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不遇の時代という貯金 パート2

「明日は明日の風が吹く」というマガジンは、普段、外の媒体では書くことのない、パーソナルな気持ちを書く場所として始めた。が、やってみるうちに、自分のパーソナルな日記でありながら、頑張っている人の応援歌になるようなものを書きたいなと思い、いつしか、自分が日々学んだり、過去を思い出して教訓になるような話を共有する場になってきた。

そして、昨日の日記を書いたあとに、さらに考えたことがある。

最近、人が自分のことを「成功者」と表現するのを聞いた。はたしてそうなのだろうか、と考えた。自分が好きなことをやれている、という意味ではそうかもしれない。けれど、ひとりなのに、自然に身を置くために、山に家を借りたり、自分の好きなテーマを追いかけるのに、あてもないのに取材費を捻出してしまったり、自分で印刷も流通も責任を持つジンを作り始めてしまったり、いつも自転車操業であることは間違いない。

成功者だ、と思われているとしたら、それは、いろんなことをやっているから、「忙しそうに見える」ということもあるかもしれない。それで思い出したのだが、昔、たまに仕事をしていたハスラー系のアメリカ人フォトグラファーが、「クリエーターは、忙しく見えるってことが大切なんだ」ともっともらしく言っていたっけ。ひっぱりだこ、というように見えることが、ひっぱりだこには大切なんだって。私たちが生きるこの世の中は、時として表層が物を言うことがあるのだ。それは余談として。

話を戻すと、自分の活動が人の目に入るから「成功している」と思われる、という構図はあると思う。その裏で、どれだけ人の目にあまり入らない作品を作ろうとしたり、作ってきたかは問題にならない。

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