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SNSアプリを消しました

「今ココ」をもっと大事にしたくて、
その一環で先週、当たり前のように開くのが習慣になっていたSNSアプリを、携帯からすべて消しました。

といってもアカウントは消しておらず、メッセンジャーとLINEは置いてるので、連絡は問題なく取れるのですが。
情報入手の主導権を、自分に戻したくなりました。

最初はお盆の期間限定と思っていたのですが、思いの外心地よく、今の自分にはこの方が合ってそうなので、しばらくはこの状態で過ごしてみようと思います。
(反応が遅いこともあるかもしれずごめんなさい)

受動的に受けとった情報が気づきを与えてくれることもあるし、それによる新たな出会い、交流、そんなものにずっと支えられてきたし、独立当初から常々私は「SNSがある時代だったから独立できた」なんて思っていました。
今もその存在に支えられることが多々あるし、
新たに知り合った人とはSNSでつながった方が、初めましての時にはわからなかったその人のお人柄や活動や温度感が垣間見えて、うんと距離を縮められたりもするし、なんだかんだ不可欠なインフラではあるのだけど。

そろそろ、新しい自分に出会いたいなあと。
そんな思いを抱くようになって、1年以上前から、感覚を研ぎ澄ませるための経験を積極的に自分に入れていくようになりました。そうしているうちに、自分にとって必要でない情報も当たり前のように吸い込んでしまっていること、そこに実は結構負荷を感じていることに気がつくようになりました。発信することも、何だか人目が気になるようになり、知らず知らず、自分の真の言葉が出せなくなって、とても億劫になっている自分がいました。

先週、頭を少し休めよう、と思ったときにふと浮かんだのが「SNSアプリを消してみること」。アプリは消しても携帯上には存在しているし、必要なときにはブラウザでもすぐにアクセスできるのですが、「検索する」というプロセスを一回挟むとまあ、面白いくらい「面倒くさい」。おかげで「なんとなくSNSを開く」時間はガッツリ断捨離されて、可処分時間がぐっと増え、今に集中できるようになってきました。

そんな中、ずっと行きたかった八ヶ岳にも行かせてもらって、
自分とは全然違う世界線に生きる人と触れ合ったり、一口一口に感謝したくなるようなとびきりのごちそうをいただいたり、「今ココ」しか存在し得ない美しい山の中で、思わず夢中になってしまう大人の宝探しを楽しんだりしてきました。

「マルチタスク」が当たり前で、何ならそれが自分の強みだとすら思っていて、そこに価値を置いていた“今までの自分”を“未来の自分”に還していくためには、ただ目の前の「ひとつ」を全力で感じる時間が今は本当に大切だと思っていて。
そんな時間が新鮮で、愛おしくて。
逆に自分にも世界にも、新たな大きなポテンシャルを感じ始めています。

「人にどう思われようが、もう自分を抑えずに、本気で生ききる。」
最近、大好きな友だちが気づかせてくれた、とても大切なこと。

「せっかくなら、自分にとっても世界にとっても最善なことをする」
今いろいろ学ばせてもらう中で、固まってきつつある思い。

情報は、しばらく主体的に取りにいくスタイルにして、新たな世界を楽しんでみようと思います。
そして、この先きっと湧いてくるであろう“ほんとうに伝えたいこと”は、ダサいことでも、思い切り発信していきます。


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