管理業務の一里塚。「ここに無ければ無いですね」 〜 ”100円ショップの原則”と悪魔の証明

文書や記録の管理の仕事をしている、というと多くの人が「うちの会社が弱いところだ」というような反応を返してくれます。何をどこまでやれば良いのかはっきりしませんし、お金や労力がそれに見合うかどうかもわからない活動は評価もされないし投資も受けにくいので、法的な規制を受けたりしている特定の業種や業務領域に限定すればしっかりやられている(時として「お役所的に」硬直してるとも評価される)けれども、それ以外は放置ということが実態としても多いということだと思います。今回はこの地味な分野における、「是非初期段階で考えてみて欲しいこと」の話です。

コストをかけて管理をすると何が嬉しいのか。どこまで出来ていれば管理されているとみなせるのか。というような疑問を持たれている場合には、まず、完全性(インテグリティ)について説明します。これはITの側からは、情報管理の管理特性として、「情報に間違いがない」「情報が最新のものである」「情報に欠損がない」などをまとめた概念として説明されていますが、特に重要なのは「(記録が)そこに無いなら無い」と言い切れる状態を作り出す、という点にあります。一般に、何かが「存在しないこと」を証明するのは「存在すること」を証明するよりもはるかに難易度が高いとされ、悪魔の証明、と呼ばれたりもします。しっかりと管理されている、言い換えると、全件把握されて欠損(ヌケモレ)がなく適宜更新もされている、データベースや管理台帳などがあれば、そこに記載があるかどうか、というチェックが可能になります。もちろん人が運用しているものですので、原理的に欠損がないということありえず、疑う余地は見いだそうとすれば見いだせるかもしれませんが、「そこに無ければ無い、と見なす」という(多くの場合は暗黙の)ルールが形成できる、という点が重要です。100円ショップで店員さんに在庫の有無を尋ねて「そこに無ければ無いですね」と一言言われただけでバックヤードの確認などはしてもらえない、という話に通じるものがあります。客側から見ると、探せば見つかる可能性を捨て切れてない状態で冷たくあしらわれている様に見えたからこそ、そのようなエピソードが出回っているのだと思いますが、システマチックな品出しと接客の品質にこだわり過ぎないことがコストセーブに繋がっているという妙な説得力もあります。

情報の管理という意味で完全性を追求する場合、例えば改竄の防止などの議論も出てきます。認証局と連携したタイムスタンプや電子署名など、個々の情報が改竄がされていないということの信憑性を高める技術も存在しますが、(倒錯した比喩ですが)ブロックチェーンの様に過去から面々と欠損なく積み上げられた記録の流れが整備されていることで、欠損や不正な修正が目立つようになります。紙の証跡を扱っている場合はそれが信憑性の源泉であると言えるかもしれません。デジタルデータは個別にはコピーが容易ですが、流れ全体を整合性を持たせたまま改竄するとなるとそれなりにハードルが上がるわけです。(だから大丈夫、と言い切ることはできません。あくまでバランスを見て、必要ならば改善防止技術を評価することが求められます)

そんなわけで、まずは、後から情報を確認しに来た時に「ここに無いなら無い」という信頼を得られるような体制作り、をイメージしてもらうことになります。情報システムもあわせて設計する場合、柔軟性を確保したいがために長期的な視点でのこの信頼を損なう可能性がある要望が出てきてしまう可能性があります。これはもちろん、単にシステムを硬直的にしておけば良いということではありません。硬直的なシステムはそれこそそのシステムを迂回する裏ルートの誕生を引き起こしてしまう恐れがあり、それによって情報の完全性はそれこそ完全に無くなってしまいます。

将来どのような形で確認することになるか、を長期的な視点でイメージすること。その時、「不在の証明」を信頼するためにはどのような運用実態でなければならないか、を考えること。などが必要になります。大抵の場合は、その上で、対象範囲を改めて限定することになります。このあたりの議論を具体的に進められるかどうかが、曖昧な領域の管理業務に形を与える上でのポイントではないでしょうか。

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