見出し画像

10月27日−11月2日 東京・ブルックリン・マンハッタン

10月27日

 起きたときもまだ酔っ払っていた。どう考えてもやりすぎだった。グロッキーな気持ちでパッキング。今回は短かったので、荷物も少ない。かろうじてギリギリのリムジンに乗り込み、成田を目指した。
 昨日荒れた理由は思い浮かぶ。長い間仲良くしてきたクリエイターがいる。もう何年も友人として付き合ってきたが、最近、自分の心が遠ざかってしまった。今の世の中で課題として提案される事象の話を振ると、だいたい、知らない。そして、興味を示さない。今、この世の中で起きていることに興味を持たないでいられる、ということが、私には理解できない。社会にコミットしない表現は娯楽でしかない、と私は思ってしまっている。そして毎晩、いろんな人と社会や政治の話をしている。そういう会話ができない相手とご飯を食べたりすることが苦痛になってきてしまたのだ。距離を置いていることの説明責任を感じることがあったので、それを説明した。それが、彼にとっては侮辱的だったらしい。正直に話してしまったら怒られる、私の人生ではよくあることだ。言葉をシュガーコートするのが苦手だということもあるが、知的議論のチャレンジが、そう受け止められないことがある。相手がそれを侮辱だと思ってしまうと、それ以上、議論を続けることはできない。ああ、残念。
 今日も空港につくのはギリギリだな、と焦っていたが、運良く、アメリカから機体がやってくるのが遅れ、搭乗が30分遅れた。隣に座っていた年配の女性は、フィリピンで日に50キロ!を泳ぐスイミングバケーションからアメリカに帰る途中だった。美しい海の写真を見せてくれた。日に50キロ泳ぐことがこの人にとっては幸せなのだ。こういう楽しみのある人は生き生きしている。夫がデルタの従業員で、エアはただなのだという。映画の画面をスクロールしながら「やっぱり今の世の中を見るならドキュメンタリーよねえ」と言って、いくつもの作品を解説してくれた。
 そうだ、ドキュメンタリーの時代だよね、と、デトロイトに行く前の便の中で、ずっと見れずにいたFyre Fraudを見た。ラッパーのJa Ruleとビリ−・マクファーランドというスタートアップ・ハスラーが、パブロ・エスコバーが所有していたプライベートな島でウルトララグジャリーなフェスを約束し、客が到着したらフェスの準備がほとんどできてなかった、という大惨事についてのドキュメンタリーだ。
 この事件についてはドキュメンタリーが2作あるが、こちらはHuluのオリジナル・シリーズで、今は詐欺で服役しているビリーのインタビューつきである。 実際、私のような人間にも、あのとき、「こんなフェスティバルあるの知ってる?」と連絡があった。値段を見て、馬鹿じゃなかろうかと驚いた。そんなにお金を使わなくても十分楽しい場所はいくらでもあるのだ。
 けれど、世の中には馬鹿みたいに高いフェスに期待をかけた人たちがいた。それを煽ったのは、インスタのインフルエンサーカルチャーだ。結局、人々の承認されたい、人気が欲しいという欲求がなければあの巨大な詐欺事件は成立しなかったはずなのだ。

 機内の残りの時間は、山田詠美の「ファーストクラッシュ」を読んで過ごした。「新潮」から書評の仕事が来ているため、発売前に送ってもらったやつだ。冒頭は、主人公のキャラクターの感情に共感できなくて苦労したが、中盤からはストーリーの展開がすっと入ってきた。よく考えたら、私の目の前には、リサーチのために読まなければならない本がいつも目の前に山積みになっていて、こうやって文学を(仕事とはいえ)楽しめる時間がありがたい。


 デトロイト経由でラガーディアに。恋人が迎えにきてくれた。今回、2週間で戻ってきた理由のひとつには、彼があと10日ほどでミラノに引っ越すから。家は、月末に出ることになっているので、1週間はうちにいる予定だという。

 パッキングをしているというので、家に荷物をおろして、ビールを買って彼の家へ。タイ料理をオーダーしてくれていた。熱いトムヤムクンをのんで体がリラックスする。
 そういえば、先日、彼のことを話すのに「恋人」という言葉を使ったら、エリが、「今なんてった?」とびっくりしていた。日本語だと、彼氏より恋人のほうが重いらしい。英語では(というか私の感覚では)、恋人のほうが軽い。エクスクルーシブ感がないから。彼とは長いこと男友達プラスアルファくらいの関係だった。お互い、その他の関係を維持するのが面倒になって、ここしばらく、結果的に1対1という感じになっていた。消極的リレーションシップと呼ぶと味気がないが、気がつけば大切な相手になっていたのだろうと思う。一方で、他の恋愛をしないでほしいという気持ちは薄い。ずっとそれでやってきたからだ。最近、彼がミラノに行くことになって、続けていく努力をするかどうか、話し合いをした。それでもボーイフレンド、ガールフレンドという言葉が気持ち悪くて、それぞれその言葉を使っていない。小さな、心理的な問題ではあるのだが。約束をする、ということを重く受け止めてしまう年齢だ、ということもあるかもしれない。お互い46歳、先が見えてきたタイミングなだけに、それぞれ自分がやりたいことをめいっぱいやったほうがいいという共通の認識があるのだ。

10月28日

 早朝、仕事に行くために起きた彼と一緒に家を出て、自宅に戻った。いない間、友達が泊まっていた。うちのビルは家賃が安いかわりにサブレットは禁止で、ニューヨークにやってくる親しい友達に限って「使っていいよ」ということにしている。ずっと空けているより、誰かが住んでくれたほうが、家のためにはいいのだ。彼女は古い友だちで、キレイに掃除をして出ていった。ひとつだけショックだったのは、洗剤を使わない鉄のフライパンに、洗剤が使われた形跡があること。うーむ。説明しておかなかった自業自得と、鉄のフライパン洗っちゃう人がいる衝撃と。しょうがない、またスタート地点から育て始めることになる。
 朝からツイッターを開き、紫原明子さんと会話。紫原さんとはツイッターで知り合った。猫町倶楽部のことを教えてくれたのが紫原さんで、一度、イベントにも来てくださった。日本では、アメリカほどソーシャルが政治に直結していないのではないか?という質問。いいきっかけになって、アメリカのインターネットユーザーの属性分布図を調べてみる。Twitterも、Facebookもそれぞれ熟年以上にも浸透率が高い。一方で、フェイクニュースの温床になっているから諸刃の刃というところか。


 前週の日記をnoteにアップし、車を動かして帰宅たところで、シャワーに入るつもりが、窓から入る光を反射して美しく光るベッドに誘惑されてしまった。定形の20分パワーナップをするつもりが、5時間がっつり寝てしまう。時差ボケと疲れにやられていたのは事実なので、当たり前といえば当たり前なのだけれど、負け犬感。これで時差ボケを直すのにさらに時間がかかってしまう。夢の中で、大好きな友達に対して暴れたり、泣いたりしていた。
 BRUTUSの本特集に紹介する本を考えていて、課題本をアマゾンのサイトからキンドルにダウンロードしたところで、キンドルを機内に忘れてきたことに気がつく。この忘れ物グセ、いい加減に直したいのだが、なんで忘れてくるのだろうか。デフォルトで疲れているからだろうか。本当に嫌になる。デルタ航空のサイトで忘れ物の手続きを済ませて、はて、である。締め切り前にこの本たちをどうやって読もうか。そしてすぐにiPadのリーダーで英語のアカウントからスイッチすればいいだけなのだ、と気がついた。キンドルのハードが要らなくなってしまったではないか。
 ポパイの定例の原稿を書く。特集がガールフレンドだというので、恋愛事情を書くつもりが、結局、恋愛アプリ事情になった。途中、リサーチしていて、InCelの世界にはまりこんだ。Involuntary Celibacy 、受動的禁欲生活、つまり、相手がいないから結果的に禁欲する羽目になっている状況を言う。承認欲求カルチャーにおいて、モテない男たちの行き場がなくなった。女性たちが安定のために結婚する時代は終わってしまったし、恋愛アプリの時代には、ルックスが物を言う。恐ろしい世の中である。整形手術に取り憑かれるインセル男性についての記事を読んだ。結局のところ、整形手術がもたらす幸せはあるのだろうか。


10月29日

 前夜、時差ボケのために4時まで起きていたのだが、9時には目が覚めてしまった。せっかくなのでいつもより長めにヨガと瞑想。最近、「ストレスから解放」というテーマの瞑想セッションをやっている。ビジュアリゼーションという手法で、自分の頭の中からマインドを取り出して、どこか美しい場所において休ませる。自分に残っているのは体だけだ、というところを想像する。これがなかなかいいのである。

 フィラデルフィアにいるというRadioという友達から電話がかかってきた。バンコクに住んでいる黒人のラッパーだ。私が出ている間にニューヨークにいてすれ違い、でも今夜ニューヨークで行われる業界のイベントに行こうか迷っているという。君に電話したら、そんなの行ったほうがいいに決まってるって言ってくれるんじゃないかと思ってさー、というので「行ったほうがいいに決まってるじゃん」って言った。密かに昼時フィラデルフィアのソファでチルって て、ニューヨークで夕方行われるイベントに間に合うわけないよなあって考えながら。

 仕事場に行くと、私がいない間、デンバーやらバーモントやらに行っていたスタジオメイトのスコティも戻ってきた。スコティがかけるジャムバンドの曲を聞きながら、日常が戻ってきたなという気持ちになる。先日、ムラカミカイエが話題にしていたカニエについての本<カニエ論>を読む。冒頭で、すぐに目に入ってきたキーワードは、「孤独」だった。


 今の世の中、常にそこにあるテーマのひとつに「孤独」がある。アメリカでは、ミレニアルやジェネレーションZが孤独に苦しみ、自殺や鬱が増えているというデータがある。ソーシャル社会の弊害である。日本にはひきこもり問題がある。そして孤独が人を人種差別や白人至上主義、女性やマイノリティに対するヘイト、ネトウヨの電凸などに走らせる。カニエの本を読もうと思ったのは、ポピュリズムについて考えようと思ったからのだが、読みながら、再開しようと思っている「みんなウェルカム」の続きについて考える。ダイバーシティをテーマに始めた企画だけれど、幻冬舎での連載を降りたことで、分断について書くのなら、もうちょっと他の要素が必要だという気がしていて、そのひとつがエンパシーだという気がしてきた。エンパシーをテーマにした本はたくさん出ているが、ほとんど日本語にはなっていない。自分はエンパシーというテーマと向き合ってみよう、そう考えて、ちょうどたまっていたAudibleのクレジットを使って、エンパシー関係の本をいくつかダウンロードした。
 暗くなるまで、たくさんの作業や考えることに頭を使って、帰宅の途につく途中で、恋人から「ディナーあるぜ」という連絡があった。イタリアに行く前のパッキングに格闘している恋人の家で、残り物のご飯を食べたが、食事をしたら猛烈に眠くなったのでヘロヘロで帰宅。
 帰宅してからは、11月後半から12月のイベント関連のスケジュール組。沖縄での3日間のイベントに参加することになっていて、その近辺に、九州と香港に行けないかと画策しているのだ。旅は、こうやって計画を立てているフェーズも楽しい。
 まだ早い時間だけれど、やっぱり時差ボケなのだ、と自分に言い訳して、ベッドに潜り込む。Rケリーのドキュメンタリーの見残していた部分をフィニッシュして就寝。

10月30日

 家賃を払う日ではないか、と銀行に行き、スタジオに行く途中でダンキンドーナッツでドーナッツを買ってしまった。合成着色料ががっつり入ったストロベリーフロストにスプリンクルのチョコレートがかかってるやつ。この何日か、先日の乱痴気騒ぎの反省から、アルコールをお休みしていたから、体が糖分を求めていたのだろう。ドーナッツを持ってスタジオに行くと、「どうせだったらピーターパン・ドーナッツまで歩いていけばよかったのに」とスコティに言われる。しかし、ダンキンの前を通りかかるまでドーナッツが食べたいなんて思わなかったのだ。ほのかに後悔。
 前夜、韓国映画Parasiteを見たスコティが大興奮している。ジュディとスコッティはとにかくホラー映画が大好きで、新作品が出るとすぐにシアターに行く。昨晩スタジオを出るときに、誘われた。劇場にはうるさいジュディの決断で、近場のNighthawkではなく、わざわざリンカーンセンターまで行ったらしい。
 今夜、カクテルに集まろうってジュディが言ってたよ、とスコットが言って、そうか今日は近所で飲むのもいいなとインプットされてしまったので、日が暮れる頃には、だんだんそわそわしてきた。仕事を切り上げて、アキレス・ヒールに行くことになった。ジュディはいつも「カクテルのために集まろう」というけれど、実際、誰もカクテルは飲まない。私とスコティはビールを、ジュディは赤ワインをのんでいる。ブラッセルスプラウトとオイスターを食べた。途中、オーナーのアンドリュー・ターロウがやってきて、少しおしゃべりした。
 ジュディは近所に住む心の友である。が、この数カ月間、私が戻ればジュディがいないということが続き、すれ違い続けていた。店をブルックリンからマンハッタンに引っ越して絶好調のようである。場所を変えたことで、新たな顧客を開拓している。
 ジュディの芸風は、女性ほおしりをきれいに見せるジーンズであるが、エロスをユーモアで健康的に料理する。明るいロゴのイラストのキャラは鼻をほじっているし、店のそこここにかの女の洒落っ気が生きている。そしてこのシモネタ上等という態度が、ニューヨークらしくもある。が、そんなジュディが、「最近の若い子たちはセンシティブで!」と嘆いている。「ボディ・ポジティブ」(自分の肉体にポジティブであれ}という最近のコンセプトをいじって使っている「バット・ポジティブ」という言葉を口に出したら、お客さんに驚愕の目で見られたという。私たちの世代は、ウーマンリブの延長としてフリーセックスの影響を受けた。時代が保守的だったからだ。自由な時代に育ったミレニアルやジェンZは私たちより性的に保守的だ、という話は耳にしたことがある。


 
10月31日

 恋人が誕生日に@onlineceramicsのグレイトフル・デッドTシャツが欲しいという。ローワーイーストサイドでポップアップがある。ちょうどカミング・スーンで打ち合わせの予定があったので、1時間早く家を出て一緒にいった。開店の時間に到着すると、とにかくすごい列ができている。そりゃあそうだよね、と納得する。人気のブランドが、グレイトフル・デッドのライブの日にオリジナルのTシャツを販売するーー長い列ができるわけである。小雨も降っているし、ここは諦めるとこだろうと思ったが、彼は「どうせ今日は暇だし」、並ぶという。後ろに、70歳は超えているだろうという女性が並んだ。この人もデッドが好きなのか!と思ったが、友達に頼まれてのバイトだという。品がよくてシャンとしていてフルメイク。持っているものも高級品ばかりだ。そして口がめっちゃ悪い。口の悪さで周りの若者たちを笑わせている。こういう年上の女性がうようよいるからニューヨークはやめられない。
 かつてデッドやジャムバンドのライブに行くと、ファンといえばもっさりとした白人男性かヒッピーくらいだった。今この列に並んでいると、タイダイをポップに着こなすアーバン系の若者たちが続々現れる。デッドは、若い世代のファンたちに発見されたのだな。私の集めている雑多なものの中にタイダイの衣類がある。気がつけばずいぶん増えてしまった。タイダイを集める、ということは密かな楽しみで、今、ファッションにおいてもメインストリーム化していることに驚きつつ、廃れてしまったら困るではないか、と思っている。
 カミングスーンのファビとヘレナから「相談がある」と言われて会いに行く時間になったので、私は列を離脱してショールームに。二人はハロウィーンに向けて大層張り切っている。雑誌のインスピレーションをプリントするほどの念の入れようだ。階下にスタジオを持つアーティストのブリアンヌも加わってかしましくおしゃべりしていたら、あっという間に時間が経っていく。次の予定があるので、慌てて本題に入るが、持ちかけられたプロジェクトの方向性があっという間に決まる。
 東京からきていたTさんとDimesでランチ。お気に入りのブレックファスト・サンドイッチ(スパイシーな卵サンド)を食べ、もう空港に向けて出発するというTさんをホテルまで送って、ジュディの店に。数カ月ぶりに寄るとずいぶん進化している。私の本をすべて扱ってくれているのだが、ビーズでYumiko Sakuma’s Booksと入った小さいクッションを作っていた。なんとかわいいこと。
 オーディオブックで「The Empathy Effect」を聞いている。ハーバード・メディカル・スクールの精神医学を研究するヘレン・リースによるエンパシーの心理的研究。著者は、エンパシーを子供に教えることの大切さを説いている。多くのベネフィットのひとつは、エンパシーを大切にする人間のほうが、親や年寄りを善良な気持ちで扱うということがある。だから子供にエンパシーを教えよう。これは利己的に聞こえるかもしれないけれど、人間同士の感情のやり取りは現実的にはギブ&テイクなのだと思う。優しくされたかったら優しくしろ、ということでもある。
 帰りにスタジオに寄り、数時間編集作業をして帰宅。明日から3日間は外で仕事だったから、やっつけておきたいことがあった。久しぶりに在宅の夜、急にエリンギが食べたくなって、食料品店でエリンギを購入してパスタにした。 
 

11月1日

 明け方、急に稼働し始めたヒーターから出るスチームの音で目が冷めた。ついに冬が始まったのだ。
 今日は仕事の日だ。まずはNumeroの連載用のインタビュー。今回はMaia Ruth Leeにお願いした。思いついたときに「なんでこれまで思いつかなかったのか!」と自分で呆れた。灯台下暗しとはこのことだ。前に会ったのは、ピーター・サザーランドとの間にできた子供を出産した直後だった。今年はホイットニーのビエンナーレにも選ばれていた。母であること、アートのこと、子供たちにアートを教えていること、喪失について聞いた。マイヤの世界では、人生と作品が入り組んで存在している。当たり前か。チャイナタウンで撮影をし、Dimesでランチをしながら話を聞いた。Dimesは2日連続だったけど、昨日迷って注文しなかったBlack Riceを食べた。
 午後からは帯同の仕事で、クライアントとバウワリーのレストランで待ち合わせをしていた。ここ7,8年時々仕事を依頼してくれるアート・ディレクター。いつもクライアントと一緒にやってくる。こういう帯同の仕事が、平均すると月に1度ほどある。彼らの専門分野にあわせて「ニューヨークの今」を解説しながらいろんな場所に案内したり、各界のアメリカ人にヒアリングしたりする。報酬もいいし、自分の知っていることが役に立つのなら、という気持ちもある。人に説明する、ということは頭のトレーニングにもなるし、自分にとってもニューヨークの街を周る、ということは必要な作業でもある。
 勝手知ったるドライバーさんの車で、日本からやってきた御一行を午後いっぱい案内し、彼らをレストランにドロップして、Rowing BlazersでやっていたTracksmithがニューヨーク・マラソンに合わせて企画したポップアップへ。Best Madeを創立したピーター・ブキャナン・スミスからファウンダーのマットを紹介されて、話をすることになっていた。
 帰りにウィリアムズバーグのアップルストアへ。前夜、ついに何度もコンピュータが落ちるという状態が何度も起き、観念して新しいマックブックエアを購入。ずっと先送りしていた理由は、11インチが製造されなくなったからだ。コンピュータを新調したら重く、大きくなるなんて経験は初めてで、納得がいかない。
 閉店直前のアップルストア。商品がやってくるのを待つ間、接客してくれた黒人の若者とおしゃべり。クレジットカードを出すと、アップルペイを使ったほうがいいよ、とアドバイスされる。クレジットカードを偽造されるリスクが減るからね。偽造クレジットカードや詐欺がずいぶん多いらしい。そういえば、自分のクレジットカードにも最近知らないチャージがいくつかあった。更新されてうちに届く前のカードだった。


 帰宅すると恋人がダラダラしている。一人暮らしが長いので、家に帰ると男性がいる、という状況が久しぶりである。ちょっとイライラしてしまい、口論になりかけ、一度は二人とも押し黙る結果になって、イタリアに行く前の1週間、うちに泊まっていいよと言ったことを呪いかけるが、話し合いをして解決した。彼とはよく週末を山の家で過ごしているが、ニューヨークの狭い場所に二人でいる、というのはまた話が違う。そもそもお互いのストレス・レベルが違うのだ。

11月2日

 帯同の仕事2日め。今日の集合はチェルシーだ。家を出てプラスキ橋を歩いて渡り、たくさんのランナーとすれ違いながら地下鉄の7番線に乗り、ハドソンヤーズからチェルシーを南下する。ニューヨークマラソンの前日で、道に簡易トイレがずらりと設置されている。土曜の朝のハドソンヤーズはとても静かで気持ちが良い。ラコロンベでコーヒーを購入してクライアントをピックアップ。
 今回案内しているのはおもにホテルである。この1年ほどの間に、ミレニアルやジェネレーションZをターゲットにしたホテルが多数できた。何が違うかというと、部屋が狭いかわりにパブリックスペースを潤沢にとっている。コワーキングスペースかと思うようなパブリックスペースでたくさんの若者たちが仕事をしている。何年か前にcotelという言葉ができかけたが、あまり浸透しなかった。一方、コワーキングスペースがホテルを運用するケースも(We LiveやAssemblage)あるが、見ている限り、「コワーキングスペースのようなホテル」のほうが「コワーキングスペースが運営するホテル」よりも魅力的だし、割安である。


 仕事の後、一度帰宅し、残り物のパスタを食べて、1時間ほどリラックス。ブルックリン・ミュージアムで羽鳥美保ちゃんのNew Optimismが演奏することになっていた。寒い中、1日仕事をしていたので疲れている。ひよりそうになるが、ここで負けたら夜がつまらないものになってしまう。熱いコーヒーを淹れて目を覚ます。
 ブルックリン・ミュージアムは、うちから行きづらい立地にある。Gトレインでベッドスタイまで行き、そこからシティバイクに乗ることにする。風は冷たいけれど、気持ちのいい夜。ミュージアムに到着するも、知り合いの姿が見えない。男友達に「いる?」とテキストすると、黙って海の写真が送られてきた。ちっ。海かあ、そういうバケーションはずいぶん長い間取っていない。年末どこかに行くかなあ。
 パフォーマンスが始まるとともに、バラバラと知り合いがやってきた。仲良しのれいかちゃん、新しい友だちのミケル、アーティストのグラヴェ、ベーシストのティモ。2杯ビールを呑んだらすっかり元気になってしまい、演奏のあと、バーに行こうとみんなを誘った。このあたりでは、和食レストランのGENやジャマイカレストランのThe Islandくらいしか知らない。レストランはもう閉まる時間だ。Bearded Ladyというバーをグーグルマップに見つけ、そこを目指す。話ができる程度の喧騒のダイブバーを希望していたのだが、行ってみるとけっこうヒップなシーンである。ビールをあと一杯呑んで帰宅したところで、明日早いんだったなあといまさら気がつく。けれど冬時間に変わるから一時間もらえるのであった。
 寝る前になんか見ようかなとThe Walking Deadをつけかけるが、眠れなくなりそうなのでやめた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?