけておいては、主体的もなにもあったものではありません。

主体的であるためには、自分の自由意志でその行動を選択する必要があります。個々人に自由意志が存在し、それは少なくとも名目上はそれが尊重されるとされる社会に我々は生きているはずですが、組織の中ではある程度制約がかかっているということもあるかもしれません。しかし、そのような場合であっても、各個人は己が信じる世界観に応じて、行動の選択をしていると考えて良いでしょう。ここでいう世界観とは、どの行動をとればどのようなリターンがそれぞれどの程度の確度で返ってきそうか、というモデルです。リスクモデルと言い換えることもできると思います。その人が持つその人だけのリスクモデルの中に、その人が取り得る行動の選択肢とそのリターンが含まれています。その意味で個人の自由意志を尊重するということは、その人が持つリスクモデルを尊重することを意味します。

他人のリスクモデルには改善の余地が見えてしまう

年長者が年少者の行動を観察する時、「失敗を恐れすぎている」などの形で背景となるリスクモデルが妥当でない様に感じられることがよくあります。それは失敗の確率を高く見積もりすぎてるように見えている場合もあれば、失敗によるダメージを過大評価している様に感じられているということもあると思います。相手は年少なので試行回数が少ないため自分のモデルの方がより精度が高いだろう、とか、相手はまだその失敗のダメージを体験していないが自分はしているので「事前に恐れていた程のダメージがない」と知っている、と感じるわけですね。しかし、かといって、自身のモデルをそのまま相手に直接上書きすることはできません。倫理的にも問題があると思いますが、何よりそれは技術的に不可能だからです。個人の主観的リスクモデルは聖域であり、直接の上書きはできないのです。

直接触れない他人のリスクモデルに関与する唯一の方法

そこで、「成功体験」が登場するわけです。他人のリスクモデルを変化させ、それによって実際の行動(主体性を維持したまま)を変えよう、とするのであれば、本人がリスクモデルを構築・更新するサイクルに乗るしかありません。事前にできて当たり前だと思っていなかったことが出来た時、その成功体験は事前の想定の仕方にも変化を迫ります。もちろん主観的には「運が良かっただけ」と思うこともあるでしょう。しかし、本当に運にすべての手柄を授け、次は(この成功を体験する前に想像していたのと全く同じレベルで)失敗するだろう、と想像する人はあまりいないと思います。程度の差はあれ、見積の仕方=リスクモデルはこの成功の影響を受け変化します。

直接リスクモデルを強制上書きすることができない以上、与えるタスクや環境を可能な限りコントロールし、成功したという事実を元に本人のリスクモデルに修正を迫る、というのが、「成功体験を積ませる」ことの目的になるわけです。

(もちろん、ネガティブな方向で失敗体験を積み上げて無力感を醸成するという方向性も理屈としては可能ですが、心理の上でここでいうポジティブとネガティブは対称ではないだろうという点と、そもそもそのようなネガティブな意図をもって行動するという状況が検討の範囲の外であろうということで、ここでは立ちいりません)

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