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おじいちゃんと彼岸花

彼岸花の季節になった。
この燃えるように赤い花を見ると思い出すのは、祖父のことだ。

祖父が亡くなった時、お墓への道に彼岸花が咲いていた。

岡山で祖父母の暮らす家の裏手の、小さな山。
日当たりの良い民家や水路、
しめ縄の巻かれた大きな石が祀られた一角や、
ちょっとした畑を通り抜け、
祖父が、ぶどう、桃、柿、八朔などを育てていた果物畑を右手に眺めながらさらに登ると、
枯葉を踏みしめるほの暗い山道の先の一画に、
ご先祖様のお墓が、まとまってあった。

お葬式は、秋の明るい日だった。
みんなで黒い服を着て、一列に並んで、白くて細い坂道を登って、お墓に行った。
足の不自由なお年寄りもいたので、ゆっくりゆっくり歩いた。
時折、爽やかな風が頬を撫で、草の匂いがした。

上り坂の足元にはずっと、何百という真っ赤な彼岸花が、秋の日差しを浴びて、まばゆく咲いていた。
瑞々しく生命力に溢れて咲き乱れる姿は、火の粉を散らしながら燃える激しい炎のようで、ちょっと怖いくらいに強い力を放っていた。
周囲の緑とのコントラストが、鮮やかだった。

その頃私は三十代で、日々の仕事の忙しさや、
東京から岡山の移動の疲れがあったのだろうか。
感情が半ば麻痺したような状態で、
ただ無心に、眩しい秋の日差しを浴びながら、一歩一歩、坂を登りはじめた。

黒い喪服、白い道、赤い花、植物の緑。
目に入る鮮やかな色彩が胸に刺さって、止まっていた心が動き出し、感情と涙が溢れてきた。

涙が溢れ続けて、ずっと、新しく真白い麻のハンカチを顔に当てながら、坂道を登った。

祖父は端正な手を持った人だった。
すらっと長く、繊細ながらも、知的で男性的な力強さも感じる指。
楕円形に整った、桜貝色ですべすべの爪。
肌はきめ細かく、しっとりしていた。

人生の途中で失明し、私が生まれた時には既に目が見えなかったのだけれど、
頭が良くて、博識で、剽軽で、この手で、とても器用に何でもできた。

そんな祖父を、わたしは子供の頃からずっと尊敬していた。
たとえ何を失おうとも自分らしく生きられるのだということを、教えてもらったと思う。

亡くなった時、祖父の動かない手を、初めて見た。
生前よりも白くてすべすべで、指は細くなっていた。
彫刻にしたいくらいの美しさに、思わず息を飲み、しばらく見入ってしまった。

彼岸花の燃えるような赤い色に見守られ、
祖父の手、
祖父の平坦ではなかったであろう人生を想いながら、
白い坂道をゆっくりと登り続けた。

その日から、彼岸花は、祖父とわたしを結んでくれる特別な存在になった。

彼岸花には、”曼珠沙華”という華やかな名前がある。

並んだ漢字の直線たち、曲線たちが、
花々の長細い花びらやめしべ、すっくと立つ茎の形のようで、
漢字の奥に花の姿が透けて見えてくる。
なんてぴったりな名前なのだろうかと、嬉しくなる。

マンジュシャゲ、とは、"天界の赤い花"という意味の梵語なのだそうだ。

お釈迦様が法華経を説かれた時に、それを祝して天から四種の花、四華が雨のように降って来た。そのうちの一つが曼珠沙華だったという。

夢の中でも良いので、わたしも一度そんな艶やかな花の雨に降られてみたいものだ。

明日は祖父の命日だ。
彼岸花の群生を探しに、山を歩いてみようかな。

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