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「死んでいて、生きている」複雑なグリーフ:『帰還:父と息子を分かつ国』
アメリカのホスピスで音楽療法のインターンシップを始めた頃、グリーフカウンセラーから最初に学んだことのひとつが、グリーフ(悲嘆)は「曖昧さ」があればあるほど複雑になる、ということだった。亡くなった人との関係性が曖昧だった場合や、死を取り巻く状況が不明確な場合など、遺族のグリーフは複雑になることがある。
リビア人の両親の間に生まれたヒシャーム・マタールもそのような特殊なグリーフを経験した。カダフィの反体制運動のリーダーだったヒシャームの父親は、1990年に姿を消した。その後、ヒシャームは長年にわたって父親を捜し続ける。
彼はその経験を "The Return" に紡いだ。この本はピューリッツァー賞を受賞し、日本語にも翻訳され、『帰還:父と息子を分かつ国』(人文書院)というタイトルで出版されている。
大切な人が生きているのか死んでいるのかわからない場合、closure (終わり・最終的な状態)がないため、曖昧さを生み出す。ヒシャームの父親のような行方不明者、戦争で行方不明になった兵士、津波などで遺体が見つからない犠牲者など...。彼らの家族は、複雑なグリーフを経験することが多い。
何年か前、東日本大震災の津波で子どもを失い、今でも遺体を捜すために海に潜り続けている父親のストーリーをニュースで目にした。その人は子どもが津波の犠牲になったことを確信しているようだったが、おそらく遺体がない状態では彼にとっての closure (終わり)はなく、前に進めないのだろうと思った。
ヒシャームは様々な手がかりをもとに、1996年にアブ・サリム刑務所内で起こった虐殺で父親が殺されたのかもしれないと推測するようになる。むしろ、それ以外の確率は非常に少ないだろう、と...。しかし、その証拠を見つけることができない限り、もしかして生きているかもしれない、という希望を完全に捨てることができない。
同時に、何十年も父親を捜し続ける彼が求めているのは、hope(希望)ではなく、certainty(確実性)なのだ。このような複雑な感情をヒシャームは本書で的確に表現している。
“My father is both dead and alive. I do not have a grammar for him. He is in the past, present and future”
(私の父は死んでいて、同時に生きている。私は彼のための文法を持っていない。彼は過去、現在、そして未来にいる)
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